021-6熱田〜桜丘\名古屋市瑞穂区\愛知県

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小小旅行(熱田)

昭和8年頃の名古屋〔後掲Network2010,2023〕
昭和8年頃の名古屋/ 上記矢印の方向から拡大〔後掲Network2010,2023〕

昭和45年の白鳥貯木場〔林野庁案内〕

在りし日の白鳥貯木場〔後掲Network2010,2017〕

 熱田白鳥公園周辺には、かつて白鳥貯木場(水中貯木場)がありました。
 江戸時代、木曽や飛騨の山で切り出した材木は木曽川や飛騨川を流送され、名古屋(熱田)までおよそ300日をかけて運ばれていました。
 1610年、名古屋城築城に際して、広島藩主、福島左衛門太夫正則を総奉行として、堀川が開削されるとともに、木材などの材料置場や船置場として大池が掘られました。
 この大池が白鳥貯木場のはじまりです。〔金山駅内林野庁案内板〕

「角乗之図」〔林野庁案内〕

白鳥貯木場と木曾式伐木運材〔後掲Network2010,2017〕

白鳥貯木場と木曾式伐木運材図会〔後掲Network2010,2017〕

これらの木材の当面の終着点が白鳥貯木場であったとすれば、始点(一次集約点)にあたる場所が錦織綱場といわれる場所だったらしい。それは岐阜県加茂郡八百津町黒瀬の「黒瀬湊」(→GM.)と言われた場所でした。

在りし日の錦織綱場〔後掲Network2010,2017〕

錦織綱場と綱場事務所〔後掲Network2010,2017〕

JBCcafeでモーニング。店の前の喫煙コーナーに「当店利用の方以外の喫煙をかたく禁じます」の貼り紙。名古屋らしいね。
ゆっくりしてしまった。0906閑散とした旗屋交差点を対角に渡る。

「当店利用の方以外の喫煙をかたく禁じます」の貼り紙のある喫煙コーナーにて

熱田神宮は入域無料。裏から抜けてみよう。
0912入山……いやここからは入れない。下知我麻(しもちかま)神社。
下知我麻(しもちかま)神社の西側入口鳥居

祭神は真敷刀俾尊(ましきとべのみこと)。

祭神は宮簀媛尊の母神にあたり 俗に「紀太夫社」(きだゆうしゃ)と称されていた往時の東海道や佐屋街道に面していたことから古くから旅行安全の神様として信仰の篤いお社である。〔案内板〕

社のみ、裏にも何も見えないけれど、荘厳な雰囲気。

下知我麻(しもちかま)神社の本殿と背後の森

伏見通りを南へ少し行く。中国語の一団。
次の入口にもNOT ENTRANCE!!と書いてある?西門に回れとある。
次の門も鉄扉で入れず。
結局西門へ。0924
西門入口鳥居

東への道がT字にあたる。本宮は北。つまり南面してる?

熱田神宮は、名古屋城辺りから南へ伸びる標高8〜15メートルの熱田台地の南端に鎮座します。台地上には稲作が始まった弥生時代の宮廷式土器が出土した高蔵遺跡や熱田神宮境内遺跡などがあります。〔案内板〕

酔笑人神事図《石川英鳳画》〔宝物蔵蔵〕

現在も往時(引用者注:668(天智天皇7)年草薙神剣境内持出事件後の熱田復帰)を偲び、5月4日の夜、神剣が戻られたことを喜び「おほほほ……」と笑う酔笑人(えようど)神事が行われます。〔案内板〕

熱田大宮司は、第96代後醍醐天皇の武臣として仕え、熱田大神(あつたのおおかみ)の神威を背景にその勢力を伸ばしていました。(略)一方、足利尊氏は先祖が熱田大宮司家につながるという縁と、神剣を祀る社から、1335年(建武2年)権宮司田島氏に戦勝祈願を依頼しています。〔案内板〕

熱田大神が中国に渡って楊貴妃となった話があるらしい。〔尾張名所図会〕

本宮前で右折。0947
ここの名のない社にとても熱心に頭を下げる地元の人がいる。東八百萬神社と小さく銘。これは西面。

東八百萬神社

0951信長塀。背後が大社本殿

信長塀は本宮側。つまり東西に走る。
0955やっと東へ抜ける。セブンの北から東行して名鉄神宮前駅。
駅を抜け東へ出れました。1006

古代の名古屋台地 (上)原図 (下)拡大〔後掲Network2010 2010〕

μPLAT東口。神宮前メンタルクリニック、神宮薬局。

μPLAT東口界隈

三本松交差点。
落ち着いた界隈です。人通りもある。やはり町はここから東へ伸びてる感じ。
少し歩いて熱田税務署。ゆるく登り。ad.花表町8
神宮東橋を渡る

1018、神宮東橋を渡るとad.牛巻町。3プロックで名古屋高速。
やや閑散としてきたけど町の雰囲気はある。道は真っ直ぐ。
1020牛巻町を東行

牛巻交差点を東へ渡る。1024。三十三銀行。
東西、南北とも真っ直ぐだけど道に起伏。
バス停牛巻。1027。愛知みずほ短大
信号が変わったので道右側へ。PL瑞穂教会。
緩い坂のトップに大喜新町3丁目歩道橋。この50m先で道は右にやや湾曲。歩道橋南に神社。寄ってみる。1034
田光大楠白竜王大神の幟

田光大楠白竜王大神という幟がはためく。七つ黒丸の紋。
手水に「龍神水」の札。杓子裏に田光八幡社の文字。
南が正門らしい。本殿にはきちんとお神酒と榊。
本殿にはきちんとお神酒と榊

田光稲荷大明神の旗と祠

右手に同稲荷社。ここの紋は絵柄のような別もの。1048
最奥の稲荷社

そのさらに左手にも小社。これも稲荷らしい。なぜ二つ、別向き(東面)にあるのでしょう?こちらには鏡がある。基部に先の紋。
1051座布団上に蛇トグロ

右手は白龍社。これは南面。とぐろを巻いた蛇の像。蛇だからか……鶏卵が備えてある。
本殿右手4祠

さらに右手に、八劔・白山・秋葉・黒龍各社。いずれにも上が尖った球形の白磁があり、奥に鏡。
本殿右手4祠の尖がり白球体

いや?白龍社北側に龍神池というのがある。小さいけれど水も湛える。池と白龍社の間に巨木。しめ縄を巻く。
白龍社と龍神池の間に大樹

1101退去北行。
1102田光八幡前すぐの十字にて

微妙に下り。二つ東の道へ移る。これが尾根道になって続いてる。1108
1108尾根道を北行

信号のある十字。髙田学区広報板。1110
空は晴れてきれいだけど普通の住宅街。でもどこか懐かしい。
1111錆びた「CocaCola」看板の見下ろす尾根道

1114乳花(ちばな)薬師。名古屋二十一大師第十八番札所海上寺の看板も。

この薬師は、『尾張名所図会』によれば、俗に粟薬師の名で知られていたが、明治以降、乳花薬師と呼ばれるようになった。乳型の縫いぐるみを奉納すると乳が授かるといい、また乳あずけという信仰もある。各地にこのような信仰は分布しているが、当地方では珍しい。〔名古屋市教育委員会案内板〕

子を抱いて子に縋られて尼僧像

本堂への参道左手に子を抱く尼僧石像。右足にまとわりつく子も一人。その背面に古仏石像。1121
1122古仏レリーフ(上記写真右下)

参道左手に五輪塔。最下部にレリーフはないから薩摩塔ではない。1123
1125五輪塔から出口を見る

1131道がやや右に折れる。
右手に緑地。瑞穂ヶ丘中らしい。その手前に当面の神社。これも八幡社とある。1135
瑞穂ヶ丘の八幡宮(東入口鳥居より)

周囲の路地はジグザグ道

路地の屈曲が烈しくなりました。

本殿横側から宙を見る

今日は空が凄まじい。
1144大矢洋服店前辺り

1144大矢洋服店。
名古屋経済大学高蔵中高。
1151空

1153空

1156珈琲人。浅井たばこ店。これは前回の辺りかな?
前と同じもつまらんので右折、一つ東の道へ移る。12時ジャスト。
1200さらに北行

1208バス停洲雲町。
1220 三春屋
煮魚(かわはぎ) 定食(ご飯・味噌汁付)550
三春屋の煮魚定食(かわはぎ)

定食メニューにはなく一品料理に入ってるけど、前回横で聞いた通り定食にしてください、と言えばしてくれました。
隣に座ったおじいちゃんが「イカの生姜だまり」とビール。おおっ!それはニクいぞ!
けれどやってきたかわはぎも最高の調理でした。汁自体はそう変わったものではないので、素材が良いのでしょうか?それとも煮方そのものが何かあるのでしょうか?ほくほくで、なおかつかわはぎのプリプリした歯応えはそのままで、思わず大喰らいしてしまう気分を見事に抑え、噛みしめて食べざるをえない自然な旨さだったのでした。
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古代の東海湖〔後掲Network2010 2010〕
※次頁名古屋市の推定よりはるかに大きく「東海湖」を示してあり要注意▼▲▼▲

名古屋市内遺跡分布 p22〔後掲名古屋市〕
※現データ元表記:新修名古屋市史 資料編 考古1(名古屋市 平成20年)

名古屋市内中世寺院分布 p22〔後掲名古屋市〕
※現データ元表記:新修名古屋市史 第2巻 鎌倉から安土・桃山時代(名古屋市 平成10年)

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