乗用車足が生えてる秋暑し
▼▲右手に同文路の案内石碑
2015年3月、経厦門市政府頒文重新命名。今同文路南起鎮海路靈應殿巷、大連興館巷、西北到同文頂。同文書院創辦於1898年3月、是厦門第一所民辦新式学校。〔案内板〕
つまり同文書院という初めての学校名を2015年にお節介な役人が蘇らせたものらしい。あと、さっきの砦は同文頂。これが後付けなのかどうかは分からない。
今の案内にあったad.靈應殿巷14。劉阿不便利店──便利じゃなさげな小店の向こうから入ってみよう。1603右折東北行。
おおっ!すぐに石坊横街37になった!前回聞き覚えのあるad.です。
十字。1604勘で右へ。
ad.相公宮巷79-7?
Y字。やはり勘で左。1607──いや右しか行けなかった。
ad.85-1で尽きていた。
石坊横のad.まで戻る。1609
かなり階段を登る道でした……。
1612右はやはりad.相公宫巷79-1、左はad.石坊横巷21
1613T字。正面ad.石坊横巷11-6。まあ右折かなあ。
また登ってる?しかもad.は両サイドとも相公宫巷。ままよ!
──何故か、この階段登ってT字路の相公宫巷の光景は、記憶に刻まれてます。江夏堂側と逆サイドの雁木の址……と想像を逞しくする、のはちょっと辛いけど。
この近辺には結構共同井戸の跡がある。
1617階段上のY字を左折。振り返り一枚。
──この地点がどこなのか、今は既によく分かりません。「相公宫巷」が何故か高德地图でヒットしないからです。該当地形もどうも見つからない。
ただ、「相公宫巷〇〇号楼」というのは複数ヒットします。多分、公式には最近廃された地名ではないでしょうか。
チリチリンと風鈴のような音。ああ2階に……ホントに風鈴が鳴ってる。
1622相公宫巷41-45とあるアパート。正面はad.石坊巷3-1に。
思明環衛のオレンジ制服が干してある。
左手のad.は東磚仔埕巷2?多分北北東に進んでる。高德地图では道が途切れるけど……出れるのか?
ad.相公宫巷1-1。相とは江夏堂のことか?下り階段、多分昔の岸です。
1632
ad.青墓石[火虫]巷12と10で折れて再び数段登る。違った、ad.青墓石[火虫]巷41。江夏堂はもう50m北西です。ここは何だ?
前回も覚えのある道。「食雑店在底下↓」と看板。
1638そうは言っても江夏堂。北行。
左手に如家。そこから急坂。降りると昼すぎのスタバのエリアがすぐ横でした。改めて歩いて実感します──何という不思議な場所でしょう。
江夏堂
案内板の「江夏堂旧址平面図」。1643
門のad.は銭炉灰埕巷2-7。中は工事中。内部を見る限り一度は不用として壊されたのを再興しようとしてるらしい。
この地形だと、如家の丘は島だったはずです。現代の入管のように江夏堂を抜けて船に乗った……のでしょうか。
1655帰路。始発駅・鎮海路からの地鉄で文灶なら……。
と思ったら両側から並んでる列の間にすげぇガキが駆け込んで席を取る──のを親が完全に見過ごしてる、というか容認してる。小皇帝として育てられたこいつらの末路に思いを致すところ。逆にこの親たちは……ガキを人質にされたらどんな機密でも喋るだろな。
1705文灶。ダメ元であの店を探してみよう。多分后隷渓路より駅よりだけど……。
飯堂主 帝豪大廈店に来て結構良いけれど──位置的にはどうも違う。チェーンでもないはず。心を鬼にスルー。
1715
よし后隷渓路。1719。この角のガジュマルは記憶にある。
可斯貝莉というパン屋が増殖中。
1727糕芙人 草鶏蛋・蛋糕
蛋糕 8.8元/半斤
卵の香、むおん。すごいケーキを作り始めた。控え目ながらじわじわと唐辛子のように効くカステラ
これは……なくなったな。
一本北の漚文路を通ってみる。
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※仮 火車站
←梧村車站 (19路)新華路口
←文灶 (139路)実験小学

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URL:https://www.360doc.cn/article/9087553_973813840.html
にしもんのブログ/2024年2~3月 厦門(アモイ)その2
URL:https://ameblo.jp/nisimon108/entry-12843246058.html
(びんな)閩南風/厦门的妈祖宫
URL:http://www.mnfeng.net/fsyy_fw/mz_f1_10.htm
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