1214水月宮。なぜか顔が真っ白。またなぜか手前にお茶の用意がしてあります。
▼▲【1】水月宮の左壁に「大埔舊墟天后宮丙寅年重修落成紀文」。康煕30年とあるのが1691年です。ただ碑文自体は間違いなく最近のもの。
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▼▲【2】天后の右聯「殿宇荘嚴人傑地靈千古跡」左聯「神功浩大民安物阜萬家春」
天后宮。
1221入口左手に「財帛星君」廟。この神も顔がない。実見するとうっすらと目鼻の輪郭はあるのですけど。
右手に「文昌帝君」廟。こちらは厳しい髭面。
左奥壁「註公仙聖」。ニタリ顔。1228
左奥「華光大帝」。ビックリ顔。1229
中央「天后娘娘」も昆虫顔です。手前の小さな媽祖が古いのでしょうか?
天后の足元に「地蔵天下……」と読める神位がある。虎爺ではないけれどその位置です。
やはりお茶セットが手前にある。
右隣に「桃花仙娘」。真っ赤に照らされ憤怒相にも見えます。1234
右檀は「九辰殿」。千手観音のモチーフで神像多数に囲まれます。
右壁に「大埔舊墟天后宮己丑年重修紀文」
大埔舊墟天后宮建於清康煕三十年、屢經世變、歴時久遠、星斗換而百業興、人事非惟神靈在、本宮前臨碧海、後倚崇山、左靠八仙嶺、右接大帽山、日照斜暉、山川靈秀、落成至今、香火鼎盛、百業興旺(略)〔同碑文〕※下線は引用者
この後に台風が来て廟が壊れたのを再建したとある。
一つは廟前が海だったこと。もう一つは斜面が日差しを和らげる点が好地の条件とされたこと。
1249協天宮。神檀には「關聖帝君」とある。
その外側に大王爺廟。線香は燃えてるけどえらく粗末な扱い。神像はない。
元朗の村の構造と同じです。恐らく元の祭祀がここで行われていた場所を、天后を奉ずる海上勢力が侵食して、元の拝みを屋外に取り残したのでしょう。
新旧の勢力交代を物語る、というところまでは予想できます。
まだ雨は来ない。宮の東の道・汀角路を北行。
大埔舊墟(古集落)と呼ばれながらほとんどマンションとアパートの町。その痕跡がどこかに残るのでは──と現地で航空写真を開いて目を引いたのが北北西のこの集落でした。
太平工業とある白と赤の古いビル。この交差点は隊道でくぐるらしい。

1257──いや、北の道をくぐれません。少し西からやっとトンネルあり。
ここから大埔遊泳池の西淵を抜けれるか?
行けた。三叉路は右へ北行。1306
北の端。ロータリーの向こうに集落あり。北西へ。1309
ad.大埔頭路21。道は新圍仔路。
三叉路。左を「營盤下」、右を「新圍仔」「竹坑」矢印が指す。右へ。1312
竹坑告知板。大埔民政事務處ともある。周囲の家屋は新しい。やや小さい家の多い左手だろうか?
いやもう少し北のはずです。進む。
左手に渓流。
道が尽きた。この上の細道か。1318
すぐT字。1320左手は行き止まり。
1321右へ。大樹。「山泥傾瀉危険」と表示。
この活動は「一切活動」に一応含まれるのか……な?
「残疾人士體育訓練計劃」というポスター。それは行政施策として成立するのか?するかもしれんな意外と。日本だと前提になる理論作りが一仕事っぽいけど。
稲香が一號漁船に買収されたらしい。2時からなら安いので貧乏らしくあと15分待つことに。
1348 kopi
Black ice 40HK$
ブラックコーヒー一杯が8百円かよ!!全般的に日本より既に高いよ。韓国みたいな安かろう、そんなに悪くなかろう、という市場はもうなくなってるみたい。これが大陸マネーの影響でしょうか?
1402 壹號漁船
輕盈糯米飯(粳米蒸の山盛)58HK$
普洱茶 250
まるで飲茶じゃないぞ?洗茶の洗面器もないし何より一番安そうな(現実的な)点心類の紙がこの時間は「加20元」だと言い、二種から選ばせてくる。……それはねーだろ?てゆーか、そういう店に二度と来ないだろ普通?
まあこっちは涼みに来ただけだし。
でもこの蒸し米のプリンは美味かった。ムチムチの餅と米の間状態で、豆がピーナッツほか計3種。アサツキも香る。パクパク食べれる硬さではなく、ちびちびと噛み締めながらお茶を飲める。ほんでこれがポーレイにばっちり合う。
つまり壊れてるのはサービスのみの勢いのあるチェーンというわけで。元はきっといい店だったんでしょうね。
食べてるうちに雨。もうすぐ世界定額も切れる。
1528安祥路からミニバスでMRT大埔墟。
今日の雨はしとしと降ってスコールっぽくない。大埔墟の町は雨中に見る限り過ごし易そう。ただカフェとかはないかなあ。
前回から荃湾を選んでるのは、生活に困らないことに加え、カフェ──具体的にはPacificとスタバがギリギリ存在するという点が大きい。
東鐵線。当然座れない。──と思ったら大圍でサクッと座れました。この駅はやはり相当乗降があるのです。
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