レンマ学〔仮〕@ことばぐすい

※タコのレンマ学/タコの「脳」とメティスに関する部分

(略)タコの腕には感覚器官 (触覚ばかりでなく匂いや味まで知覚できる)と身体を制御する機能まで備わっている。吸盤一つあたりに一万個ものニューロンが配置されている。
 そのため、

目録

タコの腕は脳から分離した活動をおこなうことができる。

腕の中のニューロンには「短期記憶」を可能にするループまで形成されているため、腕だけでも記憶と思考ができるのである。腕の動きはみごとに全体統御されているように見えるが、それは脳が一種のCPUとして中央集権的に統御しているのではないらしい。

脳は腕の思考だけでは解決の難しい状況が発生した場合にかぎって、何かの判断をおこない

それを身体全体に伝えている。タコの神経系では腕ごとがおこなう判断と、脳が中央集権的におこなう判断との混合系を発達させている。
 カントがこの事実を知ったとしたら、タコの理性において「先天的総合判断」の能力が観察可能な事実の表面に現れていることに、彼も驚きをもったことであろう。それぞれの腕の神経系に組み込まれた

ロゴス型バイオコンピューター群の複雑な連携作動を可能にしているのは、「総合判断」をおこない全体の動きを整えているレンマ型の別種の理性

である。タコにあっても脳は中央集権的な方法でロゴス的知性を働かせているが、身体全体に

分散された神経系はレンマ的知性の働きを前面に現しながら、それをたえまなく直交補構造的にロゴス的知性の働きに変換する。

こうしてタコの知性は二種類の知性の混成系として、脳と腕による思考をおこなうのである。
 この

二種類の知性による混成系はきわめてすぐれた能力を持っている。

その能力はとりわけタコの特技である擬態や変身のさいに大きな効果を発揮する。脊椎動物のなかにはカメレオンのように皮膚の色を変える能力をもつものがいるが、変身には数秒を要し、タコのように瞬時に全身の色を変化させるものはいない。タコはこの能力を使って、周囲の環境に合わせて体の色を変えてしまう。これをおこなうのに、

タコは目で周囲を見るのではなく、皮膚で「見て」体色を変化させる。

タコの腕の皮膚には、光に反応する「オプシン」というタンパク質が多量に含まれている。このオプシンによって

皮膚で「見て」、腕で「思考」し、

その情報を神経伝達物質によって全身に伝え、色素胞や虹色素胞を開閉して、いちどきに体の色の変化を起こすのである。このときもタコは脳だけで思考しているのではない。
 知能の高さという点に関して、脊椎動物の頂点に人間が置かれるとしたら、無脊椎動物の頂点にはタコが置かれるであろう。タコが高い知能を有することは、海洋民の間では古代からよく知られた事実であった。しかしタコの知能と人間の知能とは「質」を異としている。両者は

レンマ的知性とロゴス的知性の構成配置(configuration)

に根本的な違いをもっている。神経系の進化の分岐点で、両者は異なる道に進んでいき、それぞれが異なる理性の型を発達させることになった。そしてそのどちらもが高い知能を実現したのである。
 この事実に人類はごく初期の段階から気づいていた。とくに分析能力の高い古代ギリシャ人は、タコやイカのような海洋生物に備わっている知性を、言語的ロゴスと区別して

「メティス(metis)」の知性

と呼んで関心を持っていた。メティスは海の女神である。陸上のロゴスは言語の意味を確定しようとする。ところが

メティスは言語の秩序を乱して、意味を多様性の渦に引きずり込む

のである。それはタコのように変幻自在に姿を変え、周囲の環境にまぎれて自分を見えなくしておいて慎重に近づいていき、いきなり相手に襲いかかるなど、策略にみちた行動を可能にする知性である。この知性は人間にも動物の世界にも見出される。
 人間の世界でこのメティスの知性の持ち主と目されるのが、職人(彼らは一様でない素材の変化に合わせて繊細に道具や筋肉の使用法を変化させていく)、ソフィスト(哲学者のように真理の表現をめざすのではなく、ソフィストは相手を説得するために表現を自在に変化させていく。彼らは真理を語ることよりも、演説によって状況に変化がもたらされることのほうが重要と考える)、政治家(彼らも真理を語ることには関心がなく、嘘をつくのも平気で、そんなことよりも発言ができるだけ効果的であることにこころがける)、

海洋民(動き変化を続ける洋上で安全に航海をおこなうための知性に富んでいる)

たちである。たえまなく動き変化している実在を、厳密な論理命題によって取り押さえるのではなく、

みずからを多数(multiple)多様(polymorphe) に変容させながら世界に変化をつくりだしていく

のが、メティスの知性の特質である。
 動物の世界では、「ずる賢い」と言わる狐が陸上におけるメティスの知性の王者であるが、海中におけるその達人はタコである(オッピアヌス『漁拶論』)。タコは地形にあわせて体形と体色を変化させて、自分の姿を見えなくする。岩や海藻と一体化してしまうのある。相手が近づくのをじっと待ち構えて突然に獲物に飛びかかる。吸盤を装備した八本の足を自在に絡めて相手を締め上げ、捕まえた獲物を口に運んでいく。皮膚全体が一種の視覚機能を備えた「目」の働きを持っているので、反応はすばやく的をはずさない。
 タコにこのような高度なメティスの知性を与えているのは、神経系を独自に進化させた結果つくられた、ロゴス的知性とレンマ的知性の混成系の構造にほかならない。人間とタコでは、「心=法界」の構成配置が異なっているのである。タコの知性にあってはレンマ的な全体認識知性が表面にあらわれているので、ときに驚嘆すべきメティスの能力を発揮することができる。ところが

人の世界で同じようなメティスの能力が発揮されると、言説の真実性を支えるロゴスは海洋のように動揺しはじめる。

タコの知性の経験する世界は、動揺する大地の上に築かれている。この点でも、タコの生態はレンマ学にとってきわめて興味深い。

※異邦の言語学/ジュリア・クリスティヴァ解説部分
『セメイオチケ』(一九六九年)と『詩的言語の革命』(一九七四年)の二著には、まぎれもないレンマ派言語学としての本質を示す革新的な言語論が展開されている。
(略)
 この著作において、その実体には「コーラChora」という名前が与えられた。言うまでもなくプラトンが『ティマイオス』に紹介した、エジプト人神官から教えられたという東方起源的な宇宙原理をあらわす神話的概念である。コーラは母性的な宇宙の容器である。創造者などがいないその宇宙で、

コーラはやわらかく揺れながら、あらゆる事物を受け入れ、育てている。

 コーラは波に揺れる海に似ている。

振動しながら容器の内容物を「ふるい」にかけるように揺らしていくと、内容物は所々で「圧縮」されたり場所の「移動」をおこなったりする。

この圧縮と移動から内容物の構造がしだいに決められていく。この宇宙に「父なる創造者」はいない。「母」だけで宇宙は運動し、事物の構造ができてくる。創造の原理は内在的である。

(中澤新一「レンマ学」講談社,2019)

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