①▼ヘイフリ坂まで:行程▼GM.
▼大浦天主堂~東琴平2:行程▼GM.
②▼鍋冠山から:行程▼Googleマップ ※F前後は実際は最短ルート
③▼万年坂から:行程▽Googleマップ ※Dには実際は最短ルート
万年坂から南が丘越え
変に印象に残ってしまった南町公園から,本来行こうとしてた東側へ回り込む形でほぼ南行。
住所表示は南町4になりました。
この辺りで再度,椎ノ木川を越えてるはずなんですけど注意を払ってなかったか,記憶やメモにありません。ただ,地勢的にここのはずの窪地が,奇妙にうらぶれてて印象に残ってます。
信号機のある交差点に出る。237号線です。1228。住所表示は南が丘町1。
東対面へ渡ろう。階段を登って車道面に出て横断。六角タイルの道へ入る。
「八景町」の表示が出た。登るにつれ名の通りの眺望が広がっていく。そりゃそーだ,椎ノ木川沿いに登ってきた丘陵の最高点に近づいてるわけで。
ただ,坂自体はホントに普通の住宅地です。ロケーションを楽しむ坂というか?
ここだろう。万年坂。
▲万年坂
◇ポイント:GM.
南が丘町9とあるT字を右折北行する。
──最高点と書きましたけど,この東3百mほどに祝捷山公園という園地があります。この辺が厳密な最高点で,南高校やピントコ坂はこの丘陵の北にある,という地勢らしい。
南が丘自治会掲示板のあるT字を直進。突き当たりT字を対面10m右の路地へ入る。南が丘町5。
と──これもすごい下り坂です。しかも路肩がガタガタ。最近の災害のツメアトでしょうか。
下り終えて1243,長崎新聞南が丘・出雲販売センターの前を通って車道へ出る。再び237号線です。
1248,セブン-イレブン 長崎上小島5丁目店で喫煙休憩。ここはもう以前来た記憶があります。長崎南高校が北に見えてます。ふう。
昼間のピントコ坂上で名所群を再探訪
午後1時が近づいてますけど,ちょっとだけ期待してた地域の食堂的な所もない。こりゃ下界でガッツリ行くパターンか?
1257,南高前バス停対面,昨日に引き続き地蔵の三叉路が見えてきました。
再度,今日は真昼のピントコ坂を下る。ここは観光ガイド風に行きましょうか。
平松地蔵尊は,正確には地蔵群とでも呼ぶべき場所。このピントコ坂はこれでも道路が拡張されたそうで,その際にあちこちにあった地蔵を集めたのがここだそうです。
「左側は,長崎出身の力士 初瀬川の墓であり,また一番右端は,同じく長崎俳人の二宮岱雲の自然石の句碑」と次のサイトに書かれてました。
長崎の道の特徴として,この坂にも節目節目に地蔵がいたのでしょう。現在地は特に地形的に見るべき場所じゃないので,単に空地なのでしょうけど…。
残るは「平松」という名です。地名でもなさそうなので,この地蔵群を集めた地域の方の名前なのでしょうか。
※ 茂木街道をゆく—「傾城塚・・・ピントクの恋」
行き倒れた人々を供養する塔だそうです。
立てた人が油屋町の商人だったという点だけが残ってるらしい。
崇徳寺界隈にあった商業地の土地です。塔の場所からは下界はるかな場所に見えますけど,誰かの因縁があったのでしょうか。
この写真でもですけれど,いつも供えられてる新しい花が目につきます。地域で大切にされてる方がいるようです。
ピントコ坂の由来として,坂の中では一番有名な場所ですけど,今回初めてたどり着けました。
というのが,「(おいらん塚)何旻徳 阿登倭の墓所」と看板は出てるんだけど,入ると普通の墓地。敷地の中でどう行ったらいいのか分からなくなる。中ほどの奥まった所なのです。
今回はたどり着けました。
結構荒れていますけど,文字ははっきり残ってます。
カピントクという漢人のことは全く伝わっていないようですが,物語的には「何旻徳(か・ぴんとく)は中国(杭州)にいた若者で,許婚(いいなずけ)を上役人から奪われ,失意の中,貿易商の叔父を頼って長崎に来た。」とのこと(下記サイト)。
役人を二度も恋敵に持ってしまったわけで,よほど運の悪いイケメンだったんでしょうか。史実性は薄いとされますけど,この話が細く長く受け継がれて碑まで作られてるというのは──フワフワと印象的な物語です。
※ 長崎んことばかたらんば/悲恋話が伝わるピントコ坂(おいらん坂・傾城坂)
昼間も味わい深いピントコ坂
ピントコ坂は,歴史を偲ぶのもですけど,独特の打ち捨てられた感じが凄いと思う。
一種の廃墟跡として感じるなら,むしろ先述の古跡群より下側がやはり本体です。
1319,墓だらけの坂。昨夜おののいた界隈です。パッと見はただの墓場なんですけど,古い墓もかなりあります。
中華街の上の方の墓地と違うのは,業者の整地がなされてない点。道沿いに延々と連なる不定形な墓地に思い思いに石が並ぶ。
▲出口が近づいた辺り。八劔神社への横道はこの辺にあるはずなのですが。
以前登りに通ったルートは,長崎女子高校から八劔神社を通る道。こちらの方が崇徳寺までの見ごたえはあるようです。ただし,八劔神社下の小島地蔵堂は経由しません。
1335,崇福寺前の電車道に出る。そうか,この電停名も正覚寺から変わったのか。
ともかく本日も生還いたしました。
①▼ヘイフリ坂まで:行程▼GM.
▼大浦天主堂~東琴平2:行程▼GM.
②▼鍋冠山から:行程▼Googleマップ ※F前後は実際は最短ルート
③▼万年坂から:行程▼Googleマップ ※Dには実際は最短ルート
筋肉が悲鳴をあげてるけど今朝の坂に比べると楽勝です。
1348と計ったようなLO間際,眼鏡橋近くのプリムローズに滑り込み入店できました。ここのダブルトルコライスは,量以上に質的な充実が素晴らしい。
さて今改めて長崎のマップを見ると──大浦天主堂から万年坂の辺りまでは直線距離で2kmもありません。曲がりくねったとは言え5kmは歩いてないはずです。万年坂からは眼鏡橋までの方がずっと遠い。でもこの距離感というのは…いかにアップダウンが激しいかを思い知らされます。
歩く楽しみにほとんど果てのない街です。