m19S_13第三十八波m凪の海冥き身を投ぐ走り梅雨m喜界島m尾根を越す

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1339バス停・先内から東へ。▼▲

坂嶺集落の光景

1345坂嶺小学校の東から右折。
古道?足の官職だと,下生えの下は石積みだと思う。

「岩下正面」と看板。何でしょう,この古道は──。
明らかに隠してある場所です。──帰路に考えてみると,これは少し高い大規模なだけで,やはり甑島や先のウブガーのT字後左右どうちらかを塞ぐL字と同じ発想です。
保食神社(坂嶺)

1351,保食神社(坂嶺)。
大きい。
本殿のラインは横に長く,本殿右手に崖面がある。
本殿右手の段

沖縄の北山だと墓を造るような場所ですけど,埋葬の痕跡は見受けられない。ただ,本殿敷地に要する面積の4〜5倍も石段を造るからには,何かがあったはずてすけど……。
本殿左巨石の祭壇(かもしれない構造)

今登ってきた階段部を含む本殿正面の左右に巨岩があり,おそらく本来の参道はこの二岩の間を「鳥居」にしていたのでしょう。
それぞれの岩の基部,沖縄と同じ箇所に祭壇のように見えなくもない場所がある。一枚目,向かって左岩。
本殿右手巨石の祭壇(かもしれない)

二枚目右岩。こちらにはなぜか梯子がかけてある。
真っ黄色の本殿建物

保食本殿自体はマッ黄色のもの。
本殿左手の段の上面はさらに三段に分かれてる。何があったらこんな床面が残る?
そしてこんな場所の中核を,なぜドス黄色で塗てしまう?
1414退去
保食神社の鳥居に掲げる神社名

坂嶺の集落内風景

坂嶺郵便局
東から迫ってきた尾根と道が交差するようなポイントに来ました。
喜界島循環線をひた走る。

1434右手に「長嶺」と行き先を示す看板。方向は間違いないけどどういう道なんだろう。

登り途中の隙間から北の海を望む。

──酷い坂道でした。S字に尾根越えをする道。けど,この先には碁盤目が広がる。想像つきません。
1450鉄塔。平坦な畑地。風。緩い下り。
「ポイ捨てたるよ」≒ポイ捨てしてやる〜!

なぜか鼻が突き出た畑地を見渡す

トラクターと魔女の木

1453魔女の木。

東へと伸びる畑地の眺め

やや遠方から望む魔女の木

意図せずして来てしまってたシュガーロード

次のラインがシュガーロードだったらしい。
でも探してるのは保食神社。適度な野道を入っていくと……え?あったよ?
入口から折れた場所にある保食神社(伊砂)

供え物あり。賽銭もある。やはり墓型。やはり正面に凹み。前面にはコンクリートブロック。周囲に環状の石垣。
供え物群はたくさんある。

背後は熊笹。最低限の手入れはされている。
右手の鉢植えからユリが後方に飛び出て日の光を求めてる。
保食神社御神体の中央にやはり穴

逃れ出んとするような白百合の花

1508さらに南へ。
台地山手方向の光景

1514 大きな車道に出た。これを下れば早町。
一応だ。1517「特攻隊『震洋』格納庫跡」と矢印のある脇道に右折西行。
案内板のある震洋格納庫の左手上方へ坂道を登ると──あった。観音堂。1525
大正年間のモアイ像

本殿は全くもって新しい。ただ周囲が──
左手に献納碑。コンクリで上塗りされ見えないけれどおそらく大正四年表記。モアイ的な像。
石積み上の保食神祠らしきもの。

右手後方のは保食神の祠に見えます。記名はない。供え物なくかなり古い。
昭和の奉納碑と折れた奉納碑の跡?

右手前に昭和49年建立の記された奉納碑。さらに手前にも同様の何かが建っていたようだけれど根本から折れて壊れて,でもそのまま配置されてる。
本殿右すぐには金炉のような八角柱。位置が中国的なのですが……。
右手の何もない空間

その右手に広場。何もない空間。そんなはずはと丹念にみても空き地しかない。ただ周囲の木々は荒れているから,誰かが特にこの空間を保持しているとしか考えられない。
ハチャメチャだ。なぜこんな空間が出来てしまう?

観音堂からの出口

▼▲早町集落を見下ろしつつ下る。西行。1543▼▲