m582m第五十八波m漳浦m2. 4S上埔 mm リバースの曲の隙から雲の峰

0845北北西入口から錦江楼内部への通路

西北西に入口。扁額「安瀾著慶」。こちらから見るとまさに砦。
▼▲。入口に一人管理人のようなお爺さん。住人は今もあるらしいけど、まあ謙虚にして変なことしなけりゃ自由に歩いていいらしい。中へ。
錦江楼匾額と「乾隆辛亥年」表示

案内は飛ばそう、時間が惜しい。1791(乾隆56)年建成内圏、(嘉慶8)年続建中圏、清中期再建外圏とある。
内側入口の扁額に確かに乾隆辛亥年とある。

地理穴位
錦江楼楼門呈西南向、是一座内高外低三圏内通廊式園形土楼。楼堡所在地背靠丹山、面朝浯江、為”丹風伝書”的正穴、楼堡修建之処正是丹風之冠、被認為是風水絶佳之地。(略)〔案内板〕

0846内圏の空間

0846入口側から見た内圏正面

外回りの円周は入口で途絶えてる?あ、この円周だけU型に口が開いて視力検査みたいになってる。いくつか小さな段があるようです。
0848内圏と中圏との間からの空

0848内圏-中圏間、北西側

0849内圏-中圏間、北西、内圏門口

0849内圏-中圏間、北西側、内圏に干してある紫の布

0850内圏、最上に国旗

0858北北西入口、中圏-外圏間通路口

0859中圏-外圏間通路、北西

0900中圏-外圏間通路の植木

中圏-外圏間通路の最奥、西側に、三人のオバハンが茶飲み話に花を咲かせてました。
頭を下げて、雑談の間を過ぎる。
──厦門で何度も土楼ツアーの窓口や広告は見ました。でもこの形で、自力で来て好かった、と感じました。土楼は単なる建造物や文化財では、今はまだありません。生きられた居住空間が生きられているが故に増殖して円環を成した、いわばサンゴ礁のような住居です。バスから降りてガイドの旗に付いて回ってバスに駆け戻るのではなく、地面を這ってたどり着き周辺環境や住民の目線で見る方が、そりゃ同じ観光ではあっても幾らかは謙虚な視野を取れると想うからです。
0903中圏-外圏間通路にはためく洗濯物

上記画像が0902屋根の段の内側地点です。
0903退去
ラッキー、公厠がありました!帰路の道端でも立ちションできなくはないけど……田舎は割と視線が濃ゆいからね。
0907錦江楼と公厠表示

0908錦江楼の大厝

大厝そのものは下呉のほうが多い。ただし大厝はゼロではありません。これは錦東村は完全に客家の集落だった、というのではなく、大厝を造る福建土着の人々と混住してきたということでしょうか?それとも観光的に整備される中で、観光資源として土楼より劣る大厝がむしろ早くから撤去されたからでしょうか。
0912土楼を背景にバイクを駆る男

0913文殊院(下呉北側)への道を辿る農民

0914農地の配水設備は細かく整備されてる。

給水設備が整った畑。0915
0916農地脇に掛けてある薬液スプレー

大厝壁に手書きの「打井」広告と電話番号

打井というのは井戸掘りの広告
0932下呉大厝の中をちょっと覗く

         ▼2h
s1101     ←s1035
下吴 16路→金緑欧州城
 0930 1100 1600 1730
 but 火山公園-下吴∶57分
 ∴(①)1027 ①1157
   ②1657 1827

対岸下呉バス停を撮影

0938バス停・下呉に帰り着く
今日はいい風が吹く。台風の前兆ともいうけどとりあえず暑くない。
晴れてるけど雲は確かに台風のそれです。
0940バス停・下呉で50分、東を見つめ続ける。

タクシーがクラクション鳴らしてくるけど……絶対乗らんわ!
山のように黒の荷物を乗っけたバイクが歩道すれすれを爆走してきた。何と農婦、サイドカーに旦那様。
陽炎の浮く道路面に目を凝らし続けると一瞬飛んだ気分になる。しかも車両の姿が認知しにくい。
バスが来たけど2路?それは違うぞ?なぜ2路?乗ればよかったか?──まあ後の祭り。1010
え?2路は旧鎮までしか来ないはず……
万新広場という場所を覚えておいて、どのバスでも(タクシーでも)乗るようにしよう。
1027高德地图予定時刻の2分前∶1025、さっきのオヤジのバスが来た!16路、今度は二元にしてくれました。いいの?と訊くと、どうやらさっき取りすぎたのを相殺してくれたらしい。何はともあれ生還。
今度の車内は6人乗ってます。思わずウトウトしそうだけど……いかんいかん。

SNSを見ると、試してる何処かで打車を仕掛けた状況になってるらしく高德地图からお叱りが入りました。どうもよく分からん。位置情報だけで車が来るの?
旧鎮をよく見とこう。1034。日日新汽車。旧鎮鎮政府。この辺が東縁か。山の北側らしい。古鎮の門のかるロータリーで右折北行、ここが旧鎮。つまり集落は古鎮門の南か。
そうか!この時間に通るなら離脱時の火車站へは16路でいいのか!時間をメモしとこう。
BTでなぜか長く止まる。
1106金緑欧州城──遅すぎるか?
北のスタジアムを西に折れたところがバス停・地税局。この角にも花園を建設中。日本に絶対ないバス停・交警大隊。よく考えたら危険なバス停・交通大酒店。1111
バス停・医薬公司。やや登ってる。左折してバス停・新都広場。前方に霧巻き上げ車。南へ下る。
バス停・県政府。万新広場。昨日の道です。1116
バス停・西湖苑。確かに水辺ばかりの土地。なぜでしょう?

16路→(北京)現代4S站
※「中国の自動車販売店(ディーラー)は4S店と呼ばれる。4SとはSale(販売)、Spare Parts(部品、修理)、Service(アフターサービス)、Survey(情報収集)の4つのことで、日本の正規ディーラーに近い。一般的には、製造メーカーとは別会社(子会社のこともある)で、メーカーから自動車を仕入れ、販売をし、修理も行なう。
ところが、NEVの新興自動車メーカーは、既存の4S店での販売を行なわない。独自に2S店(Sale、Service)の2つを提供する店舗を直営やフランチャイズで展開をし、販売をしている。そのため、4S店の多くが燃料車のみを販売することになり、燃料車の減少とともに経営が苦しくなっている。」〔後掲HATENABLOG〕

広汽本田汽車有限公司(こうきほんだきしゃゆうげんこうし、グァンチーほんだきしゃゆうげんこうし、簡体字:广汽本田汽车有限公司、英字:Guangqi Honda Automobile Co., Ltd.、通称:広汽ホンダ)は、本田技研工業が広汽集団との合弁で設立した中国で四輪自動車の製造と販売を行う会社である。(略)
代表者 水野泰秀(総経理)
主要株主 広州汽車集団股份有限公司(50%)
     本田技研工業(40%)
     本田技研工業(中国)投資有限公司(10%)〔wiki/広汽本田汽車〕

広汽トヨタ自動車有限会社(こうきトヨタじどうしゃ、英語: GAC Toyota Motor Co., Ltd、中国語: 广汽丰田汽车有限公司)は、中華人民共和国広州市にある広州汽車集団とトヨタ自動車の合弁会社である。略称GTMC、GAC Toyota。
(略)
現地語社名 广汽丰田汽车有限公司
従業員数 約15,000人 (2020年)
親会社 広州汽車集団(50%)
    トヨタ自動車(30.5%)
    トヨタ自動車(中国)投資有限会社(19.5%)
〔wiki/広汽トヨタ自動車〕

1125下車。广汽本田の目の前でした。

漳浦のバス停・現代4Sの周辺図

1129バス停・現代4Sから西方向の道路

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
高德地图(経路:现代4S站(公交站)~上埔卤料店)
※実際は村への道はもう1本南から入りました。

企業敷地が多い。十字路に戻って入った方がよさそう。
ダンプがぶっ飛ばす道なのに歩道がないよう。

1137上埔村へ西行

帰路のBT上埔は視認できたので、南無阿弥陀の識別柱の小道へ右折西行。1134
そらは曇って、かつ雨模様はない。今のうち!

1138上埔自然村汚水処理站
後方に何だか爆発音。
右手の水路に網を張って何か作物を育ててる。

1141上埔村への道

少しずつ気が強まる。横路地一枚1145
1145上埔村の東西方向路

1149商氏宗祠

1148商氏宗祠。新しいけど造りは三開張三進で原型は古い感じ。
1150最奥十字を左折。広汽本田、広汽丰田(豊田)と右に矢印。やはりこの二社がエリアの牽引役になってる。
1154北路地奥に見え出した大厝

ad.上埔作業区619
1155奥の大厝に近寄る

奥に古厝。1156

1156大厝の門口

1157放棄されつつある大厝

「此処危房請勿靠近」看板
あちこちの、つまりワシが訪ねてきた建物にはこの看板が貼ってある。
1158幾つかは近代の増築を施されてる。

1200掠れた看板と錆びた荷台

1201野に埋もれつつある大厝

1202路地裏にまた大厝

1206中央部、撤去貼り紙のある大厝

村の中心のロータリー。▼▲1204。日豊管という小工場。日本の豊田という意味か?
1204日丰管ロータリー

▼▲
滷味の店にドリアン。臭いもんなら何でもOKか?
▼▲

〉〉〉〉〉参考資料 

HATENABLOG
中華IT最新事情
2024-06-14
苦しむ燃料車を販売する4S店。その古い販売スタイルにも若者離れが
URL:https://tamakino.hatenablog.com/entry/2024/06/14/080000
▼▲参考資料▼▲

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