020-2十人町地蔵堂・くだり(長崎)\長崎withCoV-2_Omicron\長崎県

ロチ-菊の御成婚から百四十年

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)

十人町8と16間東行路へのT字

てと?そろそろタイムアップです。
 観光地としては西行・オランダ坂へ出るルートも採れますけど、距離的にはこのまま北行してみさき道塚、でしょう。
 1015。十人町8と16の間へ右折東行。
8と16間路

017、介護用品のベンチのT字路に突き当たる(→GM.)。
 上下の写真で十分映せたと思います。さりげない秘地というのか──まさに長崎の坂、という坂道です。
介護用品のベンチのT字

ンチから左折北行。
 ロチ碑に至る40mほどの路地です。この北行路は、前記ほどの味わいはなく、さらっと通り過ぎたくなる十人町の普通の路地ながら──
1020振り返る

十人町9に小山あり

の道の右手に、数mほどの石垣があります。
 段差があるわけですけど、多少の起伏はあるけれど周囲にこの段差の継続と見られる地形はありません。

東側への石垣

──から信じ難く、グーグルアースで確認するとやはり見つかります(→GM.:地点)。
 なお、この時の現地でもグーグルアースその他のツールでも確認したので間違いないと思うのですけど、この地形は段差というより、十人町9側のこの地点が小山状態で隆起しているようなのです。
十人町8-9間付近陰影図、ただし該当高度のみ色分けを重点化〔地理院地図〕

人屋敷の西縁地形として考えても、どうにも分からない位置です。ただし、東側と同じく唐人町を監視する高台としてなら使えたでしょう。
 かなり苔むしてる打込接ぎ。地形は古いと思います。

023、T字を右折東行すると──あ?ここで「ピエル・ロチ寓居の地」碑に出るのか。
 1025、みさき道塚。つまり森橋とこの塚の道が、グレイなこのゾーンへの東口です。西へは遠見番所ほか、限られた出口しかない。繰り返しですけど、無理に行こうと思わない限り、偶然通ることはほとんどあり得ない不思議なエリアです。

孫文の来崎より百二十年

急ぐ道中にて「立呑マニラ」??

中──どう通ったものやら、船大工町商店街を通過して上の写真を撮ってます。この辺りには、地元の方によるとマニアックに良い店があるらしいんですけど──そういう分野を開拓する余力が今のとこありません。
夜にはこんな情景にもなるらしい〔GM.より〕

040 ツル茶ん本店
真正トルコライス750
1880円という気の狂ったような高額トルコですけど──意外に(?)美味かった。ラムの肉汁がドライカレーのライスにじわりと滲み出てる。羊肉が好きならまあ宜しいかと。
狂ったようなツル茶ん最高値メニュー

らなかったけど……孫文故縁之地碑がここに立つ。鈴木天眼の「東洋日の出新聞社」がここにあったらしい。──というのは後日学習いたしました。内部リンク参照。

内部リンク▶010-1唐人町\\長崎県/■レポ:孫文 梅屋庄吉 他千人の大アジア
「たった一度の約束」TV東京系・2014 登場人物相関図〔後掲ilovecb〕

角に一応電話してみると──出ない。でも昨日は話中だったのが……今日は繋がる。でも危険だな。──あ!火曜定休か!向かうとこだった!
 1109、思案橋から赤迫行き乗車。
 1130。大八に行列?でも、なぜかどっと出る客がありました。二巡目の良い時間だったんでしょか?
1131大八
ちゃんぽん510

大八ちゃんぽん

んの少し時間が残った。
──このタイミングで、ゆっくり帰路の列車を待たずにこのルートを採った無謀さには、我ながら感服します。
 いやあ、バカだねえ。

~(m–)m 本編最後の行程 m(–m)~
GM.(経路)
:中華大八〜聖福寺 開山老和尚塔所

福済寺銀色観音の七十年

筑後町幣振坂を登る

午を回りました。中町通りを東へ。更に裏手の筑後通りへ。
 ad.7と6の間、幣振坂※を登る。非核非戦の碑の矢印も見えてます。

※長崎にはヘイフリ坂が複数ある。由来はいずれも、風頭山からの石材切り出し時に、人夫達の労働意欲を喚起するため御幣(紙を切り細長い木に挟んで垂らした神祭用具)を振った伝承ですけど、切り出しルートが複数あったと見られる。最も有名な二本は、大音寺だいおんじ皓台寺こうだいじの間及び長照寺ちょうしょうじ延命寺えんめいじの間です。これに対し上記の幣振坂は、東本願寺脇の石段坂で、映画「解夏」冒頭及びラストの舞台となりました〔後掲長崎市〕。

左手銀色観音

お!!左手に見ゆる銀色観音は──以前見た福済寺の、亀の上に乗ったあのヒトですね。全長34m。
 1218、坂のトップに仏像。中町地蔵堂。ad.立町二丁目15。

幣振坂トップには猫

中町地蔵堂T字にぶつかる

っと?これを右折東行、等高線ラインを進む。一般墓地の山手に神社風の祠、そこから右に進んだ場所──
等高線ライン

だか浮世離れした等高線ルートです。
 メモはしてませんけど、あまり恐れる様子もない猫が撮れてます。
途中の火の神

神様は長崎の墓地の当たり前ですけど、この文字は赤が多い記憶です。だからここに赤の花を合わせる発想も、多分長崎では珍しくない。
山側の墓地内へ

こか。
 墓地の中でも、何か最果て感というか、彼岸の感じが強い場所に着きました。

聖福寺開山老和尚塔所の四百年

聖福寺開山老和尚塔所

226。聖福寺開山老和尚塔所。
 聖福寺の開山は隠元の孫弟子・鉄心道胖と伝わります。1641(寛永18)年生-1710(宝永7)年没。唐人・陳朴純を父、長崎地元の商家・西村家※の娘を母とし長崎で産まれる。ただ、なぜかこの墓にも関連サイトにも、道胖の名が記されません。

※異父兄に唐通事の西村七兵衛があるという〔wiki/鉄心道胖〕。現・書店「法藏館」が初代とする人物〔後掲法藏館〕。

祠部アップ

の線香。神体の位置にあるのは、御棺の形に見えますけど──この時代にそれはないはずです。
 正面に家紋があります。──今のところ照合する家紋は見つかりません。
正面香炉の家紋

福寺開山老和尚塔所からの下り道は、GM.には明瞭には書かれませんけど──まっすぐ降りると聖福寺境内。例のリサイクル壁横でした。
 当該塔所を準寺域として管理しているから、と感じてます。
聖福寺への下り階段

は山門を解体工事中。工事中の画像も展示されてました。

長崎駅前高架広場の半世紀

えらく誠意をこめて謝ってる工事看板

路へ。
 完成しつつある長崎新駅を、一枚。
新長崎駅が姿を現しつつある。

置から考えて、上の写真はほぼ最後の時期の駅前高架広場から撮ったものと推測します。
 長崎に着くと、ここに2カ所あった喫煙所で一本吹かしてから、宿に向かってました。この高架広場、1969年に建設されて半世紀余にして2024年撤去。
長崎駅前高架広場