外伝06@明潭@@_53_@) 第三日@ 写真集2 (@_53_@)

▲士林夜市・辛発亭の楓糖粉園雪片

▲麻辣臭豆腐 大南店の招牌腸旺臭豆腐

▲米塔手感[火共]焙の[員力]章馬[上/下](フルチョコレートケーキ)と法式謳爵起士(チーズケーキウィズオレオクッキー)

▲景美夜市・猪肝炒麺の同名焼そば(どアップ)

▲日月潭か台中で買ったビスケット…だったと思うよ,きっと。忘れました…。
※後日談:過去のあまりの杜撰な書きぶりを反省した追記
 な……何を言っとるか!コレは嘉義名物・老楊方塊酥ではないかっ!おそらく日月潭で購入したんでしょう。

嘉義では「老楊方塊酥」と「莊家方塊酥」という2つの大きなメーカーが有名

※嘉義のお土産と言えば四角いクッキーのコレ – 老楊方塊酥(T.K FOOD) | 台湾の風
西門守護神・林默娘

■レポ:海域アジア版桃酥:方塊酥

 それで綴ってみるけれど,この嘉義のものはまさに沖縄の「ちんすこう」(沖縄の漢字表記:金楚糕)。ただ味覚はもっと脂臭く,大陸の桃酥に似てた記憶です(舌の記憶は確か)。当時,「ちんすこう」に似てると味覚認識した記憶はなく,形だけが似てるわけです。
ちんすこうとの相似
形 味覚
桃酥  非相似 非相似
方塊酥 相似 非相似

1 ちんすこう正史

 wiki/ちんすこうでは「ちんすこう」の歴史を次のように記載している。

中国には桃酥という同種の焼菓子が存在し、その昔、中国南部で作られていたと言われている小麦粉に砂糖とラードを加えて蒸したカステラのような蒸し菓子が、沖縄県の気候や原料に合わせて創作されたという説や、ポルトガルの焼き菓子であるボーロがシルクロードや海路を通じて伝わった説などもある。

 つまり,桃酥との相関を疑いつつ,形状・味覚の差異を説明しきれない。その余りに,ポルトガルのポーロ起源説まで引っ張ってこなければならなくなっている。
 何か違和感がある。

2 新垣ちんすこう=現ちんすこうの形成

 wikiの以下の部分は新垣菓子舗の伝承に依っているらしい。

琉球王朝の後期、料理座の包丁人であった者達が冊封使の食事を賄う為に渡った中国(福州)で習得した中国菓子と、薩摩藩の在番奉行の接遇の為に石原嘉右衛門や柳屋善太郎から学んだ日本菓子を琉球独自の菓子として作り上げたもの。

 この後半の部分はよく分からない。「ちんすこう」には日本菓子とか薩摩人な嗜好とかに通ずる要素はない。販売の方法や感覚を倣った,ということでしょうか。
 ただし,前半部分の「福州で習得した」という部分はもっともらしい。

尚灝王、尚育王、尚泰王の3代に首里城最後の包丁人として仕えていた一世の新垣淑規(宣肇基·新垣親雲上淑規)と二世の新垣淑総から、廃藩置県後に琉球菓子の作り方を伝授された三世の新垣淑康は、1908年に沖縄初の菓子司として新垣菓子店を興し、今日のレンガ釜で焼いたちんすこうを販売した。この焼き菓子のちんすこうは船で琉球と日本本土を行き来する者達の土産品として既に重宝がられていたようだが、大きい上に、食べるとボロボロと崩れるという欠点があった。

 この欠点を補うに当たって,アメリカのクッキー作りの工程が採用されたという。これも戦後の沖縄らしい。

新垣菓子店から分家独立という形で那覇市の久米に店舗を構えた新垣淑扶は、これまで菊型の丸い形をしていたちんすこうを米軍基地で使用されていたクッキーの型抜きを再利用し、一口サイズの細長い形に改良。(略)その後、ちんすこうは沖縄県の本土復帰と沖縄国際海洋博覧会という二大イベントも重なり、沖縄県を代表する土産菓子としての認知度をさらに広めていった。

3 現ちんすこうの形成は戦後,アメリカ軍政下

 ということは,「ちんすこう」が今の形態に安定したのは戦後なのです。桃酥が小さくなったのは,この時期に大量生産の便から,アメリカのクッキー作りに準拠したことになります。「ちんすこう」が方形なのはカットされてるからです。食パンと同じ思考法です。
 この流れの中に,方塊酥は登場しない。
 一方,百度百科は方塊酥(簡体字:方块酥)を「台湾嘉义的特产」と記す。大陸中国視点からしても,大陸,なかんずく福州起源とは見ていない。
 なおかつ,では何が起源なのか,という点は言及がない。

方块酥是台湾嘉义的特产,又名恩典酥,为一种糕饼类的点心,口味香甜,有多种口味,为当地地道的特色小吃。

※百度百科/方块酥

4 方塊酥もちんすこうも戦前には巨大版だった

 次の記述は百度百科の「嘉義方塊酥」ページで,概ね上記と似た話が書いてあるけれど,注目したいのは「ちんすこう」と同じく元々巨大だった,という話です。

原来的方块酥很大块,比手掌还要大。

※百度百科/嘉义方块酥
──元々の方塊酥はとても大きな塊で,手のひら大よりもっと大きい。
 さて,なぜここまで長くだらだらと追いかけているかというと,
①大陸:桃酥
   ▼
②嘉義:方塊酥
   ▼
③沖縄:ちんすこう
という由来を結論にするためではありません。方塊酥については大陸の桃酥との繋がりが明瞭でないし,「ちんすこう」にも台湾との関わりは語られていないからです。

5 方塊酥-「ちんすこう」同時発生説

 そうではなくて
①大陸:桃酥
  ▼ ▼←④米
▼ ▼ :クッキー製法
[②③海域アジア]
②嘉義 ③沖縄
:方塊酥 :ちんすこう
 という図式が,以上の事実と整合するものとして,お示ししたい仮説なのです。
 整合というのは,桃酥のa)方形化が沖縄・嘉義で相似的に進み,かつそれがb)アメリカ食材加工の準用だとすれば,「ちんすこう」と方塊酥は同時に同要因で形成されたとするしかない。どちらが先でも後でもない。
 そして,そんなことが起こる環境としては,沖縄と嘉義,つまり台湾が「当時」一体的なまとまりを形成していたと想定するしかない。
 当時とはつまり,新垣ちんすこうが出来たアメリカ軍政下の時代です。その時代,つまり大密貿易時代の東シナ海は一体的で,沖縄の米軍政府からの影響は,後の狭義の「沖縄」だけでなく台湾も同時かつ同等に受けた。
「ちんすこう」と方塊酥の元祖=巨大版が,風味の差こそあれ,ともに桃酥の海域アジア版だったからです。すなわち「ちんすこう」の漢人風味が方塊酥,方塊酥の琉人風味が「ちんすこう」。
 つまり,桃酥をともに起源とする方塊酥と「ちんすこう」は,海域アジアの最後の時代の存在証明たりうるのではないか,というのが仮説としての結論です。

6 残る論点群

 首里の宮廷で食されていた,というのはひょっとしたら起源ではなく,海の食文化の貴族化版というだけかもしれません。
 また,方塊酥の台湾・福建読みがどうしても分からないのですけど,鳳梨酥を台湾読みで「おんらいそー」と読むように,例えば「□-酥-塊」とでも語順を改めて「ちんすこう」と音読したのでは?とも思ったけれど確証に至らなかった。
「おんらいそー」と言えば,呉の鳳梨饅頭は「おんらいまんとう」と読ませる名菓です。由来は不明,50年前に創始してる。
 屑鉄が密貿易の主商品だった時代,旧海軍の都だった呉近辺は屑鉄の主産地でした。