油煳干青∈外伝12∈辣辣∋貴州編@第三日:真っ赤な激辛チャプチェに悶絶す 貴陽Ⅰ∋糟酸麻蒜

▲「貴陽乳腺医院」
 ポップな桃色看板が妖しいのも手伝って,エラく目を引いたんで思わず撮っちゃいましたが…独自に一店構えるほど問題になってるんだろか?

[前期末繰越]
(利益 0/積立 0)
積立 964/負債 964

0830[サ/将]家腸[日王]麺館(合群路市第五中学前)
腸[日王]麺8元/300
1050筑[サ/シ平]快餐店(太平路)/550(850)
1350七柱山黒真珠(机場)
1405SPBcoffee(机場B06端片)
esspresso
→継続:外伝香港編/廈門遠征編

▲[サ/将]家腸[日王]麺館の腸[日王]麺

 ヤンワン麺 毎朝喰らう 貴州旅
 朝から激辛モノという生活は中国内陸滞在の醍醐味と言っていい(のか?)。ちなみに,留学中の定番は毎朝の激辛豆腐脳でした。
 合群路から,創建1930年という中学の上り坂を少し北上し,左手に入り込んだ中庭みたいな場所。人が群れてなければ気づかなかっただろう。昨日の歩きでたまたま見つけた店で,ガイド等には見当たらず,味の保証はない。ないけど──覗き込んだ調理場のオヤジの頑固そのもののふてぶてしい面構え,横手で釜の湯気にまみれとる奥様(きっと)…うむ,これは本格的としか思えない(のか?)。
 と独り合点して再訪の運びと相成りました[サ/将]家腸[日王]麺館。合群路市第五中学前。
腸[日王]麺
 中国名物無秩序行列に揉まれながら(とはいえ昨日訪れた昼時よりはかなりマシ)調理場脇で現金と引き換えに碗を受け取りまして。
 朝の開店間際だろうに,結構混んでる。なぜか中庭が皆さんお好きなようで,屋内は意外にすいてたので,そちらに席を確保しました。
 備え付けの激辛沢庵を小皿に添えて…いただきます。
 ──美味い!
 カス肉。味わいがよく出来てて噛むほどに深まっていく。
 モツ肉。味が強く染み出てる。
 血液ゼリー肉。のどごしがスルンとクドミがない。
 汁。辛味もガッチリしてるのにシンプルでブレがない。
 麺。わずかにシコシコした歯応えを内に留めてて,噛んだ歯先を押し返してくる。
 良い。何よりも,これらの融合体がバランスよく,程よい食い応えを作り出してます。3種の具もいずれも出過ぎず,いい個性度でアクセントを与えてきます。
 アクセントと言えば──テーブル上に陶器の瓶がずっとあり,前の客が酒でも飲んだかと思ってたんですが,合い席のオヤジがおもむろに碗にドクドク注ぎ始めました。注がれてく黒い液体は,どうやら香酢か?
 碗内のバランスを崩したくなくて終盤まで控えましたが,オヤジを真似てちょっと注いでみる。元の均衡は意外に崩れず,辛味だけがまろやかに,また彩度を上げてまとまってきた。
 なるほど。香酢ってこういう作用をとるのか。
 貴州料理の味わいは,いわば極めて男性的です。繊細に計算されてるけど,タッチは太く濃い。それに対して,浙江料理から出た香酢は,癖が強くて濃厚だが,筆使いは細く薄い女性原理。
 ゆえに,両者はハーモニーを形成しうる。
 バスとソプラノの合唱というか。
 貴州に元々,酢を後付けする味付け習慣はおそらくなかったはずで,現代になってから見つけられた用法でしょう。つまり予想するに──こんな風にして,貴州料理は引出しの数を増やしていったんでしょう。
 そういう図式を描くとき,もう一つ想像されたのは──広義の四川料理の中で,成都の狭義の四川料理は,実は麻辣の香りを愛でる女性的色彩の味覚だったってこと。
 貴州に元々あったのは,苗族由来の発酵食だったんでしょう。この男性的な味覚に,唐辛子伝来以後に成都地方で形成された狭義四川料理が混ざりあって,現在の八つの辛さを使いこなす貴州料理が作られていった──。
 大陸中国にあって稀に見る進化途上の若い食体系。この土地の食文化の本質がそういうところにあるとすれば。
 10年先,20年先と時間を置いて訪ねたい土地です。

 不器用に 歩くも楽し 貴陽の街
 噴水池の南西ブロック,不必要なほどに豪勢なホテルの中庭,小滝の流れる喫煙室にて一服しとります。
 繰り返しの繰り言になるけど,この貴陽,時間を潰すとこが全くない。あえて言えば合群路の南入り口二階にモモ・カフェ,噴水池の北にcreateaというのを見かけたきり。後者は割と客足はあったけど,席配置が正直落ち着き悪そうでした。
 そう言えばコンビニも皆無だよな。中華系のすら全くない。「超市」名の単発スーパーはちらほらあるけど,チェーンらしき店を見かけない。
 当然スタバとかの本格的チェーンカフェもない。dicosだけは何軒かあるけど,ここは雰囲気的にお茶だけで済ますとこじゃない。
 他省にも外資に全然狙われてない街。
 まだそういう異質の経済に洗われてない。かといって前代の共産中国を留める,というのでもない,何か独自の空気を保ち続けてる街です。
 何年かしてまた来た時,この土地は外の世界とどう向き合っているだろう?

▲筑[サ/シ平]快餐店 2度目のお膳

 最終食 今再びの [ロ乞]飽到
 一食目で「馬鹿な選択かも」と疑いつつ入ったココに,最後の一食でも来てしまいました。筑[サ/シ平]快餐店。
 だってこの街,明らかに日常食の方が面白いんだぎゃ!
 意気込んで見当つかんモノを中心にゲットしたのが,裏目に出た。面白いというのはエグいということだからね…。

[お膳マップ]
①/②    ③
      ④
⑤  ⑥  ⑦
   ⑧

①大根汁
②激辛チャプチェ
③ひえ飯
④白米飯
⑤ほうれん草の青唐辛子炒め
⑥紅油米粉
⑦キャベツキムチの焦げ唐辛子和え
⑧小豆の青唐辛子煮込み

 しばらく,語りたくない。
 もう一人にしといてほしい。
 とか言ってたらプログにならんのであるけれども,先の[ロ乞]飽到2食以上にそれが本音です。言い換えるなら──これ,何をどこから話せばいいのかなあ?
 じゃあまず言わせてもらおう。⑧キムチに唐辛子をまぶす!?──誰がそんなことせえ言うた?
 白菜じゃなくてキャベツらしい。唐辛子がなくても充分激辛だし,十二分に酸っぱい。コリアン本国のよりさらに,かなり発酵させたものらしく,キャベツ本来の甘みも手伝ってか,酸っぱい発酵味が口中に充満する。
 そんなもんが,こともあろうに…焦がし唐辛子でコーティングされた最凶ヴァージョンにグレードアップされとるんである。
 貴州料理の恐ろしさは,まさにこの辺りにある。単に直球的に辛いというだけじゃない。そりゃ辛いんだけど,酸味や甘みで円やかな複雑味にまとまってる分,しばらくは辛さを口が美味いとか絶妙とかに騙されてしまう。
 これがさらに複数の料理になってると,辛さ自体が別の球質を持ってるもんだから,一つ目の辛さを「辛い」と認識した舌が二つ目の辛さを「辛くない」と誤認してしまう。
 そして気がつけば――口から火を噴くドラゴン状態になってるんである。
 この意味では⑤ほうれん草の青唐辛子炒めや⑧小豆の青唐辛子煮込みは,実はもっと極悪非道と言えるかもしれない。
 ほうれん草は先味は普通のお浸し,小豆に至っては甘さすら感じてしまう。小豆なんかは何か妙な甘さなんだけど,確かに甘みが増幅されている。それゆえにこそ,後味に近づいて隠れてた唐辛子が顔を出す時,それは明瞭な殺意を帯びた刃として斬りかかって来るんであります。
 あかん!!!辛さ受けの飯がなくなった。たしか②チャプチェみたいのがあったよな…とお代わり。
 これが更なる地獄への扉とも知らず──。

 再度のゲットに赴いた,お好きに取ってねコーナーにて,チャプチェ(に見えた料理)をお玉ですくう。
 と…?
 冷や汗タラリ。ピーフンの下からは…赤く輝く半切れが無数に転がり出て参りましたのです。
 ち…チャプチェ…なんだろ!?この赤いのはパプリカか何かの香菜で,まさかあの凶暴な香辛料じゃないよな!?まさか,アレを春雨にこんな真っ赤にまみれさせたら…そんなん食えるわけがない!
 席に持ち帰りつつ,なぜか不吉な予感に心臓が締め付けられていく。
 ぐうっ!
 辛えっ!
 気が〇ってんじゃないのかコレ!!?
 ピーフンの一本一本に丁寧に染み込んだ唐辛子の悪鬼。口に放り込まれるのを今か今かと待ち構えていた彼らは,口蓋を過ぎるや,ヌオンと,蜂の巣をつついたように総出撃を開始する。
 味蕾という 味蕾に取り憑き 来る辛子
 一句読んでる場合じゃないんである。八種の唐辛子使いの中ではややマシな部類,おそらく粉唐辛子だと思う。けれどこれは…具に含有された辛さの総量が冗談じゃない。いやある意味,冗談みたいに辛い!ピーフン本来の甘みもアクセントになって,ほとんど半狂乱の辛さに見まわれるのです。
 一食目にあれほど驚いた紅油米粉が,箸休めに感じられるほどです。大根と白米だけが…最後まで辛くなく安心して食える。もはや,スイーツよりも甘~く感じられます。
 世にも恐ろしい一食でした。
 あな恐るべし,貴州料理!

 涙ぐむ 眼に突き上ぐる 唐辛子
 空港へ。
 なかなか強烈だったからだろうか,今朝から腹が下りっぱなしです。
 細菌性にまでは至ってないような気配なので,水分取りながら廈門で少し衛生的に気を付けていきましょう。
 中国の快餐店の氷を分析したら便所の下水より大腸菌含有量が多かったという報道が出てしばらく経つけど,見る限り貴陽の衛生観念はかなり低い。
 酸辣魚の露店が道路の上でナマズ捌いてるのを見かけたけど,あの酸味と辛味は少し位腐ってても食える工夫かも…という疑いも出てくる。元々,香辛料の主用途はそれだったんだから。
 ただ,もう少し積極的に捉えれば,発酵の酸味はフナ寿司と同様,苗族の生み出した食品保存技法だったということだろう。そこに唐辛子食を携えた漢族がやってきて,両者が合体した。
 こういった他民族との文化的合体がうまく行ったケースを,残念ながら漢族の場合はあまり聞かない。随唐時代の鮮卑族みたいに漢族へ同化した集団に支配された場合はいざ知らず,それ以後は,漢族側の集団規模が巨大過ぎる時代がほとんどだったからだろう。その希少な意味を,もう少しアピールできるのが貴州料理なんではないだろうか。
 そういう意味では,彼らは香港人がイギリス食に対してやってのけたのと同じことを成し遂げたのだから。
 ただ,まあ,何だ。一言だけ言わせてもらうなら…もう少しだけ手加減してほしい。辛いにもほどがあるだろ!?

 …いう訳で 貴陽を発ちて 飛ぶ厦門

▲貴陽空港待合フロアから乗機を見る。

 こんな感じで第一次の貴陽は割と冷めてた,どころか予定を切り上げる形で日程を終えています。
 この土地にこの後三度も(2018年の「決勝戦」を含むと四度も!!!)訪れることになったのですが,これが,とてもその初回とは思えませんよね?旅行が深層意識に与える作用というのは,意識の側には図り知ることのできないようなものであるわけで,だから旅行って怖いです。