Range(銅鑼湾・香港仔).Activate Category:香港シン一次(05-0) Phaze:海仔

Range(銅鑼湾・香港仔).Activate Category:香港シン一次(05-1) Phaze:海仔

献句
としゃぶり蕃茄のしぶき宙を舞う
✺ ✺ ✺ ✺ ✺

【本句】ひと口で蕃茄の雫腕つたふ 〔洗足〕D「トマトが動く?汁が滴る果物は他にある」「かじった途端に汁が出る勢い」
ローゼン「美味しそうな句。トマトの皮感。雫,ジューシーさが蕃茄で伝わる」
※※海仔 北京人が広東人を蔑む言い方とも言われるが、逆に広東人が(諧謔的に?)自称として用いている例もある。
 漁民 (広東)yu4man4 (仙尾)hi min
 蜑家 (広東)duan ka〔後掲PPW/深セン物語〕 (仙尾)tang ke 〔仙尾語は後掲稲澤〕

[本日合計]
支出1300/収入1700
    ▼13.0[①327]
負債 286/
利益 114/
[前日累計]
利益 114/負債 –
一月一日(一祭)
0820鳳城酒家
ソーメイ
鮮蝦豆苗餃
臘腸排骨飯250
1248緑悠軒
3.豆腐火腩収敏魚 450
2000 ゴンチャロフ バターケーキ(残り)250
阪橋 ダンダー150
[本日合計]
支出1300/収入1100
    ▼13.0[①327]
    /利益 114
    /負債 86
[前日累計]
利益 -/負債 86
一月二日(二祭)
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▼▲

朝のエレベーター内で石鹸液のバケツと二人きりになりました。どうするためのバケツだろ?

0745太子から銅鑼湾へ。
GM.で確認する限り銅鑼湾の生龍各店はCOVID中に全店が閉業したらしい。深水埗で見る限り決して観光的には劣勢ではないようですけど──。
あと三思堂は三年前よりこちらの記事が見当たらない。ああいう茶楼を見つけるのは骨が折れるよなあ。

荃湾線地下鉄ホーム
銅鑼湾の波斯富街歩道橋。「付箋」はもちろんなく、代わりに「社企有建樹」なるポジティブな文字が。
波斯富街の路面電車乗り場にて

開いてる!元旦から!
0820鳳城酒家
ソーメイ
鮮蝦豆苗餃
臘腸排骨飯250

六選一+二選一の最も大人しいメニューにしました。
香港に洗茶法は幾多あれど素人の洗茶としては、盥にとりあえず全部入れて茶を注いで上から洗っ(たふりをし)ていくのがベターだと思う。実効的にも碗は温まっていた方が美味いわけですし。
そう言えば飲茶では大陸中国人をほぼ見ません。日本人の初手の観光客しかいない。味覚、というか食文化の方向が違うんてしょうか?
代わりに町中へ、中国でよくあるバイキング式が増えてる。

鳳城酒家の臘腸排骨飯

鳳城酒家の臘腸排骨飯どアップ

鳳城酒家の臘腸排骨飯の臘腸

何度目かです。最初は何だコレ?とシラけた釜飯です……やはりこれは凄い。
ソーセージをほんの少し

鳳城酒家の鮮蝦豆苗餃

鳳城酒家の鮮蝦豆苗餃どアップ

蝦と豆苗だけ。そんなに複雑な調味は施してないはずなのに、端正かつピシッとハマった味覚が完成してる。ベトナムとかの生春巻きの感覚にも共通します。どういう宇宙で料理作ってるんでしょう?

鳳城酒家のソーメイ(ポットがあんまり反射がよいのでお魚になってますけど)

銅鑼湾の路地で一服

銅鑼湾の路地で一服。この路地には色んなものが吊るしてありました。

銅鑼湾の地下鉄乗り場は深い。その地下ルートの寸景。
金鐘は今や四つの鉄道線のジャンクションです。

金鐘で乗換。0936。確かに南湾島線という緑色の表示は出来てます。これを追って行く。
0940乗車。物凄く地下へ潜ったぞ?駅は5つのみ。目的地は黄竹坑。空席はあるけれどかなり乗客はいます。地場の住民っぽい風情。
列車はあまり変わりません。いや、天井の灯りが水玉模様。ただ流石に長い。香港島の山嶺を潜って南に抜けるわけですから。
0944地上に出ました。中腹っぽい光景。海洋公園駅。
モンジョカン?黄竹坑の広東語でそうなるのか?
0946到着。Wong Chuk Hang
なぜかヤマザキベーカリー。

黄竹坑駅前歩道橋からバス乗り場。ここから小公に乗れば香港仔にすぐ着けます。

えーととにかく西側へ降りよう。香港仔行きのミニバスがあるけど歩いてみたい。
0954黄竹坑道へ左折南行。高架下の道。

思い切り無期室な黄竹坑道

いや?祠があるぞ?MTR直下の道へ戻る。南朗山道熟食市場。その脇に大王爺廟。

大王爺廟はMTR直下

MTR直下の道がかつての入江か河口だったらしく、川がありベンチに人がたむろしてる。その東側は崖、というほどではない高み。これが昔の岬でしょう。その岬
に祠は立つ。

入口左手に小さな福徳祠

1003
入口左手に小さな福徳祠。神像二体。右は白肌の長髭、左は肌色のトッチャン坊や風。

福徳祠の神像二柱

本堂。対聯は
右「大道代天除暴安良留史乗」
左「王恩崇世愛民若赤鎮南區」

本堂の入口より
左手の獅子と仏像

左に白孔雀がいてガキ連れが大はしゃぎ。

本堂正面
太歳殿の神々

本堂右に太歳殿。神体五十以上。

烈聖殿の幽玄な空間

左に烈聖殿。武将一体。

本尊・大王爺の御尊顔

神体のお顔はなんとなくミャンマー風です。

廟基:1983年6月吉旦

南区政務専員による廟基の表記は1983年6月吉旦となっています。割と新しい。

本殿右の熱帯魚コーナーと仏像区画

本殿右になぜか熱帯魚コーナー。
1021かなり遅くなったけど歩くか?水辺があまりに魅力的です。
南區海濱長廊へ南行

この歩道は「南區海濱長廊」というルートでKENNY TOWNまで10.5km、STANLEYまで9kmということは全長20km近く続いてるようです。
左手山側への小径跡

川岸は完全に整備済み。左手山側へ何本も階段の小径があるけれどどれも立入禁止になってます。(管理道としては使われている、というような表記もあり)
川に魚は全くいない。
香葉徑表示と高架下道

「香葉徑 Heung Yip Path」と看板。上に黄色い屋根の家屋。
橋と高層ビルが見えてきました。

1037橋がようやく見えました。
香葉徑の渡河地点の手前にて

渡る前に少し河口左手へ。おおっほんの少しだけ蜑民風の情景です。
渡河地点から左手東側の船溜まり光景

川辺に佇む人一人

船の手入れをしている子どもあり

「昔日海角皇宮碼頭入口」〔案内板「香港仔旅遊業的発展」〕

 早於和平初期、香港仔避風塘已有海鮮舫的出現、最多時有八艘之多、但皆是以平底木船稍加美化修飾而成、算不上富麗堂皇、至1948年、一艘名叫「太白」的華麗海鮮舫率先出現、及後並由木船改装成鐵船、建成上下両層、内外皆以中國宮殿形式装飾、美輪美奐。
 至1957年、另一艘同級的海鮮舫「海角皇宮」出現、格調同様堂皇高貴。至1961年、「太白」擴充営業、全面装飾、再加上後来的「珍寶」等、彼此的競争使香港仔成為品嗜海鮮的最佳去處。〔案内板「香港仔旅遊業的発展」〕

観光舢舨(上空からの船溜まり画像?)

香港仔有天后廟和譚公廟、黄竹坑有大王爺廟、鴨脷洲即有洪聖廟、水月宮及び大王宮、這些廟宇的香火均非常鼎盛。〔案内板「漁民的風俗習慣」〕

1960年代黄竹坑涌尾避風塘盛況〔案内板/香港仔簡介〕
1970年代香港仔避風塘盛況〔案内板/香港仔旅遊業的発展〕

対岸の洪聖廟辺りを望む。やはり岬だった部分のようです。でも逆光でうまく写らない。

対岸の洪聖廟辺り

(結果的に「合和地産」の文字の真下辺りが洪聖廟でした。)

渡船のようなものがあった。行き先が分からんけど2.5HK$/人だし「渡船服務」と書いてるからとんでもないとこには行かんだろ。どうせ昼時は逃したし……1131乗る。1132出港。
ボートが通るから結構揺れる。
もやい綱もなしに上陸でした。
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