外伝09♪~θ(^2^ )大窩到達編 第八日之ニ

 佐敦と尖沙[ロ且]の間を歩いてしまった。
 このルートを歩いたのは…そうだ。20年も前だ。初めての香港入りの時,今で言うインド‐トルコ間の猿岩石ルート(今は全然死語だけど)挑戦の時以来でした。
 初海外から2年目のあの夏。気炎ぷんぷんだったあの時は「アジアのツーリストが何で香港繁華街で時間潰さにゃならんのだ?ケッ!!!」的な青臭い勝ち気に押され,離島ばっかしうろついてました。
 それで不覚にも当時の記憶に何となく引きずられる格好で…香港島セントラルの埠頭からフェリーに乗ってみたわけです。
 6号埠頭より11時10分出航。便名表示は「由中環開梅窩」(中環発,梅窩行き。梅窩のピンイン(アルファベット表記)はMuiwo)。

 今回は香港各地の詳細入りの冊子地図を手に入れてました。もちろん主に街歩き用なんだけど,改めて見直すと――面白そうな島がいっぱいある。
 何がって?
 等高線の集中と拡散にリズムがあって,隣接集落との交通の断絶から集落に独立性がありそうな…これはスゴイ!!
 何を隠そう,もの凄く離島マニアなわしでして…たまらん環境だってことに気付いてしまったわけ。
 高速で片道運賃28.4HK$と結構高い。普通便でも20HK$以上する。
 30便/日と不便のない便数,乗客も相当数ある。船の席数は231,立派な大型船。船内はなぜか広島-松山間の高速船と酷似してました。
 船の窓外を波が流れ去る。ケータイのアンテナは3本突っ立ったまんま。

 行く手の海面の向こう側に,ランタウ島の東側の港・梅窩が近付いてくる。
 予想以上。かなりデカい島だ。
 山塊の方向としては九龍に続いてる。大[シ奥]-東桶-[サ/全]湾-沙田のラインが谷になってる形だ。
 それだけに,この谷から南に押された形のランタウは,せせり立つような高低差。山頂は雲で煙って見えない。植生も豊かな感じ。
 左手に,喜霊州という島を過ぎる。全島が,別荘地の城みたいになってる。香港人にとっても人気のエリアらしい。
 11時40分,梅窩に上陸。晴天。

 梅窩の港周辺はアパート多数。ちょっと小粋な香港島への通勤圏というところか?左手だけで15棟はある。
 てゆーか…伝統家屋が皆無?アパートしかないんですけど?港右手に熟食市場はあるが,これも夏の海水浴客シーズン用の急造っぽく,近代になって掘削した街に見える。
 ここは中継点ってことにして,西南側の大窩という街へ進もう。
 にしても,やたら「窩」の字が多いのね。意味を調べてみると――窪み?「眼窩」とかで使う文字です。つまり…海岸線が窪んでるというだけの意味?
 としたら「大窩」だって何も歴史のない入江って可能性はないか!?
 とにかく,11時50分発の大ウォ行きというバスを見つけた。
 ここまで来たら見てしまおう。乗る。
 次便は12時30半。まあまあ便はありそうです。島の主ゆうなのは間違いない。
 大型バス,乗客は15人ほど。白人3人。学生4人。
 バスが高台に登ると梅窩の街が見渡せた。港を挟んだ北側には一般的な住宅街も広がってる模様。ただ別荘地めいてるか?

 11時55分,一つ目の峠を越える。ハイキングルートの表示が多数見える。
 植栽は非常に豊か,完全な自然林。広葉樹だらけの歩けないジャングル状態。
 ジャングル,時々産廃場?どっさり放置してあります。
 初めての集落。地図で見ると羅屋村と思われる。ここから南岸を走る…はずが山中へ?東桶との三叉路にもう出た?時間は12時2分,結構速い。すっ飛ばしとるな。かなり揺れは激しい。
 すると?右手に見える山が昴坪(NgongPing)か?地図にはあの頂上までバス路線がある。あそこまで行ってケーブルで東桶に降りるルートを行ければ最高だが…。
 左手には海水浴場が伸びる。砂浜はあるが岩場も目立つ。沖に一つ小島あり。
 2つ目の集落に入った。
「士多」という小店が幾つか見える。川龍村にもあったが…「ストアー」の音訳か?
 再び,砂浜を見下ろしつつ峠に向かって急な登りに入った。
 右手に池。人口らしき整形だが貯水池か?左手海際はリゾートホテルらしい。
 急にアンテナが立たなくなった。あっ,今ついに圏外に。地形プラス,この辺りが島で一番自然の支配度が高い地域らしい。道の両側が頭上高く聳えるジャングルと崖になる。ほとんどトンネル状態です。
 ふいに,右手に眺望開けた。そこに顔を出したのは,山水画みたいな切り立った岩山。この晴天下ながら頂上は雲中に突き刺さってます。凄い光景。
 ケータイアンテナ,3本復活。
 12時19分,下り坂に入る。周囲は急峻な山だらけの谷。道路工事が何カ所かある。崖崩れが多発してる一帯らしい。
 12時24分,集落に入る。仏教何とか中学前のバス停が見えた。
 12時27分,大窩に着く。海岸沿いの開けた場所。
 街は…ここから奥まった湾沿いに広がってるらしい。

※後日なら徹底的にメモを取るところだけれど,この頃は単に写真だけ撮ってます。列挙します。これだけ見るととても香港の画像に見えぬ風光です。
▲バス停から集落への入り口辺り。この辺りから湾の入り口を跨ぐ橋にかけては土産物屋が多い。そう多くはないであろう観光客に依存するほど,経済的には脆弱と見える。

▲湾の橋辺り,干し魚と海沿いの家屋群。
魚の干し方は日本の瀬戸内や山陰の漁村と全く同じ。バス停近くの売り物もコレが主体。一応味見はしたけど…まあまあでした。
家屋の形態は,東南アジアでよく見る形。ただこれも瀬戸内や山陰の古い形態ではある。隠岐にはまだ名残が残る。

▲湾の奥を望む。湾を取り巻くように集落が伸びてるわけではなく,なぜか湾のくびれ部に集中してる。
湾の奥はそのまま山裾。禿げ山で利用の形跡が無い。ちょっとしたリアス式の海岸線だから平地に乏しいのかも。

▲橋を渡った向かいの集落辺り。のどかです。

▲湾口を挟んで集落を見る。小船が行き交う。
中心部を少し離れると,住居は,コナンのインダストリアみたいな水辺のアルミ製住居ばかりになる。