004-2ドンドン坂から\茂木街道\長崎県

(リンク集)04茂木街道(2日目)

①▼ヘイフリ坂まで
:行程▽GM.
 ▽大浦天主堂~東琴平2:行程▽GM.
②▽鍋冠山から:行程▽Googleマップ ※F前後は実際は最短ルート
③▽万年坂から:行程▽Googleマップ ※Dには実際は最短ルート

ご」というのは,広義には長崎の言葉で溝より大きく川より小さい流れを言うという。
 0917「えごばた」と書かれた川端通りに入る。狭義にはこの通りがこの名前です。
※ gooプログ 薬を飲み忘れないようにしないとね/長崎寺町界隈「えごばた」をちょっぴりお散歩
「えごばた」から中華菜苑音樹脇で右折。0919,ヘイフリ坂へ。
 この坂の名は,御幣から来ているという。「諏訪神社の大鳥居(現在の二の鳥居)を造るため石材を風頭山から切り出し運んだ」時に御幣を振って鼓舞したら無事運べました,というもの。
※ 長崎市公式観光サイトあ!ながさき/ヘイフリ坂

▲ヘイフリ坂

は,晗臺禅寺の脇を通りずっと上まで続いてる風情です。
「楠本イネの墓」と標識も出てる。
 マップを見てもこのまま登って白木に抜けれる。それに先の謂れも気になる。諏訪神社石材を切り出した,というのは,名石の産地だったのに加え神所だった可能性を臭わせる。
 坂の高みはいかにも魅力的な暗がり。
 が,今日は引き返そう。やるなら愛宕山も含めてこの山地を縦断することになる。それも,かなりの高低差を覚悟した方がいい。※次回,登ってみました。→005-1ヘイフリ坂登る

▲晗臺禅寺

臺禅寺は檀家の多そうな雰囲気で人の出入りが絶えない。
 キリシタンばかりだった江戸初期の創建という。幕府の改宗政策の拠点になったのかもしれないけれど,HPで事業を見ていても堅実で本格的な禅仏教の活動をされてます。
 佇まいが,日本一般のお寺とどうも違う。少数派の健全さのようなものでしょうか。
 空は秋の筋雲,数条。
※ 海雲山晗臺禅寺/晗臺禅寺概要

を下る。まだまだ見逃してるもんだな,とこの小技の塊みたいな町に畏敬の念を新たにする。0926。
 0933,めがね橋電停。石橋行き5系統に乗車。
 微妙に電停名が変わってる。旧・築町(つきまち)が「新地中華街」と観光地名になって無くなってます。確かに観光客にはその方がはるかに便利ですけど…一抹の悲しさがある。
 では本日のメインルートです。発想は単純でした。ドンドン坂を初訪した足で,そのまま真東へ進み,昨日のピントコ坂最上部の南にある万年坂を初訪。
 ヘイフリと同様,名所の坂自体には期待してません。この真東ルートは谷を何本もまたぐ,ルートとは言えないような強硬なルート立て。そこに現れる無名の坂がターゲットです。

(リンク集)04茂木街道(2日目)

①▼ヘイフリ坂まで:行程▼GM.
 ▼大浦天主堂~東琴平2
:行程▽GM.
②▽鍋冠山から:行程▽Googleマップ ※F前後は実際は最短ルート
③▽万年坂から:行程▽行程→Googleマップ ※Dには実際は最短ルート

グラバー通りを掠めてドンドン坂へ

浦天主堂で下車。0949。グラバー通りに蒸れる観光客を横目に南西へ。
 0952,須加五々道美術館を右手に指す看板を過ぎた。予定してた一本上の道に入り損ねたらしいけれど,そのまま車道脇を進む。
 長崎バス松ケ枝営業所,小曽根郵便局,長崎税務署を過ぎると右手東方に丘が顔を出しました。まず越えていかなきゃならない丘陵です。
 北の裾野にグラバー邸その他の洋館を抱くこの山,山頂部に鍋冠山公園とあります。本来はともかく,仮に鍋冠山と呼ぶことにします。
 小曽根バス停手前,小曽根公園という小さな園地の右手に南東へ登る細道を見つける。ここから入ってみよう。左折なんとか行。

▲小曽根公園脇の細道

真に撮っても分からないような,微かにそれらしい形状を保つ共同井戸跡がありました。
 共同井戸を置く感覚といい,感じがどうも中国の路地裏に似てる。
 曲がりくねった階段に「道路舗装記念」と個人名の碑。次の折れ目には地蔵。この屈折地が崩れるか何かのトラブルを起こした事があったのだろうか。

▲鈎字に曲がる地点に碑と地蔵

▲上の道への出口に鳥居のある祠を持つ公民館

の道に出たので右折南行。
 海側には小曽根町公民館。対面にロシア領事館との立て札。明治初期と8年開設とある。
 ──現在も係争中でしかも住民がいるそうなのでリンク等は止めるけど,ここは現・ロシアが所有権を主張し続けてる「逆北方領土」的な場所なんだそうです。元々は長崎全体がそうだったんだろうけれど,ここは法的に日本じゃなくなった(と解されても仕方ない)時期があるというのは確からしい。
 グラバー園とある標識が左手を指す。その十字路をそのまま南西へ直進。
 道が面白くくねり始めてる。

ドンドン坂を登り居留地境標識へ

市景観賞2001」と標識の出てる坂下に着く。観光的に整地もされてるけれど,ここはそれでも嘆声の出るような道です。
 1011,ドンドン坂。
 海手に長崎造船を見てほぼ行き過ぎ,道脇対面にはBAY TERRACE南山手という地点です。
 さて登ろう。

▲洋館と植樹の影が石畳に影を落とすドンドン坂

振り坂の由来も大概でしたけど,このドンドン坂はもっとひどい。雨が降ったら脇の水路がドンドンと音をたてるから,なんだって。
 万一長崎でどしゃ降りになった時こそ,是非訪れて雨音に耳をすませてみたい場所ですね。…嫌だ,来ねーよ。
 ただ,ドンドン流れても仕方ないほどの傾斜ではある。昔この洋館に住んでた異人さんたちには異国情緒を感じさせる音だったのかもしんない。
 ロンドンの自宅で──ああ,ドンドン坂のあの雨音が忘れられない。…って思わねーよ。

▲見上げるアングルも良いですけど,振り返って見下ろすのも心洗われる眺めです。「海が見えた。海が見える。」という感じ。

ンドン坂はグラバー通りまでしか上がらない。鍋冠山を越えるにはもう一つ上まで登りたいけど,ドンドン坂はT字になり行き止まる。
 なのでグラバー通りを少し北東へ戻り,南山手町13と住所表示ある綴れ織りの階段をさらに登る。
 この南にあるレンガの壁にエメラルドグリーンの屋根の洋館が凄かった。背後の海,空にくっきり映えてます。
──後に調べるとれっきとした現役施設でした。明治14年イエズス会創設の長崎センタンファンスを前身とするマリア園。「明治10年7月西南の役直後」という記述が園HPにありますから,維新時の混乱のケアの意もあったのか。昭23年に児童福祉法の養護施設認可により法的位置を得ている。
児童養護施設マリア園

▲グラバー通りにて。レンガの壁にエメラルドグリーンの屋根の洋館。

面して山手の登り口は,どうにも露骨な階段道です。両側の所有者間に争いでもあったんでしょうか。
 居留地の地割については,次のサイトが出典も示した上で実に忠実な再現をなさってます。これを見ると,おそらくこのラインは,単に道だっただけではなく,東側がドイツ領,西側がイギリス領というボーダーの壁だったのでは?と疑いたくなります。
 仁川の租界を連想させます。江戸末期の日本には,こんな外国による線引きが事実上行われてた。秀吉の「長崎奪還」と同様,もう少し遅ければこの土地は日本ではなかったのかもしれません。
長崎居留地

▲マリア園の対面,山手の登り口

界線の階段を上がっていくと,北のどん詰まりに出ました
1025。
 T字対面の地面に居留地境石碑を確認。住宅の間に「留地境」の三文字でかろうじて分かる。教育委員会の表示が地面に,雑草に隠れてある。
「長崎 居留地境石碑」で検索すると,ここだけでなく複数の石碑がヒットします。単に境界というだけでなく,戦後の米軍風に言えば「犬と日本人は入るべきらず」というラインでしょう。そこまで露骨に言うほど,長崎居留地は強くはならない段階で成長を止めたんでしょうけど。
 ちくりと一言だけ。──グラバー園へ行く方は,なぜここにこんなものがあって,当時何を企図したものだったか,ちょっとだけ想像してみましょう。
 左折北行。

▲居留地境石碑
◇ポイント:GM.(東琴平2丁目5)

東琴平二丁目の登り口に迷う

琴平二丁目5との住所表示,道が南東へ折れる。 
 斜面地を複雑にたどる道です。居留地域を出たのでしょう,区画配置の計画性がかきけされた。いい道です。長崎の道です。
 すぐ三叉路。左のはずだけど行けるのか?表示は二丁目6になった。

▲東琴平二丁目から長崎港を見下ろす。

けた。等高線ルートの好い道に出る。
 確かに見晴らしはいい道ですけど,何かに書いてあるんだろうか,明らかに観光客らしい女性2人連れとすれ違う。
 写真ではバイクがずらりと止められてます。ここへどこから登って来るんだろう。

▲東琴平二丁目の等高線ルートの道

▲長崎港方向の坂を見下ろす。

東琴平2丁目自治会の看板の前に立ちすくむ。1036。
 ここからさらに登る必要があるんだけど,道に自信が持てない。どれだろう?
 地図を睨む。位置情報は少しずれてるらしく,さっき右へ階段を登ってみたら行き止まりでした。

▲少し戻る。住所表示と道の曲がりかただけが頼り

なると一つ前か。わずかに戻ってみる。
 道の海側に住所表示が二丁目3と10と出てる。この番地の境目に一見抜けられそうもない細い道。住所表示しか手がかりがないけど…これしか考えられない。
 再度登る。さて出れるかな?

▲右折東行登りのポイント

(リンク集)04茂木街道(2日目)

①▼ヘイフリ坂まで:行程▼GM.
 ▼大浦天主堂~東琴平2:行程▼GM.

②▽鍋冠山から:行程▽Googleマップ ※F前後は実際は最短ルート
③▽万年坂から:行程▽Googleマップ ※Dには実際は最短ルート

おまけ:ここは,尾道ファンなら耳にしたことのある林芙美子の次の一説のパロディでした。
「海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える、山は爽やかな若葉だ。緑色の海向こうにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている。私は涙があふれていた。」(林芙美子「放浪記」八月×日)→続:尾道文学芸術探訪