FASE90-2@deflag.utinaR409withCoV-2_BA5#喃語聞く神屋 水臭う九月\沢岻金満

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沢岻金満御嶽上部の野道の参道
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平成三十年付けの「御先祝女神墓」
右脇に階段。階段上で猫が見張りを続けてる。▼▲
あった。1025金満御嶽。
(手前拝所群)南山拝所など香炉4つ

手前に南山拝所?手前香炉4つ。一つに「下之御嶽」の文字。
ただこれは北方向だと思う。南山拝みならなぜ北を向くのでしょう?
(手前奥手拝所群)上沢岻之殿,金満王滑など

この奥に香炉二つ。一つに「上沢岻之殿」とある。斜めにさらに一つ,「金満王滑」と文字。
 右手に読みにくいけれど案内板。

公芳嶽と敷地天続城,沢岻部落の創設者である沢岻世主の御出立した拝所と住居跡である此の敷地は(略)此の敷地に安置した嶽々は次の通りである。
公芳嶽,天続嶽,王骨,先火の神,ツボウカー,ショウジガー
昭和四十七年九月吉日浦添市学沢岻(個人名)〔案内板〕

(中央香炉群)「天続」など宜野座香炉12個
正面は香炉上段に五つ,下段に七つ。上段中央に「火の神」,けれど一段高い右から二つ目に「金満御嶽」の文字。下段左から三つ目に「天続」。
文字アップ∶「天続」とは?

(右手奥群)「大里城番□」など計9個

右手に「七増田之拝所」。この前はやや複雑な配置だけれど香炉は計九つ。正面のには「大里城番□」とある。大里??
うち「大里城番□」香炉

うち「城」一文字の香炉

九つの中一つに「城」と一文字だけある香炉。
うち「天孫氏世伊平屋」香炉

さらに「天孫氏世伊平屋」の文字もはっきりある香炉。
 解説は,村中の拝所をここに集めて維持したという偉業を誇る内容ですけど……だと考えてもなおさらに分からない。何だこの場所は?
 最後の左手奥9香炉が元々の信仰の中心と考えるなら,天孫たる大里勢力,つまり尚巴志からの第一尚氏を拝んでいます。なのに南山も拝む。そんな拝みをした人々はどういう立場の集団であり得るのでしょう?

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~(m–)m 沢岻金満→(辻)宮良そば那覇店の行程 m(–m)~
GM.(経路)

1051高架でR330を越えて……パイプライン。左折か?
1055古島。右折しとこう。
1101安謝交差点を左折。

宮良そば那覇店の独自メニュー∶赤骨汁

1120宮良そば那覇店
赤骨汁(カムジャタン風)500
감차탕とハングル文字まで書いてある。余程感化されたのか,那覇出店時に目玉を要求されたのか,その辺が嫌で来てなかったんだけど……今回はそういうアレンジだからこそどうしても食べたくなってたのです。
だってオリエンタル食堂の骨だって明らかに北部土着のものじゃないでしょう?
ただ……ほとんどの客が骨です。本店とは客層が違うみたい。場所がホテル内,しかも辻だから。
同肉片と針唐辛子のジョイント

ホテルからの出口に消毒液の「沖縄風」というのがあった。どうせならそっちに,と手にドバっと吹きかけると,ムオンと満ちるは泡盛臭。おい,バイクこれから返却するのに……ポリに捕まったら限りなく危険なのはもちろん,バイク屋も危なく思うのでは?その辺,どうよ沖縄風?

1246バイクを返し,古波蔵からバスで最も近い開南へ。と思ったらなぜか牧志駅前で降りれました。

国際通りで雑多なお買い物の後,スタバでアメリカーノ。一度は……ということたけど修学旅行が山ほど来てるらしくて……。

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桜坂の花の脇道

時間になった。一応一度だけ国際通りを通ってみるけど,やはりもう何も感じない。
1450歩き出しだけど……リブマックスは那覇中央に2軒あったのだあ──それなら牧志からゆいレールで県庁前だったあ!とまりん前からあと1km歩く……前にとうとう一服。
間違いに気づいたとまりん前

1554到着。ふーい。

1627一休みしてリブマックスから西へ東横インまで。
いつも邪魔に思ってた三角地。ここが久米大門跡です。ちゃんと名前の札が,by「久米1丁目自治会」で掲げてある。

「天妃フラワーパーク」看板を自治体が勝手に出してるらしく,日本だとかなり重罪になります。

案内板から気になる部分だけ。

3 天尊廟・天妃廟
 天尊廟は,現世の邪悪を絶滅して衆生を救助する「九天応元雷声普化天尊」(くてんおうげんらいせいふかてんそん)という道教の神を祀る廟。創建年は不明だが,中国渡来人が浮島に住み着いた際に建立したと伝えられる。〔案内板〕

2 浮島を結ぶ道(橋)─長虹堤(ちょうこうてい)と泉崎橋(いずみざきばし)
(略)泉崎橋は,泉崎と久米の間に架けられた石橋。当初は木橋(築造年不明)であったが,1717年に石橋に改められた。この界隈は泉崎や真和志方面から那覇に入る交通の要衝で,明治から昭和にかけて,橋のたもとである孔子廟の前は人力車の待合い場所となっていた。沖縄戦で破壊されたが,1958年元の場所より100mほど下流に再建された。〔案内板〕

この孔子廟の位置は驚いたことにまさにリブマックスの建物です。

大正12年版那覇市全図中井〔一部加筆修正,那覇市歴史博物館所蔵〕

長虹堤・泉崎橋古写真

とするとこの三角地の二つの岩は,向きからして大門の基部で,この三角地はそれを守るための緑地なのでしょうか?方向はまっすぐ現・市役所を向く。
三角地の二つの岩

天妃フラワーパークが向く光景

1652道を渡りGRGホテル側を進む。上下天妃の東側海岸,ここが荷揚げ場だったはずです。
路地を覗こうとどうしようと,古い飲み屋が多い他は痕跡は全くない。
三角地(天妃フラワーパーク)から南西の路地

ad.東町9で右折西行。ここが顔見世の位置に該当するんですけど──東町北公園,というまどろこっしい場所。
東町北公園

全く特色のない公園。ただやや大きな樹木がある。根元を窺うけれど祠はない。
一応ここから元・下天妃とされる東町郵便局に歩くけれど,特筆するものはない。
東町郵便局南西十字路

1709上天妃の石垣を確認する。やはり精緻な切込積です。
上天妃跡の石門の石垣の切込積1

上天妃跡の石門の石垣の切込積2

北側学校側の工事はあらかた竣工したようです。何か出たのでしょうか?
上天妃跡の北裏側(学校側)の工事現場

不動産活用が活発に見える久米一帯
土地活用的にですけど,三角地周辺以南は,それ以北の飲み屋街と打って変わってホテル,駐車場その他大建物が多い。不動産活用を現金に行って外資を誘致する運用が露骨な所有者層がいるとも言えます。
ということでミリオンのルートビア500mlをもう一本。
再建・孔子廟竣工まであと四日!

一応さっきの孔子廟跡を見ると──ああ,この像はそういうことか!ただいま再建中でした。しかも四日後に竣工。主催は「一般社団法人 久米崇聖会」とある。……でもこの状態だとほとんどもうみんな見てるけどね。
裏手はまだまだ工事中なのに……

裏手はかなり掘り返して,まだ四日後にはできそうもないのに──ああ,9/28は台湾の教師節,つまり伝・孔子のお誕生日でした。沖縄に孔子,つまり久米三十六姓の文明のシンボルがついに帰ってきたぞ,と多少無理してでも公にしたいらしい。
孔子様の視線の先を撮影。1730。帰る。
孔子様像の視界にはパレットくもじ,琉球放送が……。

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■レポ:▼▲

沢岻を角川日本地名大辞典で調べてみる。

方言でもタクシという。(略)標高約100mに達する石灰岩丘陵地にあり,旧村落は沢岻川右岸の傾斜地に典型的な碁盤目状をなして立地する。「おもろさうし」に「たくしたらなつけ(沢岻太良名付け)」という人名が見える。沢岻城跡は祝部遺跡とも呼ばれ,グスク時代の遺物が出土している。所伝によれば,昔,村落は上下の2集落に分かれ,下を呉屋と呼んでいたが,次第に上に集まったのが沢岻だとされる(浦添市史4)。〔角川日本地名大辞典/沢岻〕

「由来記」の浦添間切沢岻村の項には,沢岻ノロ火の神のほか,上沢岻之殿・金城之殿・ハンタノ殿・呉屋殿の4つの殿がある。(略)同書には,殿と整合する金城ヨリノハナ森・同小嶽・胡屋森・同小嶽が記載されており,その神名はいずれもテルヅカサノ御イベである。(略)このことから,沢岻村は古くは4つの小さな集落からなっていたと思われる。ちなみに沢岻の根家は現在でも金城姓を名乗っている。〔角川日本地名大辞典/たくし〕

(続)沢岻を謡ったオモロは5首で,そのうちの1つ巻15-7,No.1058には次のように謡われている。一たくしたらなつけ(沢岻太良名付け) おかむすか いやは(拝む者がことあげをするならば) きちやらつは(きちやらつは) きやう かまくら とよませ(京,鎌倉まで〈その名を〉鳴り響かせよ)又よかるたらなつけ(良かる太良名付け)「たらなつけ」は,嘉靖元年(1522)建立の「真玉湊の碑文(石門の西のひもん)」に見える3人の「世あすたべ」(三司官)の1人「たるかねもい たくしの大やくもい」である(浦添市史2)。沢岻村の領主で,中城按司護佐丸の孫に当たる。正徳年間(1506~21)に三司官に任ぜられ,嘉靖元年に中国に渡り鳳凰轎と竜頭をもたらしている。「きちやらつ」は「たくしたらなつけ」の対でその別名。このオモロは,沢岻太良名付けを讃美し,慣用語ながら,遠く京や鎌倉までも名をはせてほしいものだと謡っている。〔角川日本地名大辞典/たくし〕

明治大学サイトで試みに「たくし」ワードでのヒットをカウントすると,何と以下の16首もがありました。

たくしたらなづけの節
4-181(30)
一聞ゑ差笠が/君誇り/報国 うち寄せれ/又鳴響む差笠が/又首里杜ぐすく/真玉杜城
一きこへさすかさか/きみほこり/ふう国 うちよせれ/又とよむさすかさか/又首里もりくすく/ま玉もり城
〔後掲明治大学〕

たくしたらなづけの節
4-191(40)
一聞へ差笠が/鼓の按司鳴り加那志/報国 打ち寄せれ/又鳴響む差笠が
一きこへさすかさか/つゝみのあちなりかなし/ふうくに うちよせれ/又とよむさすかさか〔後掲明治大学〕

たくしたらなづけが節
5-260(49)
一せぢ子 生ちへからは/我が身 若く なて/てだが命/神が命 みおやせ/又思ひ 生ちゑからわ
一せちこ なちへからは/わかみ わかく なて/てたかいのち/かみかいのち みおやせ/又おもひ なちゑからわ〔後掲明治大学〕

くしたらなづけが節
7-389(45)
一聞ゑ按司添いぎや/首里杜 ちよわれば/今日も 明日も/御み顔よ/拝むすが 勝り/又鳴響む按司添いが/真玉杜 ちよわれば
一きこゑあんしおそいきや/しよりもり ちよわれは/けおも あちやも/おみきようよ/おかむすか まさり/又とよむあんしおそいか/またまもり ちよわれは〔後掲明治大学〕

もゝとふみあがりが節
8-471(79)
一阿嘉のお祝付きや/饒波のお祝付きや/今日 し居る 使い/百度の 使い/又沢岻の根国/沢岻の真国
一あかのおゑつきや/ねはのおゑつきや/けお いゆる つかい/もゝとの つかい/又たくしのねくに/たくしのまくに〔後掲明治大学〕

もゝとふみあがりぎやあすぶきよらが節
8-472(80)
一阿嘉のお祝付きや/饒波のお祝付きや/ゑいとてだ/又沢岻の根国/沢岻の真国
一あかのおゑつきや/ねはのおゑつきや/ゑいとてた/又たくしのねくに/たくしのまくに〔後掲明治大学〕

たくしたらなづけが節
9-486(11)
一飽かず国かねや/*靡びちへ 降れて/又国のしつらいや/又君よ 御嶽ろ 見遣り
*二ておち二てこねる
一あかすくにかねや/なよひちへ おれて/又くにのしつらいや/又きみよ みちよろ みやり〔後掲明治大学〕

たくしたらばつけが節
12-663(12)
一首里 おわる てだこが/思い子の遊び/見物遊び/なよればの 見物/又ぐすく おわる てだこが/又鷲の羽 差しよわちへ(→1554)
一しより おわる てたこか/おもいくわのあすひ/み物あすひ/なよれはの みもん/又くすく おわる てたこか/又わしのはね さしよわちへ〔後掲明治大学〕

うち出はたくしたらなつけが節
13-771(26)
一沖縄が もちよろ/神にしやが もちよろ/京 見ちへ/百度 見欲さよわれ/又聞ゑ按司添いや/鳴響む按司添いや/又渡名喜 橋 しよわちへ/慶良間 淀 しよわちへ/又渡嘉敷に おわちへ/報廻り おわちへ
一よきなわか もちよろ/かみにしやか もちよろ/けお みちへ/もゝと みふさよわれ/又きこゑあちおそいや/とよむあんしおそいや/又となき はし しよわちへ/けらま よと しよわちへ/又とかしきに おわちへ/ふうまわり おわちへ〔後掲明治大学〕

15-1057(6)
しよりおわるてだこがおもいぐわのあすびが節
一沢岻太良名付けてだよ/磁石の石と 金と 様に/てだ 精 付かば/殿す 世は ちよわれ/又良かる太良名付け
一たくしたらなつけてたよ/つしやこのいしと かねと やに/てた しひ つかは/とのす 世は ちよわれ/又世かるたらなつけ〔後掲明治大学〕

15-1058(7)
しよりおわるてだこがおもいぐわのあすびが節
一沢岻太良名付け/拝むすが 言やば/きちやらつは/京 鎌倉 鳴響ませ/又良かる太良名付け
一たくしたらなつけ/おかむすか いやは/きちやらつは/きやう かまくら とよませ/又よかるたらなつけ〔後掲明治大学〕※角川日本地名大辞典掲載同

15-1059(8)
しよりおわるてだこがおもいぐわのあすびが節
一沢岻太良名付け/国 郡 浦の数/鳴響まちへ 使い/又良かる太良名付け
一たくしたらなつけ/国 こおり うらのかす/とよまちへ つかい/又よかるたらなつけ〔後掲明治大学〕

17-1232(58)
たくしたらなづけが節
一玉城 おわる/島の主てだよ/百島の報廻り しよわちへ/又国根 おわる/又今日の良かる日に
(→1262)
一たまくすく おわる/しまのぬしてたよ/もゝしまのふうまわり しよわちへ/又くにね おわる/又けおのよかるひに〔後掲明治大学〕

17-1235(61)
たくしたらなづけの節
一玉城 おわる/意地気清らてだよ/此の世 掛け詰めて ちよわれ/又国根に おわる/意地気清らてだよ
(→1265)
一たまくすく おわる/いちへききよらてたよ/この〔よ〕 かけつめて ちよわれ/又くにねに おわる/いちへききよらてたよ〔後掲明治大学〕

18-1262(14)
たくしたらなづけが節
一玉城 おわる/島の主てだ/十百度の報廻り しよわちへ/又国の根に おわる/又今日の良かる日に
(→1232)
一たまくすく おわる/しまのぬしてた/ともゝとのふまわり しよわちへ/又くにのねに おわる/又けおの世かるひに〔後掲明治大学〕

18-1265(17)
たくしたらなづけが節
一玉城 おわる/意地気清らてだよ/此世 掛け詰めて ちよわれ/又国の根に おわる/意地気清らてだ
(→1235)
一たまくすく おわる/いちへききよらてたよ/此世 かけつめて ちよわれ/又くにのねに おわる/いちへききよらてた〔後掲明治大学〕

01 4-181(30)
  「首里杜ぐすく/真玉杜城」
02 4-191(40)
03 5-260(49)
04 7-389(45)
  「首里杜 ちよわれば」
05 8-471(79)
  「沢岻の根国/沢岻の真国」
06 8-472(80)
  「沢岻の根国/沢岻の真国」
07 9-486(11)
08 12-663(12)
  「首里 おわる」
09 13-771(26)
10 15-1057(6)
11 15-1058(7)
12 15-1059(8)
13 17-1232(58)
  「玉城 おわる」
14 17-1235(61)
  「玉城 おわる」
15 18-1262(14)
  「玉城 おわる」
16 18-1265(17)
  「玉城 おわる」
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