▼▲
第二日
日の盛りの時間をふくの湯で過ごし,15時発のバスで下山する。
1544唐人屋敷入口
東側に空地が出来てた。高低差が分かりやすい。すぐ裏の小島側まで20m以上はある。
1548土神堂前。
向かって右手,西に「いわし」の幟。
內部に問題の図が掲げてありました。正面参道を下がって右手に「幽霊堂」
その位置は丁度白いビニールシートで覆ってある。こっそりめくってももう草地があるばかり。1154
「いわし」のビルはやはり岩永ビルです。
1158天后-観音のラインまで来た。左折東行。
5mで右に道?地図にはないけど右折南行10m,次いで左折東行。
あった。唐人屋敷時代の石積み。
ごく数mです。ただ左のコンクリの中から突き出している岩は,削らずに埋めてしまった岩壁の欠片と思われます。
にしてもこのラインとは──谷の半ばの緩斜面です。地勢的には如何にも頼りないように思えます。
1610予定通りここから左折東行,階段を登る。
二本の南北道にぶつかった。前回,難東隅石を見た時は手前から来たはず。今回は奥に入ります。左折北行,1615
1620。稲田町一之組親交会掲示板の角に出ました!ad.稲田町2,GM.ではヘアーサロン ペパーミントがヒットする。
ここに1869(明治2)年推定の写真が掲示してありました。確かに山の稜線はぴったりです。
※現地案内板にあるQR:長崎さるくQR
https://nagasaki-saruku.jp/06/
ただしこのURLには掲示画像(下記日下部金兵衛撮影写真)は掲示されていないので,下記画像下に長崎大学附属図書館のURLを添えます。

※ 長崎の古写真考 目録番号: 50 館内から出島を望む | みさき道人 “長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”
※ 長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース/詳細 | Old Japanese Photographs in Bakumatsu-Meiji Period/館内から出島を望む
原タイトル:Nagasaki Harbor
目録番号: 50
撮影者: 日下部 金兵衛
アルバム名: 日下部金兵衛アルバム (2)

仁田佐古小学校校門まで東行。右折南行,小島養成所方向
ad.稲田町12。この三叉路を細道へ左折だろう。1636
1639ふいに水神。唐人屋敷方向を向く,と言えなくもないけど変な向きです。
この界隈にはえらく水神祠が目立ちました。
1644突然下り道になる。山の上にはヤタロウだから方向は崇福寺方向のはず。降りる。
日蓮宗本行寺と掲げてあるけど寺はどこにもない。
ad.寄合町2,車道。中小島西部公民館の対面。1650
玉泉神社と公民館の間の小径を進んでみる。
道が左に湾曲する地点から右へ階段を登る。1655
中小島1丁目西部自治会掲示板
1700ジャスト,ad.中小島一丁目7。中小島地蔵堂へ出たぞ?なるほどそう繋がってるのか。
何度かこの地蔵堂へ至ったルートが繋がったような気がしました。
でももうギブアップ,熱中症のなりかけです。下る。
それにしても猫が多い。影毎に別のが寝てる。
今,中小島集会所の公園のベンチで休んでると,真後ろから白く膨れた猫が驚くでもなくノソノソと出ていったので、こっちがびっくりしたのでした。

■レポ:西小島の丘のS字筆列▼▲
▼▲