GM.(経路)
新城や龍の徳あり井戸の街
文献路を南に越えたブロックは,GM.の航空写真ではあまりパッとしません。ただ百度の航空写真(後掲)ではドット状の不規則な家屋の並びがあって,一応Xとして通過してみよう,そういう道行きでした。
ここは,下の地図で見ると新老城中央にあたります。この時通った龍徳井街と后巷街の緩やかな曲がりは,今は暗きょになっている,広福路出口の水路と城南乡のそれの間の川沿いだったためだというのは容易に推定できます。
データがありません。でも水路が老城に最も近付くこの界隈は,南門前の盛り場で,それゆえに後に新城として増築されて城内になったのではないでしょうか。
1428,文献路を渡って西行した後,すぐに南への龍徳井街に入りました。
この道のヒットはありません。でも「龍」と「井」──水のイメージが濃い名称です。龍徳井というのはかつてここにあった共同井戸の名前かもしれません。
あと「龍徳」と二文字では,皇帝を指すようにも解せます。
分かりやすい南国風の椰子が,文献路に並びます。
でもいかにも乱雑です。
公共投資が無茶苦茶充実してる町ではありません。百度の数値データでも平均して富裕というわけじゃない。華僑の多さは個人的な財源の還流には繋がるけれど,地元に帰って来る財産家は少ないのでしょうか。
書き損ねてましたけど,もちろん地下鉄もない。
龍徳井街も,通り自体はピンとは来ない。
ただ,ところどころに古みを感じはします。スポット過ぎて分かりにくいけれど,上の写真の戸口の階段などは,イギリス式の半地下という訳でもなく,なぜ出来たものか気にはなります。
百度地図上,赤の点線
この後,路地を二本覗きこんでます。
抜けれそうに見えず踏み込んではいません。
この辺りがXに落としてた場所でした。下図の左手の★です。
当時はなかった赤の点線が,上の航空写真ではこの場所にあります。ネット上でも再開発のニュースは見えました。
すなわちこの界隈は,2020年現在,既に工場に入ってて存在しません。
府前路から俄に普通の町
1448,T字路。蒲田市第一医院。府前路へ東行しよう。
この府前路の前辺りから,下の写真のようににわかに交通量も増えて普通の町の空気が戻ってきました。
1451,十字路。
なぜか石畳の道になった。観光用,とは思えない素っ気ない整備だし,昔ながらのとも思えない。観光化に失敗した後か?
ともかく后巷街を南行。
まず間違いなく賭
1458,白蓉茶荘とある建物の角を左折,東行に転ず。
市場か?小汚ない,いや味のある市場だけれど,時間が時間だからか人の姿がない。
車道へ出る直前,上半身裸で(まず間違いなく賭)トランプに興じる一群。
えーい,怖いじゃないか!
1506,勝利南街。さらに左折北行とする。
何だこれは?
繁華街っぽくなってきたけれど,えらく荒れてます。かつての雰囲気を残してる,ということなのか?
歩行街野暮で荒れてて宇宙人
この時に歩いた莆田では,少なくともここが一番繁華街でした。
けれどこの,何というか,前近代を残すような野暮ったさと猥雑さは……現代中国ではなかなかないと思います。
挙げ句の果てにこいつじゃ!
こ
,この顔は……や,ヤンキーなのか?そもそも男なのか女なのか?
ま,まあ女に見えなくもないけど,それよりは宇宙人の方が近くないか?
1514,バス停文献歩行街着。
疲れた。でも交差点までは歩いてみなきゃ。──と行ってみたけど,1524。交差点付近は割と寂しい。地下街があったけどシャッターが閉まってました。
やはりこの町,どうにも肌触りが違います。
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