《’23.09南海岸》ムジャンケン・ジャンオタンの日에서麗水

献句
霖やチューバにぽつと差すオイル
【本句】朝焼やユーフォニアムにオイル差す 〔小牛田農林〕
D「なぜユーフォニアム(楽器)?」「朝焼の緊張感を描写」
手銭「まずユーフォニアムというマイナーな楽器を選んだところがよい。朝焼は『丁寧な作業』として響き合う」

※ムジャンケン 무조건:絶対に

[前日日計]
支出1300/収入1230
    ▼13.0[①256]
    /負債 70
[前日累計]
利益 -/負債 655
九月十六日(六)
0710 부전돼지국밥 プチェンデジクッパ
따로내장국밥 ダロネジャンクッパ 400
0807 A TWOSOME PLACE
AMERICANO
1504 サンチャンシッタン
ジャンオタン 400
1550 IL MARE CAFE
アメリカーノ
1722 アラシッタン 아라식당
ジャンオタン 장어탕 400
[前日日計]
支出1300/収入1200
    ▼13.0[①256]
    /負債 100
[前日累計]
利益 -/負債 755
九月十七日(天)
▼▲
沙上→麗水バス始発0740 次発0925 1050……計9便/日
沙上 사상 sasang
麗水 여수 yeosu

構内に貢茶があったのでタロを一杯。もちろん日本と違って普通に空いてます。ハングル文字はなぜかないけどGongChaと英語があるからいいんだろか。タロは타로。
作ってるとこが見えたけど……コレって粉をミキサーにかけてるだけなんですね。

麗水へのバス乗り場

BTと裏手の老舗モーテル

モーテルはBT北側(BLACK M.の坂の西延長線)には山ほどありました。えらく老舗っぽい魔法の館みたいな建物(비너스で「ビーナス」らしい)も……好いなあ。
23番PFからは麗水(簡体字で丽水と書いてある)のほか,水原・龍仁・唐津。24番から光州。22番に漢字のない行き先はソウルの南部BTらしい。21番から今出発しようとしてるバスは昌原行き。この便はかなり頻繁に発着してます。待つ間に3便。──皆さんスマホ画面をバス入口の機械に読み取らせてるから,予約をネットでやっておいてQRでも読ませてるらしい。この辺はCOVID間に格段進んでます。日時や路線に関わらずこんな状態だと考えなきゃいかんけど……ここだけの話,帰路ははっきり決めとらんけえ予約できんしのお。

※高速バスアプリでのチケットレスサービスは「韓国の電話番号で本人認証ができ、韓国のカードがある人しか使えない」〔Creatrip※※〕。外人旅行者は予約した後でBTで発券が必要とのこと。

※※Creatrip: 韓国で高速バスを利用する方法
URL:https://www.creatrip.com/ja/blog/1525
──待てよ?土日だから混んでるんだとすれば宿は大丈夫なんでしょか?

今,スマホ画面に「最重要」とマークされたハングル文字のメッセージが10個も出たけど……何なんだろう?
それにしても,韓国のバスの運ちゃんってそこらのおっちゃんと全く変わらん格好してる。制服も何もない。
ベンチの隣にかけたおばはんが重箱の包みのような荷物をベンチに載せてる。光沢のある黄色の風呂敷で包んでて,上側で綺麗に蝶々結びしてます。こういう結び方って韓国の民間に伝わってるものなんでしょうか?
雨はまた盛大になってきました。
1100になってやっとバスが入った。やはりチケットのQRコードを運転席隣のリーダーに読ませるらしい。最後部の左隅席だけど一段高いので(揺れるかもだけど)見晴らしはよい。左の肘掛けは壊れて下りたままだけど……まあ総して幸先よいスタートと言えよう。わははは,麗水へ出発じゃあ!

旅人や秋に後る丶雲と水
秋ぐちのすはやとおもふ通り雨

釜山-麗水 バス車内

麗水三連泊の方向は,早朝バスのソールドアウト時点で決めてしまいました。「あの小さな町で三泊?」とはもう思ってません。歩くべき場所があるし,もちろん喰うべきモノもある。

李氏朝鮮の「空島政策」

元禄竹島一件 資料5 参照
 鬱陵島(当時の名称は「竹島」)をめぐり日本と朝鮮の間で交渉が行われたが決裂し、1696年1月、朝鮮との関係に配慮し、幕府は鬱陵島への渡海を禁止しました。
 朝鮮王朝は、15世紀以来鬱陵島への朝鮮人の渡航・居住を禁止し、この島は無人島になっていました。1692年(元禄5年)、村川家が鬱陵島に行くと、多くの朝鮮人に遭遇しました
 翌年、1693年に鬱陵島に渡海した大谷家も朝鮮人に遭遇し、その場にいた朝鮮人2名をアワビ漁ができなかった証しとして日本に連れ帰りました。そのうちの一人は、安龍福(あんりゅうふく)でした。
 その後、江戸時代、対朝鮮外交・貿易の窓口であった対馬藩は、江戸幕府の命を受け、安龍福らを朝鮮に送還し、朝鮮に鬱陵島への渡海禁制を要求する交渉を始めました。しかし、この交渉は決裂してしまいます。
 1696年1月、幕府は、朝鮮との争いが生じるのを避け友好関係を尊重して、日本人の鬱陵島への渡海を禁止することにしました。その一方で、竹島への渡海は禁止されませんでした。このことからも、当時から、我が国が竹島を自国の領土だと考えていたことは明らかです。
(略) 確かに、安龍福が渡日した記録は残っており、その点は事実なのですが、安龍福は、朝鮮王朝が空島政策をとっていた鬱陵島において、漁をしていた漁民でした。
 韓国の主張においても引用されている朝鮮王朝の記録『粛宗実録(しゅくそうじつろく)』によれば、1697年、安龍福は、朝鮮に帰国した後に取り調べを受け、その後に、朝鮮の官吏は、安龍福を「騒がしい漁民」、「風に漂う愚民」と表現し、王朝がそのような者を日本に送るはずがないと述べています。また、朝鮮国から対馬藩主宛の書簡において、安龍福の行動は「妄作の罪」にあたり、流刑に処したと伝えられています。
〔後掲内閣官房〕

※内閣官房 領土・主権対策企画調整室/鬱陵島・竹島への渡海許可とその後の鬱陵島渡海禁止
URL:https://www.cas.go.jp/jp/ryodo/taiou/takeshima/takeshima01-01.html

1692(元禄5)年の鬱陵島で村川家の人々が「多くの朝鮮人に遭遇し」たのは,空島政策に明らかに反しています。末尾部の「騒がしい漁民」「風に漂う愚民」という呼称が指すように,彼らは,血縁や遺伝子的な属性はともかく──おそらく朝鮮の統治体制に属していなかった海民=マージナルマン(境界人)だったでしょう。李氏朝鮮の空島政策は清の遷海令とは異なり,農地と防衛と税で李氏王権に連なる者は島に住むな,という限定的なもので,「日本人からは朝鮮人に見える海民」までを含まなかったものらしい。──こうした記録が表に出て来たのは,内閣官房が領土問題上正史以外のものも含めた史料を網羅的に漁ったからで,通常の海浜や島については打ち捨てられたままなのでしょう。
 今回,かなり調べた巨文島を諦めた文章に次のものがあります。巨文島(旧・狐草島)も無人だった島だという。つまり,李氏朝鮮が海民を自国民として認めない,責任を放棄するという宣言が朝鮮の空島だったと考えられます。

 朝鮮半島南方の多島海にある島のひとつ巨文島は、古来海上交通の要衝として、また豊かな漁場の拠点として知られていたが、歴代為政者の空島政策により、長く無人島であった。〔後掲新書マップ〕

※新書マップ/韓国巨文島にっぽん村 : 海に浮かぶ共生の風景 –
URL:https://shinshomap.info/book/9784121011817.html

逆に言えば,海浜や島の古い──李氏朝鮮的には「無人であるはずの」場所に存在した集落には,近世の海民の純粋な姿が残っている可能性があります。
演繹的にはそうなるのですけど,実際に,即ち帰納的にそれは確認されるのか?前回掠めた麗水の山手の迷路道が,そのものではなくともホールドにはなりうるのではないか?というのが今回の麗水歩きの薄くて粗いヴィジョンなのでした。

麗水 여수 yeosu

1345麗水……いや?数人下車するもここは手前のバス停。チェーン店群が並ぶ。山中ながら何かの拠点が出来てるらしい。これまでと違う進入路を採ってます。
1348トンネル。
山肌に朝鮮墓一基。
段々畑状の岩山。
さらにトンネル。道ははっきりとした傾斜で下り続けてる。
霧深い曇天ながら雨は止まりました。
またトンネル。抜けると海が見えました。海辺に濃霧を纏う幾つもの塔。
無人の湾。さらにトンネル。奇景が続く道です。
今度は村と畠の散らばる谷。そこから,干拓地なのか一面の畑が埋める大きな湾。
あ,線路が見えた。バスは側道から別の片側三車線道へ入る。つまり右折した形……どう走ってるのか分からない。ただ,客がわさわさ動き出しました。
 いや?ここも途中のバス停?麗水はかなり何層かに構造を成してきたようです。今,高層ビルの谷間を走ってる。これが新都心なのか?10度位は傾いた斜面の町をバスは横切っていきます。
登りになった?一丘越えるの?また雨足が早くはってる。
左手にユニクロ。ロッテハイマート。かなりの交通量です。

麗水BT

1418麗水BT到着。所要180分強か,かかったなあ。
このBT周辺にも大きなモーテル街。飲み食いに困らないだけの店もある。

麗水BT対面のモーテル街

이순신광장
(李舜臣?)
중앙시장여객선터미널
(中央市場?)(旅客船?)(ターミナル?)
광주은행(コアンチュウンヘン)

26路に乗る。やはり市内入の道は西から。反時計回りでバスルートは市内を結んでる。
あれ?チュンムロからは逸れた?
何とかホスピタル。
西市場もかなりの規模。
よし左折した。後は川を渡って……。この川沿いが麗水の最も古い町でしょう。
1440 중앙시장여객선터미널 中央市場旅客船ターミナルバス停下車。

バス停・중앙시장여객선터미널
(中央市場?)(旅客船?)(ターミナル?)

TMOTEL
ポットはなかったけど借りれた。
急いで出撃,傘を忘れたけどそのまま行く
モーテルt前の道

ターミナル通りYeygaekseon terminal-gil 여객선터미널길にカフェが二つできてました!

兎にも角にも──장어 ジャンオ!!!

アラ食堂の並びにも結構新しい店が増えてるようです。ただこのエリアで外したことはまだない!
7番は14時LO
2軒手前の店で運試し!
1504 サンチャンシッタン 상장
ジャンオタン 400
サンチャンシッタンのジャンオタン

おおっ!ジャンオネジャンタンとかあるぞ!この店ならでは!──ってそれはジャンオの味覚分かってなくね?
案の定……麗水のジャンオタンで外したのは1軒しかなかったんですけど,映えある2軒目になりました。
ジャンオ!

ジャンオは確かに載ってて,ジャンオグイとしてはまあまあの生々しさなんだけど,これはほぼモヤシ汁のジャンオ載せです。汁が全然ジャンオじゃない。
キムチは多種あったけど,とにかくおばはんが喧しく絡みついてくる。初食としては,まあ満足でしたけど──開拓としては失敗でした。これで14千W──二千円?店の空気をよく見て入った方が宜しいようで。チャカチャンカチャン。
IL MARE CAFEでアメリカーノ

1550 IL MARE CAFE
アメリカーノ
こちらは穏やかそうなおばはんが一人でやってる静かなお店。テーブルは五つ。なかなか好い。6千のパッピンスがある。
本式のアメリカーノです。エスプレッソの香が緩く留まってる。
こういう好い面も含め──麗水は4年前からは明らかにタガを外して,緩い田舎町から油断するとイケ好かない観光地の色を強めているようです。
目標地点①②③

1630チュンムロ Chungmu-ro 충뮤로

1627雨止めり。

~(m–)m 本編関連地図:六叉路南 충무동로타리 チュンムロロータリーバス停付近 m(–m)~

IL MAREのブロック北東角のスクランブル交差点から北行。これがチュンムロ Chungmu-ro 충뮤로。道は左に湾曲して続く。HOTEL KENNY

六叉路地点

1640六叉路。この地点からです。海を背にして北西,ハナオッスセン하나옷수선という白いビルの小店の登道へ。Jinnam-ro 진남로。あった。ハナの手前横断歩道の対面から路地へ。1652
ハナと横断歩道

六叉路からの路地道

六叉路を振り返って。側溝あり。

側溝が続いてます。
道のくねり方も酷い。湾曲だけでなく角ばってる。家が先に出来た道です。
1657路地道

福字の庇のある路地

福字の庇。
ad.Chungmuogeorian-gil 충무오거리안길
福字の庇の向こうに現代ビル

②地点。ちなみに赤い服が駐車場のおばはん。

②地点。北はホテルケニーの駐車場,南はすぐ繁華街。今の福字の家屋には「LOVE LOVE SHOP」「korean Franchise SEX SHOP」とある。何じゃそりゃ?
まっすぐ西行。1703
と思ったらさっき駐車場にいた婆さんが「シャシンシャシン」と騒ぎ始めた。撮るなというのか何かわからんけど目立ってしまったので繁華街に撤退して③地点の確認のみを目指すことに。
「for you」四連発

2階に「for you」四連発。だから何の店なのじゃ?
③地点

③地点は何といつもの歩行者道の入口の六叉路でした。裏道とこう接してるのか。ホールドは出来たと想う。
1713南行。
やっと晴れ間の見えてきた麗水中央路

麗水フェリーターミナル路

ホンジャ?というのが一人?とか一つ?という意味か?
ad.Yeogaekseonteomineol-gil 여객산터미널길
1722 アラシッタン 아라식당
ジャンオタン 장어탕 400
14千Wというのは今は相場になったようです。
毎食二千円は厳しいなあ……韓国は引き締めなければもうヨーロッパ並み,日本と同程度で済めば御の字ですね。以前はホント,半分か1/3という感覚だったのに──というか,ハレのお値段だけで,ケの生活ベースでは少なくとも日本よりは安いでしょけど。
アラ食堂のジャンオタン

アラ食堂のジャンオタン どアップ
カッキムチ
意外に美味いネギのキムチ
やはりクッパ状態が最高!

▼▲
お味は──記憶の旨味というよりも,韓国の田舎臭い料理として最高のお膳ということでした。
 ジャンオ本体にはやや強めの刺激臭と舌の痺れを感じる。フカのような,ということは幾分かアンモニア系の含有があるのでしょうか?ただこれが感じられるということは程好く料理されてるということです。
 これが,雑草系キムチ──カッキムチの他3種の土臭い香りと絶妙に合う。よく考えたら,どちらも元々は誰も食わなかったものを,双方上手く加工してる。アンモニア臭さと土臭さの昇華なんて──いや?ドジョウ汁もそうだ。割と韓国料理の一ジャンルなんじゃないか?
 その延長線なのか,ネギのキムチがやたらと美味い。ネギの粘りが唐辛子と核融合を起こす感じです。粘るキムチ──一人納豆キムチという感覚です。
 けれどアラの最高潮はやはりクッパ。米粒がジャンオの荒々しい魚脂をパンパンに吸い込み,汁の表を埋めている感じで,これはここにしかない現象です。米の炊き方が違うんだろか?何と何がマッチしてるのか分からないけれど,アラのジャンオ・クッパに優るクッパはないのであります。
ウメえ!

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港際は「左水営飲食文化街」Jwasuyeong Food Culture Streetという外国語名になってるらしい。

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