「遊び」こそ勉強の王道@ことばぐすい

脳にとって遊びと勉強は同じ

 遊びというと,勉強と対極にあるようなイメージを持たれる方が多いのでしょうが,脳科学的に言えば,子供の脳にとって遊びと勉強はそもそも同じものだと言えるのです。
 遊びはもともと,脳を発達させるために哺乳類が選択した絶妙ともいえる戦略です。この多様な環境の中で,自分が生まれた環境に適したかたちで脳を発達させていくためには,未知のことも含めて,目の前にあるものに次々と関心を持たせた方が有利です。そして,それらと直接触れ合うことで,その反応など脳の神経系にインプットしていく方法が脳の発達にはもっとも適しているのです。それを子供に自発的に行わせるために哺乳類の遺伝子が採用したのが,子供に遊ばせるという習慣なのてす。
 たとえば子犬のときに遊ばせなかった犬は賢くならないということは,ブリーダーのあいだではよく知られている現象です。つまり遊ばせることによって,いろんな環境に触れさせないと,犬の脳は発達しないのです。もちろん人間の子供にもまったく同じことがいえます。ですから遊びと勉強はそもそも同じだと考えるべきなのです。
 根源的な遊びとはどんなものかといえば,子供が自発的に環境に働きかけて,ワクワクドキドキして楽しむことです。たとえば蝶を追いかけて走り回るというような行動が,そのもっともわかりやすい例です。そうやって,自分の体と周囲の環境を相関させていくことで,周囲に何があるのかを知り,自分の体をどのようにコントロールしていけばいいかを学んでいきます。
 このようにほったらかしで遊ばせているだけでも,身体運動的知性は充分備わっていくものです。犬が脳を発達させるためにはこうした遊びで充分だといえるし,文明が未発達だった頃までなら人間もそれで捕えた部分は多かったでしょう。
 ただ,ほったらかしておけば言語的知性が備わるかといえばそうとはいえず,論理数学的知性が備わるかといえば,それもまた困難です。そこで,文明社会の中で生きていく知性を身につけるため人間特有の遊びが必要になってきました。こうして人間は少しずつ高度な遊びをするようになっていったのです。机に向かって勉強するという行為にしても,脳の発達の歴史に照らせば,本来はそうした流れの延長上にあるはずのものだと私は考えています。
 脳の発達にとっては遊びこそが原点ですから,勉強をいかに遊びに近づけるか,という発想は非常に重要な意味を持ってきます。
 そもそも人間の脳はできるだけ自発的に,できるだけ楽しく,遊びの感覚で勉強をするほうが,知性を身につけやすいように設計されているからです。
 子供にとっては,いい遊びはいい勉強であり,いい勉強はいい遊びだともいえます。
 だからこそ親の側でも,できるだけ工夫をしてあげる必要があるのです。
 まずは普段の勉強のなかに遊びに近い感覚を見出だしやすくしてあげること。そしてもうひとつは,子供が自発的にやっている遊びのなかにも,できるだけ何かを学べる要素を入れてあげることです。
 理想としては,勉強はできるだけ楽しくやれるように工夫して,遊びはできるだけ頭を使うようにして,両者がそれぞれ混じり合うようにするのがいいわけです。
 勉強は机の上だけでやるものではなく,遊びの中から学び取ることこそが勉強の王道です。

努力しなくても快感を得られることの危険

 問題とすべきなのは,今のテレビやゲームでは,本人が努力しなくてもA10神経が刺激を受けられるという点です。本来は,何らかの努力をしてこそA10神経が刺激され快感を得られるのです。その結果として,努力の継続が促されることに意義があるのに,その前提が崩れています。
 快感に大きな意味があるのは,人間を含め哺乳類全般にいえることです。それに対し脳神経がすべてプログラムされている昆虫では,快感は必要ありません。たとえば,ハチが蜜を見つけた場合には8の字ダンスをして嬉しそうにしているように見えますが,ハチにはそもそも嬉しいという感情はありません。蜜を見つければ8の字ダンスをして他のハチに場所を教えるようにプログラムされているため,自分の意思とは関係なく(そもそも昆虫の脳には意思はありませんが…)そうしているだけなのです。ペット型ロボットのAIBOは,何かがあったときにしっぽを振るので,一見嬉しそうに見えますが,実際にAIBOがそうした感情を持っていないのと同じです。昆虫の脳とロボットのAI(人工知能)はそうした意味ではよく似ていて,プログラムどおりに動くようになっているのです。
 しかし,人間の脳は昆虫やAIBOの脳とは根本的に違うということを,よく認識しておかなければなりません。人間は,快感があるからこそ,努力をして行動を再現しようとします。その最たる例が性交渉でしょう。人間の場合は,子づくりを目的として性交渉をする場合もありますが,他の哺乳類はそうではありません。単に気持ちがいいからそれを行い,その結果として子供が生まれるというだけの話に過ぎないのです。先ほど挙げた原始時代の例もそうですが,快感と結びつく食欲や性欲があるからこそ哺乳類は生き残り,人類は文明を手に入れたといえるわけです。自らの遺伝子を残すのに有利なように行動を促すよう快感が巧みに利用されているので,何らかの原因でその構図が壊れてしまえば深刻な結末が待ちかまえています。

餌を食べなくなるネズミの作り方

 努力なしに快感がもたらされることがいかに危険なのかを示す有名な実験があります。ネズミを入れてあるケージの中にレバーを付け,そのレバーを引くと自動的にネズミの脳にドパーミンが注入されていく仕組みにしておいたとき,ネズミがどうなるかを実験したものです。本来はA10神経が刺激を受ければドパーミンが分泌されるため快感がもたらされるのですが,そんなことをしなくてもレバーさえ引けばA10神経の働きとは関係なく人工的にドパーミンが注入されるわけです。そうするとネズミは延々とレバーを引き続け,エサを食べようとはしなくなります。ネズミは,生きていくためには栄養が必要だと考えてモノを食べているわけではなく,モノを食べれば気持ちがいいという快感だけで食事をしています。だからこそ,レバーを引くことで大きな快感を得られてしまえば,何かを食べようとはせず,死ぬまでレバーを引き続けてしまうのです。
 テレビやゲームに依存している子供の脳では,程度の差はありますが,それと似たようなことが起きているのではないかと懸念されます。その構造は覚醒剤への依存と原理としては大きく変わらないともいえるでしょう。

[吉田たかよし「勝てる子供の脳─親の裁量で子供は伸びる」角川ONEテーマ21,2008]