m614m第六十一波m厦門m4.相公宫巷 mm 夕闇のイミグレに白磁割れていた

~(m–)m(再掲)本編の行程 ★完全に単なる目安です★ m(–m)~
高德地图(経路:妇幼保健院(公交站)~中山路阿虹客栈(养元宫巷分店)[dammy])
高德地图(経路:中山路阿虹客栈(养元宫巷分店)[dammy]~中国联通[dammy])

(再掲)1548砦のような高台∶同文頂

乗用車足が生えてる秋暑し
▼▲右手に同文路の案内石碑

2015年3月、経厦門市政府頒文重新命名。今同文路南起鎮海路靈應殿巷、大連興館巷、西北到同文頂。同文書院創辦於1898年3月、是厦門第一所民辦新式学校。〔案内板〕

つまり同文書院という初めての学校名を2015年にお節介な役人が蘇らせたものらしい。あと、さっきの砦は同文頂。これが後付けなのかどうかは分からない。
今の案内にあったad.靈應殿巷14。劉阿不便利店──便利じゃなさげな小店の向こうから入ってみよう。1603右折東北行。

1602侵入路地入口

1602 すぐに道は登り階段となり──

おおっ!すぐに石坊横街37になった!前回聞き覚えのあるad.です。
1603老朽化の進んだ家屋

十字。1604勘で右へ。
ad.相公宮巷79-7?
1605相公宮巷へ

Y字。やはり勘で左。1607──いや右しか行けなかった。
1607相公宮巷の階段を登る

1608相公宮巷の階段をもっと登ってく

ad.85-1で尽きていた。
1609相公宮巷尽きる。ad.85-1

石坊横のad.まで戻る。1609
かなり階段を登る道でした……。
1612相公宫巷と石坊横巷の併記路へ

1612右はやはりad.相公宫巷79-1、左はad.石坊横巷21
1613T字。正面ad.石坊横巷11-6。まあ右折かなあ。
1614_30″再び相公宮巷

1614_58″再び相公宮巷から階段

また登ってる?しかもad.は両サイドとも相公宫巷。ままよ!
──何故か、この階段登ってT字路の相公宫巷の光景は、記憶に刻まれてます。江夏堂側と逆サイドの雁木の址……と想像を逞しくする、のはちょっと辛いけど。
1616相公宮巷の井戸

この近辺には結構共同井戸の跡がある。
1617相公宮巷のプレート

1617階段上のY字を左折。振り返り一枚。
1618相公宮巷の階段上T字から振り返る

──この地点がどこなのか、今は既によく分かりません。「相公宫巷」が何故か高德地图でヒットしないからです。該当地形もどうも見つからない。
 ただ、「相公宫巷〇〇号楼」というのは複数ヒットします。多分、公式には最近廃された地名ではないでしょうか。
高德地图で「相公宮巷」で検索したヒット地点は、江夏堂南、地鉄鎮海路西の特定区画に集中します。

1619相公宫巷の階上の空

チリチリンと風鈴のような音。ああ2階に……ホントに風鈴が鳴ってる。
1620相公宫巷の階上に鳴る風鈴

1621相公宮巷のオレンジ扉から降りる道

1622相公宮巷のアパート入口

1622相公宫巷41-45とあるアパート。正面はad.石坊巷3-1に。
1625オレンジ制服が風になびく

思明環衛のオレンジ制服が干してある。
左手のad.は東磚仔埕巷2?多分北北東に進んでる。高德地图では道が途切れるけど……出れるのか?
1628角の紫の鉢

ad.相公宫巷1-1。相とは江夏堂のことか?下り階段、多分昔の岸です。
1632
1632ad.相公宫巷1-1から下り階段

ad.青墓石[火虫]巷12と10で折れて再び数段登る。違った、ad.青墓石[火虫]巷41。江夏堂はもう50m北西です。ここは何だ?
1637「食雑店在底下↓」で養元宮巷に出ました。

前回も覚えのある道。「食雑店在底下↓」と看板。
1638そうは言っても江夏堂。北行。
左手に如家。そこから急坂。降りると昼すぎのスタバのエリアがすぐ横でした。改めて歩いて実感します──何という不思議な場所でしょう。
1645江夏堂門扉

江夏堂
江夏堂旧址平面図

案内板の「江夏堂旧址平面図」。1643
門のad.は銭炉灰埕巷2-7。中は工事中。内部を見る限り一度は不用として壊されたのを再興しようとしてるらしい。
内部は工場の真っ最中

この地形だと、如家の丘は島だったはずです。現代の入管のように江夏堂を抜けて船に乗った……のでしょうか。
1650鎮海路付近への騎楼のバイク女
1655地鉄・鎮海路へ。

1655帰路。始発駅・鎮海路からの地鉄で文灶なら……。
地下鉄へのエスカレーター。混んでる!

と思ったら両側から並んでる列の間にすげぇガキが駆け込んで席を取る──のを親が完全に見過ごしてる、というか容認してる。小皇帝として育てられたこいつらの末路に思いを致すところ。逆にこの親たちは……ガキを人質にされたらどんな機密でも喋るだろな。
ガキと遊具で一画を占拠する小皇帝母娘

1705文灶。ダメ元であの店を探してみよう。多分后隷渓路より駅よりだけど……。
1716文灶〜厦門駅のちょっといい店通り

飯堂主 帝豪大廈店に来て結構良いけれど──位置的にはどうも違う。チェーンでもないはず。心を鬼にスルー。
1715
よし后隷渓路。1719。この角のガジュマルは記憶にある。
1721いつも気になる后隷渓路のガジュマル前

可斯貝莉というパン屋が増殖中。
オーソドックスな「大廈」が並ぶのが今の中国ではノスタルジック

1727糕芙人 草鶏蛋・蛋糕の店頭

1727糕芙人 草鶏蛋・蛋糕
蛋糕 8.8元/半斤
卵の香、むおん。すごいケーキを作り始めた。控え目ながらじわじわと唐辛子のように効くカステラ
1909半分は日本に密輸してお茶請けに致しました。誠に美味。

生活方式。こういう観念が中国にも重視されつつあるのか?

これは……なくなったな。
一本北の漚文路を通ってみる。
1734厦禾路の一本北側・漚文路を通ってみる。

1736漚文路

1759漚文路から厦門駅前のミニ遊園地

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※仮 火車站
←梧村車站 (19路)新華路口
←文灶 (139路)実験小学

何で調べた画像か分からなくなりましたけど──厦門は香港や長崎並みに地誌資料はある町らしい。調べようと思えば、郷土史家の先行研究はかなりありそう。

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〉〉〉〉〉参考資料 

(だふ_)馱夫  >《走读厦门》 2021.04.23/何厝顺济宫:东部海岸的战争与和平(走读厦门)
URL:https://www.360doc.cn/article/9087553_973813840.html
にしもんのブログ/2024年2~3月 厦門(アモイ)その2
URL:https://ameblo.jp/nisimon108/entry-12843246058.html
(びんな)閩南風/厦门的妈祖宫
URL:http://www.mnfeng.net/fsyy_fw/mz_f1_10.htm
▼▲参考資料▼▲

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