外伝10 弗 弗the first day on my home-islands 弗 The only way up is up


▲博多麹屋のパン&コーヒー

 朝8時55分。
 渡辺通りBivi1F,博多麹屋にて,パン2つ(モーン,無花果パン)とコーヒーを頂いております。
 アメリカ前日に空振りした店へ朝イチで駆けつけてしまったわけだが,確かに美味い!この天神中央のエリアで,このクラスのパンがイートインでゆっくり食えるのはポイント高いぞ。
 ハードパンもパイ系も,アメリカ的に塩やオニオン,ニンニクで乱されてなければかなりのレベル。レベルとゆーよりパワフルさがある。
 本日は体調調整用といたしまして,丸1日休みを取ってます。にしては朝イチから出撃しちゃってますが,「迎え酒」ならぬ「迎え食い」みたいなものでございまして,それどころか出国時には去年と同じく唐津の川島豆腐で御朝食とする企みも考えてた位でして,それを諦めて天神のパン屋にしてるんだから節制してると言っても過言ではないわけで,いやこれは確かに旅行疲れを解消して明日からの仕事に励まんとする高い志…。
 いー加減長いんで以下省略するが,まあ要は自己弁護である。

 地下鉄渡辺通駅で1日乗車券を買いまして,六本松へ。
 閑散としたホームを避け,人溜まりのあるエリアに慌ててすり寄る…って,ああもう体に染み付いちゃってる地下鉄犯罪防止策。そう言えば,地下鉄でトイレを我慢する必要ももうないんでした…。
 つくづく思う。公共交通機関が安全だってのは…スゴくポイント高いことなんじゃのう。
 逆に不気味に思えた点もある。列車内の空気――同じ人種が,同じよないかにも面白くないッて表情で,同じく無言で,同じ慌ただしさでケータイいじってるこの光景…誰もヒップホップ踊ってないし,アラブ人もアフリカ系もいない。
 この底知れない不気味さ。初海外のインドからの帰国時に一番強く感じたけど,これこそ,世界的に極めて稀な現代ニッポンの文化相です。
 この不気味さをビンビンに感じてしまうようになってる自分の感覚…ホントはこっちが一番不気味。アジアの旅行後以上に…すんなりニッポン復帰できそにないなあ,こりゃ…。

 で,六本松駅からすぐの三共珈琲店。
 今んとこ,日本で知ってる最高のコーヒーを出す店の一つ。
 古びてて,清楚で,静寂な店内。前から飲んでみたかったエンペラーズをオーダー。1100円,皇室献上用のオサガリだって奴です。
 「貴品にみちた甘味・苦味と流れるようなコク」との説明書き。
 大仰過ぎて,よく考えたらまるで想像つかんかったが――テーブルにカップが置かれた途端,鼻孔にふわりと流れ込んでくる高貴なアロマ!
 ピュアな苦味。ずしんと来る渋み。軽快に踊るよな甘味。するすると,喉に流れてく静謐なコク。――かつて口にしたことのない完璧さ。
 なのに?この微妙な物足りなさは何だ?
 あ…野性味!あの生々しさだけは,ニューオーリンズの味の域に達してない。マンガ「珈琲物語」で書いてたけど,珈琲も「農作物」。豆の管理は,この店ほど徹底してる店もないみたいだから,やっぱ産直の度合いなんだろう。
 収穫すぐの味って,やはり違う。それだけは,技術で補えない。
 自然に育てた取れたて,旬の食材。それがどのくらいパワフルか。当たり前っちゃあ当たり前なんだが――この衝撃が今回のアメリカ,なかんずくグリマ巡りで,くっきりと自分の中に刷り込まれたらしい。

▲Cafe Tecoの日替り(B.チーズハンバーグ)

 今日は思いつくままに歩こう。と思ってたら上人橋通りに行ってました。
 久しぶりのCafe Teco。
日替り 860円
 いつも通り5つのメニューから,B.チーズハンバーグを選んだ。ここ,単なる和食も美味いんだけど,何となく日本の洋食を確認してみたくなった。
 つなぎの入ったハンバーグ。この味に懐かしさの一方で,ものすごく奇妙な感覚を覚えている自分の舌。そういう混濁した違和感を持つ。
 肉本来の野獣の味覚がはるか背景にフェイドアウトさせられてて,アメリカ感覚ではタマネギの味が正面に来てるとしか感じられない。こんな奇妙なものが日本の「洋食」ってもんなのか?でも,慣れてくると(というか元々一応ニッポン人なので,慣れから一時離脱してただけだろが)もちろん美味い。それを「奇妙に美味い」と感じている自分が一番奇妙に思える。
 日本人の創作料理「洋食」。
 これって世界の食の広がりからすると,ものすごく思想的に独自な場所にあるんだな。
 明治の日本人,肉の味覚を「旨いと思わなくちゃいけない」「いや,事実旨い」と試行錯誤してるうち,知らず知らずにそれを野菜の味の背景に置きなおしてしまってたわけだ。この辺りの感覚は,どんな和食よりも日本的な感性そのものだと思える。
 小皿は,おから,ポテトサラダ,キンピラ。どれも懐かしい和食の味。ポテトサラダもハンバーグと同じで,ポテトの野性味が背景化されてる日本的な味。
 そうか。アメリカの味って,むしろ食材の味そのものを正面に出した料理だったわけだ。一般には和食の方がその傾向は強いと思われてるが,むしろ農業大国アメリカの土着の味はそういうもので,だからその形態に合うような食材が好まれる。
 一方で,もう一つ違和感を覚えたもの――日本のカフェって場所の,このチャラチャラしたオシャレな空間のべとべと感。白人世界のセンスって,もっとクリアで取り付く島もないような空虚感がある。
 居心地いいような違和感のような…奇妙な触感を感じた,カフェの空間だったんでした。

▲王丸食堂の定食(かれいの煮付け)

 警固に出て王丸へ。
 カフェテコであえて洋食を選んでしまったら,今度はムショーに魚が食いたくなった。醤油で煮付けた魚…となると王丸っしょコレは!
 カレイを選ぶ。付け合わせ2品は牛筋ポン酢と筑前煮。
 かれいの煮付。やっぱり和食はコレだ,白身の煮付け!ニューヨークのグリマでも必ず魚の売り場があったけど,実際の料理はフライが中心。やっぱ醤油味ってのは和食だなあ。甘くて辛くて淡くて和食だなあ。何言ってんのか…とにかくこれは和食の醍醐味。
 ポン酢の牛肉の扱いも日本的だ。肉の強さに直情的なアメリカ飯にはない,柔らかいまとめ方。ただ,肉々しさを損なって生まれる味だからもったいないって感覚も残る。沖縄のステーキが違う理由が何となく理解できた。肉自体が素晴らしいはずはないんだが,肉を選ぶ感性が全く違うんだ。出汁の素として脂身か,レバー質を味わう赤身かって視点の違い。
 してみると,和食って断然,野菜や穀物に特化して発達した体系なんだ。そのままでは弱い食材を,唐辛子を含むスパイスで強くするんじゃなく,むしろ弱さのコーラスの美しさで拮抗させてく。「味覚は強くなくてもいい」という開き直り――わびとかさびとかの感性にも通ずるのかもしれんが,マイナスを掛け合わせて作られる他に例を見ない虚数的世界。
 この感性の料理は,今んとこ中華とチベッタンとイタリアンでしか知らない。野菜の力に特化するってことになるとイタリアンだけだろう。
 和食って…こんなに特殊なモンだったのか?
 その意味では,筑前煮は野菜だけから出した本場のねっとりダシ。アメリカ的には考えらんない味です。改めて…ホントに美味。

 天神に戻る。

 自遊空間(ネカフェ)にて1時間,今回持ち歩いた内田さんの本やその他の紙媒体をデジタル化したり調べたり。
 まだ咀嚼できてない見聞や見方が鬱積してた。ケータイでは時間がかかりすぎるんでPCを使いたかった。この時打ったのは「アメリカは遠からず没落するでしょう」と「次は勝つぞ」の一節。
 わしは予言者じゃないから知らんが,自他ともに今の世界をリードしてるつもりのこのアメリカって国,その割に極めて危ない実態を持ってることは身に染みて分かった。人種問題,経済格差,犯罪率,倫理観の希薄さ,そして食の薄さ。対テロ戦争への怯えによるシステムの硬直化も烈しい。ただ一方で,自己修復の俊敏さはこれらを補って余りあるほどにパワフルだ。特に官僚化の極に至ってる我々のニッポン社会には,吸収すべき感覚だろう。
 もう一つ。日本人がアメリカに対して持つヒネくれまくった情念の問題を,わしの中で,初めてギラギラした白日に晒してくれたのが「次は勝つぞ」の一文でした。
 とんでもない暴論だ。学校で教材にしたら日教組に吊しあげられそうな激烈な暴論だ。
 でも――そもそも,わしはなぜ,過去20か国の海外でアメリカに行く気がしなかったのか?アジアの旅行者には,そーゆー奴は結構いたからあんまり変だとは自覚してなかったし,この文章の最初ではむしろ自慢げに書いてきたわけだが…。
 外からやってきて日本列島を征服したのは,古代の弥生人によるものの次が,現代のアメリカ。歴史上ということになると,アメリカにしか征服れたされたことがないのが日本という国。概念的に従属したのも遣隋使,遣唐使の時代のみ。
 つまり,従属の記憶がない。
 それがいきなり征服された。それも最もナショナリズムに燃えた昭和軍国の状態から,最も現代的な,異物感の強いこのアメリカって国に征服された。
 この衝撃は,おそらく世界史的に例がない。それほど日本という国は特殊で…要は歴史的な程ウブだった。
 だからこそ,あの没落から学ぶべきだった。
 でも今の我々は,あの没落を2つの相でしか咀嚼してない。「無謀な軍事大国化」批判と「物量には勝てないや」論と,その2つの諦観で50年を過ごしてきちゃった。
 この2つとも大間違いです。さらにその間違いゆえに最も重要な,恥ずべき失敗を自覚できないでいると思ってます。
 当時の国際環境の弱肉強食ぶりと日本の地政学的位置から考えりゃ,あの規模の軍事がないと独立なんか保てんかったはず。
 物量を言うなら,19世紀末のロシアと日本ほどの格差が,20世紀半ばの太平洋の東西の両新興国にあったか?質的にも,当時陸海軍とも世界最強と言われた帝政ロシア軍より,個人レベルではかなり弱いって定評のある市民社会アメリカの軍はより大きな脅威だったか?太平洋戦前に海軍が図上戦争で一度も勝てなかったと言うけど,じゃあロシアとの国交断絶時に日本海海戦に勝てる確証を誰か持ってたか?
 …なら,日本ってなぜ負けたの?
 今回のアメリカの手触りで,その答えに確信が持てるようになった。
 ぐっと時代を移すけど――弱兵で有名だった織田軍団が,結局戦国を征した。最強と言われた武田には当然負け続けた。10倍の兵でも負けた。
 アメリカを織田,日本を武田に置き直すのは,だから奇異な符合じゃない。緒戦のフィリピンを三方が原,ガダルカナルを長篠くらいに見ればいい。
 織田軍が,3倍近い兵力差と鉄砲の大量投入で,ようやく辛勝した長篠。カミカゼに怯え,本土侵攻を恐れるがゆえに原爆を落とし,飛び石作戦と常に3倍の戦力を投入し続けたアメリカ。
 こうすると,もう説明する必要はないはず――日本は無謀だったから負けたんじゃない。物量ゆえでもない。
 アメリカの戦略と政略に負けた。
 知性の部分で負けた。――どうしても日本人が認めたくなかったのは,この点なんだと思う。
 具体を挙げれば切りがないけど――分かりやすいのは真珠湾。謀略説がかしましいが,あれをズルい!と鬼の首取ったみたく批判する時点で,現実感覚がヘロヘロってことですよ?国の命運かかってんだから,敵の方がクレバーだったってだけ。
 初手からして,戦力と戦術では勝って,戦略と政略では完敗。だって,あれさえやらなきゃ…反戦の大統領を選出してたアメリカが,そもそも参戦できたかどうか微妙なんだから。ヨーロッパだってどうなったか分からないでしょ?
 今の経営学の雛型になったアメリカの戦略論。と言うより,それを生み出した,どこにも執着しない柔らかく跳躍力のある思考。システムを進化させる創造性。
 敗戦で,英会話だけじゃなくあれを吸収できてたら,今のニッポン的硬直はないはずだった。
 いや,まだ遅くはない。遅いと言うより,吸収するならもう時間がない。アメリカが余命わずかなこの今が,あれを吸収できる最後の時代のはずなわけで。

 しかし,時差ボケってスゴい破壊力じゃね!
 意識ブッ飛んじゃってます。旅行が終わった…っつー気の抜けてる状態がいかんのか,プラスの時差が響くのか…アメリカ到着時よりもっとメロメロです。明日から仕事なんですけどね。
 体のメンテをしとこう。健美園にて30分の足裏マッサージ。
 映画館で呆けようとしたけど,こちらは失敗。「十三人の刺客」を選んじゃったからで――迫力はあっただったけど…あまりにグロい。晩飯も博多と思ってたとこ,喰う気が失せた。時差ボケの疲労感が蓄積されてきたんかも知れんが。
 新幹線の改札へ。とにかく,帰宅しよう。

 広島駅ビル(アッセ)。
 ディースファッションのフロアとかの中をバックパック担いで歩き回るには,羞恥心を捨てる必要でした。
 自宅直行ちゃうんかい!?…で,あるのだが,車内で一寝入りした後の広島着の直前,ここの駅ビル内にベーグルの専門店があるとの情報を,ふと思い出してしまった!
 けど完璧にTPOを外してて…アッセの上階自体がそれはそれはオサレな上,この店は特に――パッカーが買いに来たのは初めてかも?って雰囲気の洒落た店。
プレーン,レーズン各150円
 高っ!1つ$2近くするぞ!
 結果的に,う~ん…な味だったけど,こりゃしばらくベーグルから離れられそもないな。

 帰ってメーターに載る。
体重  :73.6kg(+5.6kg)
体脂肪率:15.5%(+4.5%)
 まずまずだな。冬に備えての増量はこんなもんだろ。
 もっとガッポリ増量しててもおかしくないだけの量を,しかも世界に冠たる肥満大国アメリカの飯を食ってたにしては,ショボい増え方ですが…。
 眠りにつく前,ニューヨーク地下鉄の車内で見かけたDELTAのコピーを反芻する。
The only way up is up.
Traveling for bussiness shouldn’t feel like work.
 旅するように日常を過ごしてみよう。