本伝豪遊記04《豪遊∧4》坂の上の松山

2008-11-29 22:09

 いで湯と城と文学のまち…って看板が,今,チンチン電車の窓外を通り過ぎていきました。
 ちょっと欲張り過ぎたキャッチだけど…この香り高き街なら許せる!
 これもあちこちで見るコピー。「恋し,結婚し,母になったこの街で,おばあちゃんになりたい!」ってやつ。全ての街人がこんな感覚持てたらハッピーなんだけど。
 も一つ,市内低床電車に「だから,ことば」募集のポスターをよく見かける。「城下をゆっくり走る路面電車をキャンパスに見たて,”勇気”や”元気”が湧きだすような『ことば』を発信します」って企画。松山市が伊予鉄の協力で実施してるらしいけど,この文学の街──ってゆーより今や「俳句甲子園の街」松山に抜群にフィット。
 さっき知ったんだけど,例の「恋し…」のコピーはこの「だから,ことば」の優勝作品なんだって。
 松山の文化の香り。それは過去の栄光をなぞり続ける下り坂の光じゃない。さらに新たに眩く紡ぎ出す登り坂の光!
 平成の大合併後,断末魔の過疎化が進行する中での確固たる歩み。世界最強のロシアに挑んだ明治日本のよに,この街は質的に輝くことでマジに生き抜こうとしてる稀有な田舎町。坂の上の松山をハッキリ見据えて。

 松山の坂ってゆーと…2つの坂道が鮮やかに浮かんでまいります。
 一つは,大街道から電車通りまたいで北に伸びる坂道。ロープウェイ街って呼ばれるみたい。ずっと北へ入ると松山城登山口。さらに道後手前の上一万に至る。
 道後へ向かう時には,わざわざ大街道で降りてこの坂道を歩く位にお気に入り。
 オシャレに舗装されてるけど,元々の道も古いんだろ。城下町っぽい脇道やレンガの洋館がそこここに残ってる。イリコの専門店なんて他にありまっか?
 しかもこの坂道もまた堂々たるポップ文化の発信地!喫茶店やカフェが並び,行き交う年齢層も若い。わし的に現時点で最高峰の自然食カフェ「SOHSOH」もここにあります。
 だからって伝統系も負けちゃいない!前章で「鹿児島グルメで薩摩揚げの話が出ないなんて…」って思ったアナタ!…実は食った。覚醒中の舌は以前より格段に美味く感じはしたけど──やっぱり愛媛のジャコ天には届かんネ!(薩摩隼人の皆様に殺されそ!)中でも…市駅そばの井上カマボコにもハマったけど,最高峰はこの坂道にある東雲カマボコ!ジャコ天と野菜天が他とは比べものにならん新鮮さ!

 新鮮って言えば,ここに「霧の森」って小さな店がある。
 愛媛県の山間部の新宮村が開いた,いわゆるアンテナショップ。開店そうそう松山市民がガンガンに来店して来てるみたい。豆腐がメイン商品だけど,売れ筋の豆乳にはわしはまだお目にかかったことがない。仕方ないからサブの商品を買って帰ってみると──
 松山人よ…コレに列を作るあんたらの舌はすこぶる健全だぜ!
 スゴい――この一言しか出ない。豆腐はもったいなくて醤油をかけたことがない。豆腐アイスも,市販のアイスが食えなくなるよな別次元の味覚。ユズヨウカンなぞ…一口でニンマリしちゃう。踊り出したい妙味ぞなもし!(無理な愛媛弁)
 ロープウェイ街はまだまだ興味があるけど入ってない店や細かく見てない路地はまだいっぱい。奥はさらに深そーでありまして…がぜんツーリスト魂を刺激して止まないわけ。

 もう一つの坂道は,実は坂の上の雲ミュージアムの中。
 この建物の構造は極めてシンプル。外周を巡る坂道がぐんぐん上へ続いてます。これをたどってくと,壁一面が文字で埋められた場所に出る。
 「坂の上の雲」は司馬遼太郎の新聞連載小説。この新聞誌面全編が壁に貼ってあるんだわ。縦10m以上,横は30mはある壁。上の方は当然読めないけど──
 明治初期の冒頭部分から日清戦争,日露開戦,遼陽会戦,バルチック艦隊,二百三高地,奉天の大会戦,日本海海戦。あの長編を一度読んだ人ならば!!忘れ得ぬあの場面,蘇るあのクダリが坂を一歩登るごと走馬灯のように華子の脳裏を駆け抜けていくのであった!!
※ 次回予告:闇に光る目・内蒙古謀略編


▲松山市駅から続くアーケード街・銀座商店街の分岐,南銀座は何かヘンなんで大好き!中でもこの「変なもの専門店」には毎回寄っちゃう!前回は「江頭缶詰」を見つけたぞ。

 内蒙古の情勢はさておき,注目したいのは松山における都市文化の作り方であります。
 俳句甲子園‐坂の上の雲壁面‐「だから,ことば」キャンペーン――これら”現在”の地道な活動が,路面電車‐漱石・子規の残像‐松山城‐日本最古の出湯の風情という”過去”の重厚な輝きと幾重にもエコーする中に,松山が醸し出そうとしている”未来”。
 これら文化的な資源も活動もお世辞にも派手なもんじゃありません。過去のどの時代にも,この町が日本史の中心だったことはない。忽那水軍がいいとこです。未来においても,伊予鉄道以外はとんでもない大企業があるわけじゃなし,四国州の州都争いでもアナ馬。一時構想された広島‐江田島‐忽那‐松山間の第三瀬戸大橋でも実現しない限り,地政的にも派手さは求めにくいでしょう。
 地味だけど自然形成された文化×金をかけない文化政策。
 その重厚な街の空気作りの核心にあるのが,俳句甲子園に代表される「ことばのちから」事業です。
 新学習指導要領に「思考力」「表現力」の基礎として位置付けてから,「ことばの教育」政策は全国定番の事業。
 ただ,その性格上,効果測定のできないミミッチイ事業になりがち。役人が作ってるし,そーゆー当たり障りのない「一応やってま~す」的な言い訳事業に一番なりがち。
 曰く――アメリカの子どもは,学校でまず,しっかりした論理的文章が書けるように徹底的に叩きこまれるという。未来のステージでインド人に負けない合理的思考力の素地ってのはそーゆーリテラシー。
 そのインドの今の理系の力は,独立直後の理系大学で研究経費不足から仕方なく理論研究に重点化したことから始まってる。2桁の九九だけじゃないんだ!インドの教育ママは,今日教室でどんな質問をしたか報告させて,そのクオリティーを評価するってさ。そーゆーセンスで,理論をガシガシ紡げるインド人が今この瞬間も育成されてる。
 そーゆー血の通った効力意識の,社会や地域の死活を賭けた「ことばの教育」は,特に地方にとって,将来の跳躍のてきめんな底力の差となって現れてくるはず。
 じゃあ,どうすりゃその効力意識を確保した事業が構成できるか?数字で直接測定できない以上,大規模な投資も期待できないこの分野。
 ――健全なセンスを外部から入れて展開するしかない。競争によって研がれ,全うな危機感を持った産業界のセンスで,社会運動として実施するのが有効性を確保できる可能性が高いはず。
 恐らく――そのアプローチで最も成功してるのが松山だと思うのよ。

 例えば,「おばあちゃんになりたい」を生み出したことばのコンクールの応募作品は,単に選考表彰されるだけじゃない。相当数がネット上で公開され,使用申請をすれば企業が活用できる。無断使用も当然予想されるけど,そんな手続より現実的な波及を狙った効力意識はクレバー。
 複数人での音読による「ひびけ言霊!『ことばの合唱コンクール』」。コンセプトは「立体的な,迫力ある言語活動」。要はイベント性,商品性を競わせるってこと。ドメ官庁からは百年経っても出ない発想だね!
 先述のミュージアムを,松山市は「フィールド・ミュージアム」の中核と位置付ける。市内全域を美術館と見なす発想そのものは,遠野のグリーンツーリズムの展開に似る。ただ,その目標像は「回遊性の高い物語のあるまち」。
 坂の上の雲ミュージアムの構造は,もちろん「坂」のイメージ。江戸末期の平和ボケした島国が,当時存在してなかった国――列強に対抗できるアジア唯一の独立国を目指した,無謀な長い傾斜面。
 けれど。「回遊する物語」のイメージも表現してた!!――松山はこの奇妙に前衛的な建物でもって,自身の未来の標準器を,まず作ってみたんだな。
 世界最強と言われたロシア陸海軍を,陸では沙河会戦で,海では日本海海戦で破った男たちを,既にこの田舎町は生み出してきました。
 松山に,2つ目の奇跡が訪れんことを。
 同時に――俳句甲子園の町から出た傑物が,フラット化世界で自律できる国へ導かんことを。