▲松山市平井 Boulangerie Galopin 塩茹で豚とバジルのサンドをアールグレイにてイートイン
読み方:くがに・くとぅば
沖縄のことわざ
[今期累計]
支出1650/収入1360
/負債 290
[今期累計]
/負債 816
§
9月26日(土)
1030秀の窯パン工房
クリームチーズサンド
バンバンジー500
1110 メキシコ
タコス 370
1145 みはま食堂
骨汁 550
1300 一丁目ストア
タコス揚げ250
1700 グランド食堂
骨汁 550
1800サンエー
ふちゃぎ(紫芋) 150
(2320)
[今期累計]
支出1650/収入2320
負債 670/
[今期累計]
/負債 146
§
→9月27日(日)
9月下旬,夜。サンライフ2・3ホテル3152室。
「最高に…」と幸先良くも読めれども,「最後に…」と悲しくも読める前泊日。
明朝は沖縄島に立っている。
おおっ見事に五七五だがや。季語がないけど。沖縄島って言わないけど。
鹿児島の珈琲飲んで朝を待つ。※鹿児島のヴィオラの豆が残ってた。
おおっ(以下同文)。
…疲れとる。自ら知れる零時前。
おおっ。(以下略)
時は今 中秋らしいが台風だ
首里城で中秋の宴をやっとるらしい。ゆいレールの広告にて。行かないとは思うし,台風来てるんだから月見えんと思うし。
ただこの風はちょっと問題かも?バイクが風で不安定になるかも?
おおっ!疲れてるだけあって,我ながら近年稀に見るクールな沖縄入りである。
ちなみに何で疲れてるかって言えば,昨年から始まった県下の非課税世帯の高校生にお年玉配るというゴーセイな企画の一次払いが終わったからである。クールというか,もー魂抜けてます。那覇入りの定型ルートをなぞるように体が動いていくばかり。
でもこういう脱力旅行も,たまには気持ちはいいもんです。
奥武山,壷川,旭橋,…牧志。下車,サキハマへ。
▲秀の窯パン工房のクリームチーズサンドとバンバンジー(サンド)
バイクを駆って(原付だけど)秀の窯パン工房に着いたのは10時半。
クリームチーズサンド
バンバンジー500
筆頭に松山ガロパンを挙げたのも(何のこっちゃ分からんかったかもですが)この秀窯のサンド(今現在の我が2大サンドイッチ※)と直近でツナぎたかったからです。
2つ買いは初めてか?宿で食したのですが…やはり素晴らしいとしか言いようがない。
書いた事なかったかもしれんけど,ここのサンドには別段のカップでソースが付く。ベタつき防止でしょう。クリームチーズにはサウザンめいたのが,バンバンジーはフレンチっぽいのが付属。
いずれもパンはパケット。パンそのものの本格度は近所のボンジュールに軍配だけど,秀窯のは独自の解釈でこなれてるというか,率直で木訥。
クリームチーズ。ほかに僅かなベーコンとトマト,レタスか?当たり前の組合せの中からクリームチーズが香ばしくグーンと伸びて口中を豊かに満たす。もちろんパンの落ち着いた芳醇さがあって初めて成る味の伸びなんですが…それを感じ損ねるほどの自然さ。この辺りが秀窯の震撼すべき点なんだと思います。
そういう意味でホントに真価を発揮してるのはもう一方のバンバンジーかもしれません。
南部鶏のようにくっきりと輪郭を残してふくよかに鼻孔をくすぐる蒸し鶏の肌色肉。バンバンジーっぽさはなくてむしろシンプルに蒸し鶏なだけ。だけなんですが,この秀窯のバケットにまさにピッタリと,感動的な完璧さで寄り添うチョイス。
この2店のサンド使いには,本当に驚かされます。イタリア,ドイツ,どちらの記憶とも少し違う。ただ独自の解釈が,たまたま同じところにたどり着いてるだけなのか…。
※ 松山(平井)のガロパンは2015年春に閉店。なのでこのときのが最後のご賞味となりました。ということで,本稿の秀がわし的には本邦ナンバーワンです。
那覇の吉野家ってタコライスがあるんやね。
というトリビアにちょっと驚いてるうちに,伊佐交差点ちょい南のメキシコにたどり着きました。この「ちょい」の感覚を間違えて何度かこの辺りをうろうろしましたが,もうバッチリ。11時10分。頃合いも宜しいようで。
タコス 370
う~ん!渋味を醸し出す店内の一種言いがたい燻り様。まずはこれがご馳走です。
でもってやはり渋くてゴツいテーブルにコトリと置かれる更に並んだタコスは,ミンチの肉質がコロコロして赤身の生々しさを端正に留める逸品。これは変わらない,というか変わりようがないやね。
さらに最後に効いてるのは──生地のほどよい粘りとクリスピー感。これは本当に凄いと実感いたしました!
ヴィドでトルティーヤを食べ慣れたからでしょうか?身震いするほど,この粉もんの皮の旨味が染みたのであります。
さらに一走り。北谷に入ってすぐの川を渡って左折──だったよな?あったあった!ここもよく迷ったけど,最初は。
何でこれまでピンときてなかったのか──広い駐車場に立つ幟にはちゃんと「そば」と並んで「骨汁」の文字がはためいてるじゃないか!みはま食堂。11時45 分。
前に見てた店がどうしても分からん…と調べてるうちにこの古馴染みの店に決めてしまった。ここもそばと並び骨汁で売ってるのに食べたことがなかった,まあ食ってみるか程度のインセンティブでしたが──
この時間でぎりぎりだったらしい。ここの骨汁は,実はホントに有名で,昼に入るか入らないかで大体売り切れるみたい。だから知らなかったのね。この日にも,わしが食べ始めた辺りで売り切れの宣告を受けてる客を何人か見たし,後日談としては1時頃に来て骨汁頼んでみたら呆れ顔をされました。「この時間にあるわけないだろ」の意と推せます。
骨汁 550
恥ずかしながらこれいつも思うんで偶然とか好みじゃないはずなんですが…ここのお姉様方はいつもいつも,なんでこんなにお美しいんでしょうか?北谷の美少女を選んでるとか,何かあるのか?
という邪な案件はともかく,見回しますと,この昼前の時間帯には客の半分は骨汁頼んどるな?こんなに有名だっのか?
グランド感覚で骨の塊をしゃぶると,あんまり肉付きが良くない気がする。それと肉の部位にはバラ付きがあるみたい。いわば雑多な廃棄部位の闇鍋めいてる。
ただし!!汁は最高です!
味噌ではなくてダシのみの味ですがこれは──一体何て言うんだろう?カツオや昆布からの通常のダシ,野菜の煮汁,そこにおそらくこの種々雑多な牛骨から出た肉汁,あるいはおそらく随液その他の聞いただけでは気味悪い成分が,重層化してるのは想像つくんですが,重層化しすぎて何がどう働いてここまで美味いのかもうワケが分からなくなってる。そういう…沖縄風ブイヤベースと言えばいーのか,とにかくそういう美味さらしいのです。
あと,沖縄一食目でいつも感じることだけど,白飯が旨い。 そのものが,断然,ハッキリと美味い!この未解明な謎は,この日のこの店でさらに深まるばかりだったのでした。
普天満宮の三叉路を直進,キャンブ・フォスターの緑地の間を走り抜ける。諸見里の丘をかけ降りて,グランド通りを左に…折れかけてバイクを角地に乗り上げる。
13時ちょうど。 一丁目ストア。ここ,誰も知らないと思うし,知ってても何てことないし,なんだけどわしには何か嬉しくなる小店なんです。
タコス揚げ250→写真
ここでは何か不思議なウチナーに出会う。今回はコレ。宿で食したところ──これは禁断の味です。
何て言えばいいのか…いや,タコスをパンで挟んで揚げてあるだけなんだけど,たかが食パンだから揚げパンとも違うし,中のタコスも際がチリリと揚がってて微妙に普通のタコスでもない。これに小豆餡が入ってるのは内地にも時々あるけど,その代わりにミンチ。それほど脂ぎってもいないのに肉だから食いごたえはすごくある。しかもタコスソースの辛味はキリッととどめたままで──何か爆発的に,リスキーに美味い!
個人的にはオニポー(沖縄コンビニ特産のポークを挟んだおにぎり)に匹敵するローカリティとオリジナリティを醸し出してる品に思えたんだけど…今のところこの時しか出会えてません。あちこちにあるものなんだろか?
グランド通りを下っていくと右手に見えるはグランド食堂。看板が見えても潰れたのか営業してるのか分からない,というかそういう外観でドアの前に来ないと安心できない。
骨汁 550
他のを頼もうという思いもあるんですが,どうしてもここでは骨汁しか頼めない。狭い店内を常に半分ほどは埋めてる客が,その半数以上は食べてるコレの山を満たした碗を目にするや,やっぱりコレしか注文できません。
ここの店には三姉妹がおりまして,店内でいつも宿題したり寝転んだり,要するに…暮らしてます。教育的にとか経営的にとか,こんなんでいーのか?とも思うけど,何か絶妙に馴染んでて,家でも店でもないどうにも独特の…沖縄感としか言い様のない空気圧が,やがてドンと目の前に座する骨の山の丼に流れ込んでいく。
この店はどうなっていくんだろう?例えば20年後に,やはりこんな風にしてハレとケとが渾然一体となって三姉妹の息子とかが喧嘩したりしてるんだろうか?
やけにだらだら書いてしまいましたけど,まさにそんな感じのダラダラしてるのに生きてる,沖縄にしかない方形の箱舟のような場所なわけです。
風に追われながらプラザの隣の高台に聳えるイオンモールを横目に見ました。
ここは確か米軍のゴルフ場とかがあった辺り。払い下げを受けたらしいが,それにしても回りに建物がないからただの郊外店という風情じゃなく無茶苦茶に目立ってます。
何とか宿(久しぶりのデイゴホテル!)にたどり着いて一息入れながら風雨のおさまりを待って,引き返して来てみました。台風の雨対策として,薄くても防水性が強いカッパを買っとこう。
中は他のイオンモールと少し違ってました。高級志向というんだろうか…日常食品類の売り場がのぺーと広がるんではなく,ブレンドめいた外資のファッションメーカーなどが並び立ててます。お陰で安いカッパを探すのは予想外に苦労して,さらにやっと探し当てたのはまさに読売〇〇軍カラーの深オレンジだったりして。
でも結構客は入ってる。安心感からか観光客も多いけど,地元の人も押し寄せてるようでした。
コザのミュージックタウンにせよ,こういう外資の露骨な出店もポロポロと散見されるのも現代沖縄のまた一面であるわけでした。
コザの裏通りには復活の気配が漂ってきています。
奇妙に新しいセンスの店がぽつりぽつりとオープンし,そのどれもがハイセンスにギラギラしてるわけじやなくてさりげない。そんな風に,気付かないほど静かに再生してる。そういう伊吹が感じられました。
コザは強い町だ。
ここを歩くと,意味もなく泣きたくなるような,どこにもない空虚な味わいのようなオゾンに襲われる。
「アメリカ通り」を目指してやって来た,最初の沖縄の頃の己があるからでしょうか?
セントラルロードでは夜のライブも行われてました。
新も旧も,内も外もが入り混じり,どこまでも転変を続ける町。コザは,まだ全然死んではいない。それどころか凄まじいばかりの生命力で何かさらに新しい…というのは言葉が綺麗すぎるな。さらなるヘンテコな空間に裏返り続け,止まる気配など微塵も見せてはくれないのでした。