③(漁業・貿易・商業)
④「備わった情報
処理能力を適度に働かせようとする欲求」
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定住 -①登記 - ②課税客体
(所有権保全)
(= 居住権保全)
- ③農業
- ④文化形成
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ハウジングファースト施策
- 生活保護客体
目録
定地農耕や賃金労働といった定住的な経済システムの把握・支配を得手とする多くの国家にとって、永住地を策定しながら遊動的な生活を送る人々を一定の土地へと定住させることは、野蛮な彼らを文明的かつ勤労な国民へとつくり変え、自国の管理下に囲い込むことと同義であったからである。ジェームズ・C・スコットが端的に述べるように、「「文明化」すること…(中略)…は、実質的には、国家に完全に統合され登録され、課税対象になることとほとんど同じ」(スコット 2013: 100)だったわけである。〔スコット2013←藤川2020 2枚目p107〕
国家による支配を受けずに生きるという集合的な戦略がどのように可能であったのかを、ゾミア――ベトナムの中央高原からインドの北東部にかけて広がり、東南アジア大陸部の5か国(ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマ)と中国の4省(雲南、貴州、広西、四川)を含む広大な丘陵地帯――に住む少数民族の歴史から紐解いている。〔後掲佐藤2014 1枚目p145〕
第3章「労働力と穀物の集積――農奴と灌漑稲作」では、余剰人口と穀物の地理的集積に着目する。国家形成の基礎となるのは収奪である。その一方で、山地民の移動耕作は
中心から「読みにくい」
。そのため、強制移住と定住化推進策がとられる。灌漑農業を基本とする均一的な農業生態系は、「水稲国家」でもある東南アジアの前近代国家が労働力の集積と収奪を目的として作られた。そして、国家による人口支配を担ったのは商品としての奴隷と捕虜、地籍図による課税対象の把握であった。このような国家には民族的・言語的背景が異なる集団が包摂され、同化し、混合していったため、血統ではなく実利の問題を通じて国家のアイデンティティが創出されていった。
第4章「文明とならず者」では、「野蛮人」を国家の産物として位置づける。水稲国家の低地エリートは独自の文化をもち、文明化したカテゴリーを規範として創りあげた。ゆえに国家に組み込まれない、または編入を拒否する者を「野蛮人」と呼んだ。辺境におけるこの民族的分類の発明は、文化ではなく行政による支配に起因する。国家権力にともなう税、徴兵、人口稠密による貧困や疫病から逃れようとした人びと
は、税制と階級制のおよばぬところに分散して暮らし、分節化した社会組織を保っていた。このように、民族/エスニシティという概念は、創られた国家の内部と外部のはざまに生じるのである。〔後掲佐藤2014 2枚目p146〕
第6章+1/2「口承、筆記、文書」では、低地国家の隙間に入り込むように暮らしている国家なき山地民に共有されている、口承の伝統の特徴とその力が描かれている。筆記の伝統は政治と行政を恒久的に集権化させる道具として地位、英雄、領土を主張する。それに対して、
口承伝承は国家そして「歴史」なき集団が描く物語
で、旅程、敗北、移住、風景を強調する傾向にある。この伝統は低地社会との接触の際にその日和見的な力を発揮することがある。口承伝統で説明される習慣、系譜、歴史が他集団との利害関係に応じて戦略的に再構成される点がそれに該当する。〔後掲佐藤2014 2枚目p146〕
スコット 私は民族解放の時代に学び、セク・トゥーレ、エンクルマ、ホーチミン、毛沢東に胸を熱くした世代です。しかし、ボリシェヴィキ革命やフランス革命について読んでみると、いずれの革命も、もともと存在した国家よりもかえって人民に対して圧政的になったことを知り、幻滅しました。ボリシェヴィキはスターリンを生み、フランス革命はナポレオンを育て、中国の革命は大躍進運動と毛沢東の暴力行為に至った、といった具合に。無政府主義者としての私の共産主義に対する批判は、共産主義は国家中心主義であり、
元の国家よりたちの悪い、強力な統率管理国家を産む
、というものです。〔後掲佐藤2023〕
スコット タイトルはウィスコンシン大学のクラウズナー教授が教えている講義の題目から借りたものです。しかしこのタイトルを選ぶにあたっては、フェルナン・ブローデルの『地中海』を意識していました。『地中海』の第2章でブローデルは、
文化と文明は平坦地を移動することはできるが、山を登ることはできない
と述べています。つまり、山岳部と平坦地を比べると、そこには文化の違いがあるというのです。文明はおよそ標高500メートルを境に、山を登れなかったと彼は言いました。彼の指摘をさらに的確にするために、私は「文明」の代わりに「国家」という言葉を使ったわけです。
本が出版される前、この研究について話をする時には「文明はなぜ山を登れないか」と少しおどけたタイトルをつけていました。しかし私の本の主張は、文明には山登りができないという点ではなく、人々は国家から逃げるために山を登る
、という点にあるわけです。〔後掲佐藤2023〕
スコット これは世界中の山岳地帯にあてはまるわけではないですが、数百年前まで山地の人口密度は低かったということは言えます。条件の良い土地から追い出されて、国家から逃れようとした人々は山を登ったわけです。〔後掲佐藤2023〕
スコット 最近、ギリシアで講演を2度行いました。最初の講演のテーマは、私が「新石器時代後期の再定住キャンプ」と呼ぶ時期の家畜化と栽培化についてでした。「野蛮人の黄金時代」と題した2つ目の講演は、
国家が弱く、人口の大半が国家の外に居住していた時代
についてです。人々は簡単に国家の領域から出たり戻ったりでき、低地国家と自由に物々交換をしていました。国家を襲い、略奪することもありました。低地民と贅沢品を交換しながらも、税を払わなくてよかったので、低地のおいしいところを独り占めしていたわけです。
興味深いのは、カリマンタン島やボルネオ島では中国との贅沢品の取引がすでに7、8世紀に始まっていたことです。つまり、この人たちは自給自足する狩猟採集民だったのではなく、狩猟採集する交易民
だったわけです。オーストロネシア人がボルネオ島に移住したのは、そこが自給自足に適していたからではなく、実は商業をするのに有利だったからではないかと指摘されています。
この時期の国家とは、交易もできるし、また襲って略奪することもできた。つまり野蛮人として生きるほうが良かったわけです。そんな時代は1500年ころまで続いた
と考えています。(続)〔後掲佐藤2023〕
(続)佐藤 しかし「より良かった」とは、何が基準になっているのでしょう? 「自由」ということですか?
スコット 「自由」と言ってもいいでしょう。しかしそれだけではないという点を強調したいのです。当時の狩猟採集民の骨格を農耕社会の農民たちと比べると、明らかに骨は大きく、背が高く、病気の痕跡が少ないわけです。つまり健康、暮らしぶりの良さ、長寿を求めるのであれば、穀物社会の外に住むべきだったということなのです。多数の人間や家畜を狭い居住地に詰め込むと、現代の鳥インフルエンザのような新しい病気が発生するわけですが、このような病気はまばらに居住している狩猟採集民社会では起こりません。いわゆる「新世界」の人口の95パーセントが死亡したのは、「旧世界」の病気と接触したからです。〔後掲佐藤2023〕
スコット 確かに社会科学は人間の行為をとても薄っぺらなものとして扱う傾向があります。問題は、正確にどの程度薄められているかという点にあります。あまりにも薄いと、予測に役立たなくなってしまいます。
私が出版した中でいちばん示唆に富んでいるのは、フィールド調査を基にした『弱者の武器』でしょう。そこでは対象を広げて、何千人もの市民が軍隊から脱走したり、脱税したり、仕事を怠けたりするといった「日常的な抵抗」は、長い年月をかけて国家体制を崩すことができる
、と主張しました。社会科学者として、私はどうしても視野をできるだけ広くとって、物事を大局的な観点から理解したくなるのです。
もうひとつ具体的に言いましょう。『ゾミア』の中心は、東南アジアの山岳地帯です。しかし重要なことは「ゾミア」は世界中にいくつもある
という点です。例えば、アフリカの一部にも似た地域を見つけることができます。またインド洋と大西洋に広がっていた奴隷貿易ネットワークの外に逃げた人々が集まった地帯もあります。いずれはアフリカ、ラテン・アメリカ、中央ヨーロッパでも「ゾミア」を見つけたいと思っています。〔後掲佐藤2023〕
その他発想法
佐藤 私は1998年に1年間イェール大学へ留学した時、先生の講義要項(シラバス)にイラストが多く盛り込んであるのを見て驚きました。(略)出版や講義の面で、先生のコミュニケーション・スタイルはどう発達してきましたか?
スコット まずシラバスの話ですが、さきほども言ったように私は「おもしろ主義」者なのです。シラバスにイラストを入れるというアイデア自体が単純に好きなのですよ。授業の終わりに詩のコンペも行います。私が農民詩人の作品を2、3編読み上げ、その詩人の名を言い当てられたら私がランチをおごる仕組みです。もちろん、今はもうグーグルによってコンペの意味はなくなってしまいましたが。要するに、私はユーモアや面白いことが好きで、それを抑えることができないのです。〔後掲佐藤2023〕
スコット 面白い発想であるのならば、7分間で充分発表できるはずです。私ならこう言うでしょう。「7分間で論点を明らかにしてください。その後すぐ議論に入ります」と。1冊の本について話す時でさえ、論点は2つか3つのセンテンスでまとめられるはずです。「あなたの最も主要なアイデアを教えてください」と。今日、学界は極度に専門化されてしまい、「針の先で天使は何人踊れるか」といった問いを延々と論じた中世のスコラ哲学のような議論が多くなってしまいました。これは破綻的な状況です。
こういう状況を打開するには、外部から「それは本当に面白いことなのか?
」と疑問を投げかけてくれる存在が必要です。私の運営している農村研究セミナーでは、各トピックの専門家は討論者に選ばれません。というのも、専門家は専門家同士の会話に終始してしまうからです。〔後掲佐藤2023〕
佐藤 私を含む多数の学者たちは先生のような考え方をしたいのですが、どうやればいいのかわかりません。(略)先生はどうやって独創性の源泉を保っているのですか?
スコット (略)おそらく私のコースでいちばん面白いのは、私自身にとってそのトピックが新鮮な時でしょう。私自身が学生とともに文献を読んで、発見していく時です。
たとえば、河川についてのゼミを始めた最初の2、3年、私自身が知らないことが多いので、どんどん新しいアイデアが湧いてくるのです。たいてい馬鹿げたアイデアなのですが、私自身反応を知りたいので、学生の言うことを熱心に聞くのです。大切なことはそうやって私の意気込みが学生に伝わるということです。私自身がよく知らないことなので、実はそれほど教えているわけではないのです。大切なことは、新しいことを発見して喜ぶと同時に、まだ知らないことに対して開かれた心を持つことでしょう。
大学院生の時に政治学のロバート・ダールのコースではこんなことがありました。ダールは実際にあれこれあまり教えることはありませんでした。その代わり、こんな課題を与えるのです。「今から振り返ると明らかに愚かであった決断を歴史の中から見つけ、そのような決断にいたった過程を説明せよ」。これはすばらしい課題です。彼は教育への熱意に溢れていました。
(略)われわれ学者の仕事は、とにかく毎日アイデアを産み出していくことでしょう。大半が馬鹿げていて使いものにならないのですが、鍵はどのアイデアが良くてどれが駄目かを見極めることです。この実験的セミナーは、アイデアに潜在する可能性を発見することを目的とします。学生たちは普段アイデアをどう批判、批評するかを教え込まれているわけですが、このワークショップではアイデアの優れた点を見いだして、どう発展させていけるかを探るのです。テストするのではなく、アイデアを育てるために議論をします。〔後掲佐藤2023〕
〉〉〉〉〉参考資料
/2014/【新刊紹介】ジェームズ・C・スコット著、佐藤仁監訳『ゾミア――脱国家の世界史』(みすず書房、2013年、464ページ) :国際教養大学国際教養学部グローバル・スタディズ課程 『国際開発研究』 第23巻第2号(2014)
URL=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jids/23/2/23_145/_pdf/-char/ja
/2023/『ゾミア――脱国家の世界史』に至る着想のプロセス
ジェームズ・C・スコット氏インタビュー「地域研究のアイデア」(聞き手・佐藤仁)
URL=https://magazine.msz.co.jp/recommend/07783-interview/
※原文末尾「本インタビューは2011年6月にスコット教授の自宅で行われた。本人の校閲を受けたこの文章は、英語の元原稿を日本語に翻訳したものである。」
(すこつ)スコット、ジェームズ・C 2013 『ゾミア―脱国家の世界史』佐藤仁(監修・訳)、みすず書房
(ふじか)藤川美代子 2020「定住本位型社会で船に住まいつづける―国家による複数の管理システムを生きる中国福建南部の連家船漁民―」『年報人類学研究』第10号 2020年「特集 不確実な世界に生きる―遊動/定住の狭間に生きる身体」
※南山大学機関レポジトリ URL=https://nanzan-u.repo.nii.ac.jp/records/3658
PDF URL=https://nanzan-u.repo.nii.ac.jp/record/3658/files/jinnen10_06_fujikawa_miyoko.pdf
