《’23.09南海岸》ムジャンケン・ナクチの日에서水営・海雲台\10th釜山二日目

献句
の月水営要塞の如何様師
※水営:スヨン
【本句】後の月監視カメラは傍観者 〔洗足〕
村上「監視,傍観というモノを見る語が重なる?」「取り合わせ。後の月の不穏さ。監視カメラは事件の起こっている途中は何もしてくれない」

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水営駅構内の釜山-鬱陵島-独島・竹島-島根・鳥取県の位置を掲げた地図

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参考地図:水営駅より北側付近

参考地図:上図中の水営市場付近の拡大





「TOILET」と指す同725변길に左折。1418
ダラケ・リーマンに再会
T字,左折。1423

ダラケ・リーマンに会える路地

家屋はそう古くはない。通行する人の数も多い。
1421路地を通るおばちゃんたち

1423古いような新しいような家屋

ad.13변길12-21
アーケードに出た。右折。すぐ左折してさらに右折。27변길へ。1428

1429 路地27변길 27巷

1430路地27변길 27巷の北側出口近く

卍あり。
あれれ?アーケードに戻ってしまった。いやこれは東西方向のアーケードか?左折,おそらく西行。
1434北側へ続く屋外市場

正面に緑地。右にはさらにアーケード外の市場が続いてる。正面の道名は수영성로 Suyeongseong-ro スヨンセン路。
歴史公園への道

歴史公園へ。1436
半円形石造の門(内側から)

半円形石造の門に「辛亥二月築」とどうもわざとらしい文字。
入口の公園地図

同地図遺跡紹介

すぐ分岐。一応左手から回る。「釜山左水営城址 곰솔」と案内板。
「釜山左水営城址 곰솔」

賭け将棋大会開催中

どうやら賭け将棋場になってるらしい。
上部の闘牛場みたいな場所に寺院建築めいたものがありそこが博物館もどきになってるんだろうけど──
最奥の寺院建築(博物館?)

どうも真実味に欠ける。こんな宗教施設があるものか。今子どもが紙飛行機飛ばして遊んでるけど──退散することにしましょう。

南側に안용복장군사당General An Yong-bok Shine 安龙副将軍庙/安龍副将軍祠堂とある。これだけ見て帰ろう。下る。

安龍さんの像裏のレリーフ

安龍さんの像と市内

寺院建築横手に鬱陵島・独島の何かのイベントPR横断幕

「忠魂塔」裏の文章1
「忠魂塔」裏の文章2

正面右手の「忠魂塔」裏には漢字交じりの文章。「東業倭館」「鬱陵島」「對馬島」などの文字がある。

この出口にはようやく日本語の案内板。

安龍福は朝鮮時代の東莱出身の漁民であり,鬱陵島と独島の守護に大きな貢献をして後世の人々から将軍と称賛された。将軍の業績を末永く称えるために、2001年3月26日プサン市民の志を受けて1967年建てられた水営公園頂上の忠魂塔をここに移転し祠堂と銅像を建立して新しくした。〔案内板〕

中国語も英語もそんな穏便なことは書いてない。ニッポン人観光客にはどちらも読めないと思ってるのか?

案内板英語部
案内板英語部後半と中国語部

水営史跡公園の要塞は、大韓民国釜山市スヨン区水営洞にあります。 ジュワスヨンの要塞跡は、朝鮮時代の水営史跡海軍の主要要塞の跡地です。かつては、合計65隻の戦艦と40隻の補助艦を備えた、7隻の海軍港が指揮下にあり、東海岸地域の防衛を担当していました。 ウィキペディア(英語)

帰路に城壁らしくした壁と武器を持って構える人形が数体。後方に教会

1530緑2号線にて海雲台まで4駅。
1543地上へ。
海雲台表通り
アルファベットが多すぎ。

お祭り騒ぎ。プサンのニューオリンズみたいな町になってしまってる。
道中で何かのイベントをやってる。

新しいビルに入居してたウォンジョハルメクッパブ

ハルメクッパブが立て変わってる!!なぜか無人。南側のバス停もどこかに行ったみたいです。
충무김밥김치재비 チュンム キンパプキムチスジェビの감자수재비 カムジャスジェビ

1559 충무김밥김치재비 チュンム キンパプキムチスジェビ
감자수재비 カムジャスジェビ300
駅前軽食店みたいなとこだけどこの時間にも客は入ってる。初入店。
裏で婆さんが一人で作ってるらしくスピードは極めて遅いけれど,足が悪いらしい御主人が懸命に給仕してくださいます。
カムジャ(ジャガイモ)部分はまさに芋そのものでしたけど──スジェビはきちんとしたスジェビでひた。なぜかこれは──餃子の皮ともワンタンとも違い,また粉っぽいウドンというだけでもない。
 出汁もなかなかだと思う。ソウル明洞の明洞餃子のようなニンニク辛くて,でも地味がしっかりした汁です。
スジェビどアップ
OPSのある海雲台

OPS!!
海雲台温泉がなくなってる!
OPS南側辺り

海雲台海鮮市場

海雲台温泉センター
──何か覚えがあるなあ。一度来たか?
4Fが受け付け,5Fへ上がって入湯──というのは風呂桶抱えた人に付いていったんだけどね。
ここの冷泉はやはりかなり効きました。

1739 1FのBLACK UP COFFEEでアメリカーノ

BLACK UP COFFEEでアメリカーノ

帰路,何と海雲台で駅の方向を見失ってしまった!最後は位置情報までオンにしたけど,どうやら駅の東側を歩いてしまってたらしい。なぜそんな道を採ったのか皆目分かりません。知ってるつもりが一番怖い。
1917海雲台から緑2号で5駅,水営へ。茶3号乗換,4駅で蓮山。橙1号乗換で2駅,東莱。

明日は西門と釜田を歩いてから,懐かしのチャガルチを経て土城に入ろうと思う。
Baker’sは廃業?田浦通りはもうダメか……。
1949東莱帰着

世界定額に入れてローミングをしてもネットに通じなくなってしまった。
一度WiFiを入れてから切ると繋がりやすくなるらしい。
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OPSのどら焼!

 なかなか微妙に凄かったのはどら焼でした。
 おそらく──日本の和菓子屋に評価して頂きましたら「✕」マークでしょう。餡の甘さに深みがなくて自然な小豆あんに過ぎない。そういう餡がダメな訳じゃないけど,シンプルな餅とかに使うべきで,餡が核心になるどら焼では使えない。つまり甘みのタイプを誤使用してる。
 ところが,ここで違うのは韓国特有の──とずっと言ってきたけれど,名古屋のパンはやや韓国パンに通ずるところがあり,つまり異常ではない──パン生地の甘みです。
 どら焼の生地自体がパン的に小麦甘い。
 小豆は豆の自然に控えめな甘みを持ち,生地も小麦の甘みを有し,どちらかといえば後者の方が甘さは強い。生地の甘みで小豆を食う,というどら焼。
 こういうどら焼が日本のどこかにあって,OPSの誰かにインスピレーションをもたらしたのでしょうか?それとも日本のどら焼をOPSのパン職人が良い意味で誤認したのでしょうか?
 チャジャンミョン(←炸醤麺)と同じく韓国特異の異国食の無理矢理移入──でもそれが怖いほど美味い──がここでも行われてしまってるようなのです。
 この「消化能力」こそが韓国食文化だと思う。ある意味──つまり特定の完成形状に固着して動かないものを食文化と定義する観点からは──韓国食文化というものはまだ存在しない,と言ってもいい。
(翌日:チャガルチ富平市場北縁)チャンポン 짬뽕の専門店

夜の東莱駅前のど派手なネオン

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