第九天
m491m第四十九波m潮鳴りや ふぉるもさ終に隆起してm1佛公天后 2.蚵仔寮朝天
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※要約のみ
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▼▲要約▼▲ |
※日計表のみ
支出1300/収入1400
▼13.0[②063]
負債 100/
[本日累計]
利益 -/負債 362
五月五日(天祝)
0933猪舌冬粉
丸子冬粉200
1240台南美食
肚魷(つくりは毛-一)魚焿米粉280
1505 蚵仔寮林姐妹魚丸
[魚過]魚湯 200(760)
1748 阿好鹹粥 總店
魚肚湯 猪脚飯370
1748 阿好鹹粥 總店
魚肚湯 猪脚飯370
1800 六合夜市 太辣猪肉250
[本日合計]
支出1300/収入1380
▼13.0[②064]
負債 80/
[本日累計]
利益 -/負債 282
五月六日(一祝)
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高雄紅毛港朝天宮創建於光緒年間,早期由洪、蘇兩姓奉祀於朝鳳寺,後來分祀由蘇姓建朝天宮,因此有「姓蘇仔廟」之稱,是紅毛港六大角頭廟之一,民國96年(2007年)因政府在紅毛港的計畫搬遷於此,紅毛港朝天宮的開基聖母為二媽,大媽、三媽分靈北港朝天宮,因此每年媽祖生都會前往北港進香。廟內還有一尊北港媽,相傳百年前某次進香跟隨回宮。紅毛港朝天宮也流傳著多則媽祖神蹟故事,從指示漁民捕烏魚方向,到建廟神龕壁上浮出媽祖聖像,皆顯現紅毛港朝天宮天上聖母澤被黎民、神威顯赫。〔後掲GM./高雄紅毛港朝天宮/張龍龍クチコミ,2023.10頃(以下同)〕
高雄市紅毛港の朝天宮は光緒年間に創建され、当初は洪姓と蘇姓が崇拝されていたが、後に蘇姓によって朝天寺が建てられたため、朝天寺と呼ばれるようになった。 「蘇蔡宮」。紅毛港で6番目の寺院です。大焦頭寺院の1つで、1996年(2007年)に政府がここ紅毛港に移転する計画により、紅毛港の朝天宮の建立聖母は二代目でした。母、長男と三番目の母親は北港朝天宮で引き離されたため、媽祖の学生たちは毎年北港へ祈りに行きます。寺院には北港の母親もおり、100年前の巡礼の際に北港を追って宮殿まで戻ってきたと言われています。また、紅毛港朝天宮では、漁師にボラを捕る方向を指示したことから、媽祖廟の祠の壁に現れた媽祖の図像に至るまで、媽祖の奇跡に関する多くの物語が広まっています。〔同自動翻訳〕
歷史沿革
相傳乾隆十年,先民恭請聖母來臺定居紅毛港,最初將媽祖與眾神合祀於朝鳳寺。光緒年間朝鳳寺分祀,經擲筊決定由廟內主事兩大姓氏,洪姓供奉觀音佛祖,留於原廟朝鳳寺;蘇姓奉祀媽祖另建朝天宮,起初因經費短缺搭建草寮祭祀,爾後香火漸盛,當地張、鐘、陳等姓氏共同祀奉並改建為石廟。〔後掲GM.〕
歴史
乾隆10年、祖先が天母を謹んで台湾に来てホンマオ港に定住するよう招き、朝峰廟で初めて媽祖と神々が祀られたと伝えられています。光緒時代、朝峰寺は二つの姓に分かれていましたが、投票の結果、寺院を主に二つの姓が担当することが決定され、洪姓は観音仏を崇拝し、元の寺院である朝峰寺に留まり、その後香が建てられました。ますます人気が高まり、地元の姓である張氏、忠氏、陳氏が共同で崇拝し、石の寺院として再建されました。〔同自動翻訳〕
民國53年(1964年)因紅毛港朝天宮廟地狹小,在原址北側重建。民國56年(1967年)政府開闢第二港口,導致朝天宮原址沒入海中,廟址遷至高雄小港海汕五路132號重建,民國61年(1972年)完工,張姓居民因港口開闢遷至對岸的臨海新村,由於隔海遙望需搭船祭祀不易,張姓聚落另建臨鳳宮。多年後,政府針對高雄港擬定第六貨櫃儲運中心興建計畫,紅毛港再次面臨遷村問題,民國96年(2007年)朝天宮遷至新址高雄前鎮區,民國102年(2013年)落成竣工,同年1月舉行三朝祈安清醮,邀請北港朝天宮、旗津天后宮、茅港尾天后宮等聖母前來共襄盛舉。〔後掲GM.〕
民国53年(1964年)、紅毛港朝天宮の敷地が狭いため、元の場所の北側に再建されました。民国 56 年 (1967 年) に政府が第 2 港を開港したため、朝天寺の元々の敷地は海に沈み、寺院の敷地は小港市海山五路 132 号に移転されました。民国61年(1972年)に完成、開港に伴い張姓の住民が移転、交通が困難だったので対岸の臨海新村へ海を越えて礼拝するために船を渡した後、張の集落は別の臨峰宮殿を建てました。数年後、政府は高雄港に第 6 コンテナ保管輸送センターを建設する計画を立て、虹茂港は再び移転問題に直面し、民国 102 年 (2013 年) に朝天宮は高雄港に移転されました。高雄市前鎮区に新しい場所が完成し、同年1月には北港朝天宮、旗津天后宮、毛港衛天后宮などの聖母を招待して3つの王朝祈祷が行われた。壮大なイベント。〔同自動翻訳〕
媽祖神蹟
相傳一百年多前,朝天宮廟埕在酬神演戲,別間廟暗中派人偷走唱戲的工具與戲服。結果在逃跑途中,媽祖突然顯靈震懾竊賊,嚇得他們全部昏倒在地上,此事在紅毛港廣為流傳信徒倍增。
早期漁民出海捕烏魚時,都會到紅毛港朝天宮請示媽祖捕魚的方向,每每聖母指示的位置皆能保佑漁獲豐收,滿載而歸。二次大戰期間,當地流傳著媽祖接炸彈的故事,並且預告在過時日戰爭就要結束。朝天宮的聖母金身底下有個窟窿,早期醫學不發達,信眾家裡有人生病便會到廟裡祈求神明幫忙,慈悲的媽祖常以自己金身底部取一小塊磨成粉作為藥,幫助信眾治病,隨著時間的推移神尊下方就出現了凹洞。〔後掲GM.〕
媽祖の奇跡
伝説によると、100年以上前、朝天宮廟で神を讃える公演が行われ、別の廟が密かに人々を派遣してオペラの道具や衣装を盗ませたという。その結果、逃走中に媽祖が突然現れて賊たちを驚かせ、全員が気を失って地面に倒れ込んだため、この事件は紅茂港に広く広がり、信者の数は倍増した。
初期の漁師たちはボラを捕りに海に出ると、紅毛港の朝天廟に行き、媽祖に漁の方向の指示を求め、そのたびに神の母が示した位置が豊作を祝福して戻ってくることができました。フルロードで。第二次世界大戦中、媽祖が爆弾を拾ったという話が現地で広まり、その頃には日本の戦争も終わるだろうと予測されていた。朝天廟の聖母の黄金の体の下には穴があり、医学が発達していない初期の頃、家族が病気になったとき、信者たちは媽祖廟に行って神に助けを祈ったものです。しばしば彼女の黄金の体の底から小片を取り出し、それを粉にして信者を助ける薬として使用しましたが、治療により、時間が経つにつれて神の下に空洞が現れました。〔同自動翻訳〕
红毛港是过去位于高雄市小港区的一个渔村,与盐水港、大林蒲及中洲相接壤。曾经是日本统治时期高雄州乌鱼渔获的主要产地[1]。
红毛港又可细分成“埔头仔”、“姓杨仔”、“姓吴仔”、“姓李仔”、“姓苏仔”、“姓洪仔”等六个聚落,各有一间角头庙。〔維基百科/红毛港 (高雄市) 〕※引用
[1] 聚落發展脈絡. 红毛港聚落文化. [2010-05-07].
〔日期:约1904年 来源:台灣堡圖 作者:臨時土地調查局〕
朝天宫 [主神]天上圣母[旧址]小港区海汕五路132号〔維基百科/红毛港 (高雄市) 〕
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0738退房。媽祖宮で朝から爆竹。
0755屏東発、高雄まで。3152次嘉義行。
薄曇ながら日差しはある。本日も暑くなりそうです。
屏東の町並みは2分ほど続いて緑に戻る。0758六塊厝。
広い川原の河川。二重渓らしい。家はないから増水時には一杯に水を湛えるのでしょう。河口は東港渓と海間際で交わる。
0804九曲堂。台湾語で「きゅうきょくとん」と言ってる。日本語に非常に近い。
地平に黒雲。空にはいわゆるかなとこ雲。天気予報では一時雨とある。ただ夜らしいし準備するのは止めよう。神の日を期待する。
0807後庄。自動車道の高架下の駅。駅が一つ毎に相貌を転ずる。
0811鳳山。えっ?地下に潜った?台北車站でもこういう設計思想だったけど、高雄も同じなのか。がっかりだけどワシは鉄ちゃんではないのでまあ許容範囲である。
次の駅名は「正義」??
南北方向に延びている正義路と澄清路の間にあることから当初は正義/澄清という仮称だったが、正式に正義駅となった[5] 。〔wiki/正義駅〕※原典:[5] (繁体字中国語)鳳山計畫標案執行現況 > C411標正義路段隧道工程,2017-11-02,鉄路改建工程局
科工館の次は「民族」──びっくりする駅名だけどこれも道路名から。しかもこれが高雄車站の一つ手前なのです。
意外に高雄という都市の時空位置は面白いようです。一日半でどこまで知れるか、なかなかの勝負です。
0822高雄。所要27分。これだから通常は、屏東に3泊する観光客はいなかったわけで狙い目でした。
しかしこの駅──結構趣味悪のように見えるのはワシだけでしょうか?
站東路へ出て九如二路。
隣のセブンに広いイートインスペース。
0850康橋商旅 KINDNESS HOTELに荷を置く。一階に洗濯機、ウェルカムバー(ジェラート有!)。
朝飯も兼ねちょっと熱河路まで北行してみる。
瀋陽街。0903。
熱河路。途端に店が並ぶ。0913東行。
0919現煮原味過魚湯を発見。でも開店する様子がない。この東、自由一路対面にLOUISA COFFEEあり。0700-2100
大連街を南行、帰る。
0930
0933猪舌冬粉
丸子冬粉200
正直、米粉の炒めもののようなものを想像してたのでテンション下がったんだけど──一口で衝撃。
出汁か?無茶苦茶な旨さです。魚丸からのものとしか思えないけれど……なぜここまで美味い?
調味料に辣子が置いてあったので、僅かに投入する。お?おおおっ!!
7時からやってる。切盤系列として骨仔肉、猪舌、花肉、燙青菜がある。青菜がベターだけど──花肉は「豚の肋骨の近くの肉です。皮膚も骨も肉ある肉と申します。中国の江西省では、この肉をチョップでフラットにする、それからスープと一緒にポートで焼くって風習がある」(yahho知恵袋)そうな。
近くから見ても全然駅っぽくない高雄車站から、地下鉄……と言っても全部地下なんだけど、とにかくREDLINEで草衙站へ。一駅前:前鎮高中。
ここの地下にはフードコートあり。
着いてすぐ空港近くのこんな場所に向かうのはどうも気が引けるけど、早く帰りたい訳じゃなくむしろ逆。前掲引用参照。
1014、乗車するも結構な満席、立つのがやっとです。揺れが少ないからスマホ打つのも楽ですけど。すぐ座れたし。
三多商圏で半数が降りほぼ立客はいなくなりました。
獅甲は古地名らしい。由来そのものは不明だけど一度消されて復活した駅名。
台湾語白話字:Sai-kah Cham
客家語白話字:Su-kap Cham
計画時の駅名は労工公園駅である。その後古い地名より獅甲と名付けられ、労工公園は副駅名となった。〔wiki/獅甲〕
下車すると祭囃子のようなBGM。地元でも古い土地と認知されてるようです。
一番出口を上がるとYouBike置き場の前でした。港側はトレーラーの駐車スペース。
レンタルして東北行。1038
高架下の道?
草衙を回りこむような水路は前鎮運河という。
高雄捷運股份有限公司?でもこの道でいいらしい。
1049高雄市前鎮区紅毛港國民小学
明鳳五街。次の三路のはず。1052
1055紅毛港朝天宮 Hongmaogang Chaotian Temple
北面。
14行中中央四行
右聯「朝澤群生地靈人傑神功弘蕩滋景祚」
「聖恩春風降洋洋乎如在上」
左聯「母德化雨施循循然善誘人」
「天佑大化物富民康廟貌巍峨慶維新」
右手の紅毛港朝天宮沿革誌はほぼGM.記載のもの。古名は姓蘇仔廟。
最右壇は月老殿。かなり新しい。1109。
右壇は註生娘娘。背景麒麟。
正面。やはり新しい。それに……ネオンがこみ上げてきてる。
左壇は福德正神。背景孔雀。
最左壇は文昌殿。御神体が筆を取ってる。これも背景麒麟。
虎爺は御本尊直下にわざわざ部屋を設けてあります。1119
金爐の雙魚吉慶の図
有り難くも灰皿があったので一服しつつ、次の目的地を考える。
行くのが楽なのは西北の五甲龍成宮だけど、場所的に興味深いのはやはり南西の仏公天后宮と思えます。
やや鍵がキツい。引っこ抜く。
道を戻って草衙駅を通過。1144
1151佛德街。后平路
天后街に入る。仏公天后宮。東面。
八行中中央二行。
右聯「天道輝煌萬古威靈揚正氣」
左聯「后天配德千秋德澤被群黎」
佛公天后宮沿革史の天后宮建設までは長くて分からん。でも
・1622(天啓2)年に福州郊外「馬尾溝」にいた黄氏夫妻の物語に端緒を持つこと
・鄭成功が台湾に入った時期に黄夫婦も来台
・創建は伝・1697年。そのころの地名は「鯪仔寮」
右壇は文字が小さいけど註生娘娘と読める。背景は龍か。1216
左壇もよく見えない。
虎爺は先と同じ御神体直下の穴におられるようです。
この南側には宮のゲートらしきもの。
文字は「后德配天」とあり確定できないけれど、位置的に天后宮のもの。とすると、迎王の行事があったのでしょうか?
確かに濃い潮の匂いはしてるのですけど……。
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