FASE72@deflag.utinaR311withCOVID#泡瀬びじゅる\ふてぃま うさんちー

※沖縄語→和訳:普天間参詣

Peachのeチケット

「搭乗券の座席にお座りください。座席を移動されますと,飛行機の重量バランスに影響を与える恐れがありますので」──影響しねーよ!
「機内の密を避けるため,お手荷物の取り出しは客室乗務員から指示があるまでお止めください」
──密と関係ねーよ!
アナウンスラストに「皆さん今日はほんまおーきに」
──沖縄入りに合わねーよ!

「骨汁好きのお客様へ
豚コレラの影響で,しばらくの間,──」ええっ!!!何だ何だ??
1146 たから家
骨汁定食 500
「──従来の肉付きの良さでは無い場合がございます。ご了承くださいませ。」
 空港からタクシーで直行しました。本日も何とか間に合ったらしい。
 1155おばちゃん「骨汁終わりました」宣言。危ない!客が多ければ12時前にも終わるのか……。

1247バイク押さえok!
直後,荒く使ってきたスマホの電源がクラッシュ。背中を揉んでやると今は復活したけれど,もうあまり寿命はないらしい。
ゆいレールは未だ満席。のところへ隣にガキが乗ってきて大騒ぎするから,お母さんに席を譲る優しいないちゃー,ということで席を替える。
かんかんの晴天。たから家からの歩きでしっかり汗をかきました。
行き先表示は「てだこ浦西」で変わっていない。1324壺川。1325旭橋。気だるい眠気。デフラグな沖縄。
1350走行開始
1427ドイツ菓子Regens
リンツァートルテ

1523 普天間宮前の光景

1448普天間宮
由緒
「琉球古神道神
日の神
竜宮神(ニライカナイ神)
普天間女神(グジー神)
天神・地神・海神」
奥宮参拝
20分毎に入れてくれる。まあ短い洞窟なんだけど,鍾乳洞のあちこちの巨岩,おおよそ8か所ほどにしめ縄が巻いてある。最も大きい祭壇が普天間女神らしい。
父と兄が遭難したあと身を洞窟に投げたけれど,本人の生前の名前は伝わらない不思議な女神です。撮影禁止。厳粛だし巫女さんたちにも威厳があり,荷物まで預かってもらった手前ルールは守りました。
普天間は基石では「権現」表記になってる。

1550南山
山羊汁550
「脂もヨモギも多め」
南山の山羊汁

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0932サンライズ発
0939コザ十字路右折
大里から一気に下る。0946高原交差点

0953

美東中学校線へ左折が最適だけど一つ前の高原交差点からの左折路に路地から抜けよう。ファミマ前から高原五丁目へ
小学校と中学校の東側
泡瀬郵便局……何だ泡瀬そばの通りがここか?
ドミノ・ピザの交差点から南東角へ
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1002泡瀬ビジュル
由緒

泡瀬ビジュルの由来については,泡瀬の初期開拓者である高江洲義正が,海に浮かぶ霊石を見つけて持ち帰り,ビジュルとして祀ったのがはじまりといわれている。現在のビジュルは,昭和13年に改修されたものである。ビジュル参詣(ビジュルヌメー)は旧暦9月9日に行われ,祈願の内容は子安,子育て,旅の安全などである。

泡瀬はその昔「あせ島」「あわす小離」と称され高原村より東へおよそ九町,隔海に突出した無人の小島で,自然に形成された砂州と南西には広い干潟を有していた。
1768年頃,読谷山間切の在番役を退役した樊氏高江洲(筑登之親雲上)義正は,初期の居住者としめこの地に入植し,広い砂州と干潟を開墾して,農耕のかたわら塩を焚き安住の地をここに定めた。
 ある日,漁猟に出た義正は海面に浮かぶ霊石をみつけてもちかえり霊験あらたかなるビジュル神として,島の西側磯のほとりに石祠を建てて安置し,信心した

境内は泡瀬復興期成会管理地
社務所には「千秋堂」と看板
安産祈願の絵馬が風に音をたてる。
本殿裏にも丸っこい縦長石が十。本殿奥の暗がりの本尊もこういうものに見えました。
右手のアコウに説明書き。沖縄市の名木と標題

台風で潮を被ると落葉し薄い赤茶の皮を剥ぎ新芽を出します。方言名でアコーギ,ウシクガジュマルと呼ばれています。

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東行
1035東之御嶽
入口に「拝所 新井泉」(みーがー)

由来については定かでない。(略)
1945(昭和20)年以前は,路地の傍らに設えられた湧水のない簡素な穴井(アナカ)泉跡として保存されていた。
1945(昭和20)年泡瀬全域が米軍施設に接収され,原形は消滅したが,1983(昭和58)年泡瀬土地区画整理事業に伴う土地全面嵩上工事の際に,以前とは位置形状を異にして,東之御嶽(アガリヌウタキ)の敷地内に新装並置した。2002年8月31日泡瀬復興期成会

東之御嶽

世持神(ユームチガミ)として集落の東方,阿檀が繁る砂丘に石灰石造りの石祠が設えられ,東海楽土のニライカナイから豊穣・繁栄を招く神として崇められた。御嶽庭(ウタキナー)はおよそ三千坪を有し(略)米軍施設に接収された際,石祠とともに砂丘全体が消滅したが(略)嵩上げ工事の際に現在地に改築整備した。

つまりどちらも新築なのです。けれどこれがきっちりと拝まれてる。

1051

ああっもう開いとるがなあ~!
1057まるなが食堂
ほねセット500
ここもテイクアウトは始めたらしい。「セット」は前からあったろうか?券売機が無くなり(カバーで覆われた上にメニューが貼り出してある)食器返却コーナーもでき,何となくあか抜けてきてます。
まるながのほね

骨も記憶通りでしたけど──ここはセットにすべきです。「毎日違うんですよ」と遣り手っぽいおばちゃんが言う通り,この3皿が見事。
①あんかけ豆腐
②ひじきと人参の炒め
③ごーやチャンプルー
と品選びとしては珍奇なものじゃない。①あんかけも他ならたまげる味覚ですけど──
まるながの副菜

②ひじきの調理ものでこんな旨いのは初めてでした。鈍い海藻味と,おそらく人参の独特の臭い甘味が経験のないマッチングをしてます。
けれど③ゴーヤ,これには震撼しました。ずっしりと苦い。でも青臭さはなぜか綺麗に除いてある。卵とポークの味覚は極めて軽いけれど,この迫力ある苦味の後方に隠れつつ,アクセントとして絶妙に働いてます。
次に骨にフラれた時には伝統料理ものを食べたい店です。
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「FASE72@deflag.utinaR311withCOVID#泡瀬びじゅる\ふてぃま うさんちー」への2件のフィードバック

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  2. I don’t think the title of your article matches the content lol. Just kidding, mainly because I had some doubts after reading the article.

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