外伝14緬甸/အောင်ဆန်းစုကြည် アウンサンスーチー{番外知識又はBGM}ビルマってどんな国?

 他の枢軸国側の敗戦国は敗戦をどのように受け止めたのか。それについての「負け方の比較社会学」のような研究書があればぜひ読みたいのですけれど,寡聞にして僕はそのようなものがあることを知りません(注釈略)。
 枢軸国は日独伊だけではありません。フィンランド,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリア,タイ。連合国側が「国」として承認していなかった政治勢力としては,フィリピン第二共和国,ビルマ国,スロバキア共和国,クロアチア独立国,満州国,中華民国南京政府があります。これだけの国が1944年から45年にかけて敗戦を経験した。その「負け方」にはずいぶん違いがあるはずです。「日本のような負け方」をした国,つまり戦勝国への従属を通じて敗戦を否認した国が他にあるのかどうか。僕はそれに興味があります。
(内田樹[街場の戦争論]/ドイツとイタリアの負け方,ミシマ社,2014)

鈴木大佐は,参謀本部の許可なく独断で日本軍がビルマ独立の支援を行う旨アウンサン※らに約束していた手前,南機関による謀略を中止するわけにはいかなかった。そこで彼はサイゴン(現ホーチミン)に設置された南方軍総司令部と同軍下の第15軍の許可をとり,海南島で訓練した30人(実際は1人病死のため29人)を中心にビルマ独立義勇軍(BIA)を結成することにした。南方軍と第15軍にたいしてはあくまでも日本軍を補助する現地の義勇軍という説明をし,BIAのビルマ人将兵に対してはビルマ独立を達成するためのビルマ人の軍隊という相矛盾する説明を行った。したがって,名称も日本語では「ビルマ独立義勇軍」というように「義勇」のニ文字が入ったが,ビルマ語では「ビルマ独立軍(バマー・ルッラッイェー・タッマドー)」,英語では「Burma Independence Army(BIA)」となり,「義勇」を意味する単語は含まれず,正規の軍であるかのような名称を用いた。
 BIAは同年(引用者注:1941年)12月28日にタイのバンコクで同国在住のビルマ人も含めて発足した。小火器と軍服は日本軍から支給された。日本軍とは異なる独自の階級が採用され,鈴木大佐はBIAの最高司令官として南益世大将を名乗った。
アウンサン※はビルマ人メンバーのなかではトップとなる少将の地位を与えられ司令部に配属されたが,BIAは鈴木を中心とする南機関の日本人幹部たちがビルマ人メンバーを指揮する形をとった。
 翌年1月に入るとBIAはビルマに向けて進軍を開始し,すでに前年12月末から侵攻作戦を始めていた日本軍二個師団(第33,55師団)と別個のルートを複数に分かれて進んだ。通過する各地で民衆に対するビルマ独立に向けた情宣活動を行った。
(根本敬[物語 ビルマの歴史]中公新書,2014)
※(引用者注)1915-47(享年32歳)。アウンサンスーチーの父。対英国独立交渉を有利に導くが,政敵ウー・ソオの部下たちに暗殺される。以後,独立の父「アウンサン将軍」と尊称される。
 アウンサンスーチーは父親と日本との関係への興味を軸に,スタンフォード大学で日本語を学び(三島由紀夫を原文読破),1985年(スーチー40歳)から10か月,京都大学の客員研究員として日本側資料の調査と父親と交流のあった元日本軍関係者などへの聞き取りを行った。
(プログより)
 日本にとってミャンマーは一部の関係者を除いてビルマの竪琴との関連で言及される以外、言及のキーワードが存在しない期間が、長い間続いた。もちろん、最近では、民主化運動やスーチー女史の存在が日本の社会でも話題を集め、ミャンマーに対する言及は、以前に比べれば多様性を示すようになってきている。しかし、それでも、ビルマの竪琴が言及する仏教的なやさしさは、現在の軍事政権の荒々しさと対比させるための格好のエピソードとして逆に言及される頻度を増しているように思える。
 たとえば、次の朝日新聞の記事などは、そのような傾向をよく示したものである。
 タベイ・マオ(窓・論説委員室から)
 「一生に一度必ず軍服を着るのと、袈裟(けさ)をつけるのと、どちらのほうがいいか。どちらがすすんでいるか。国民として、人間として、どちらが上なのか」戦後まもなくのベストセラーで、いまも読み継がれる竹山道雄さんの「ビルマの竪琴」に、確かこんな問いかけがあった。
 ミャンマーと国名が変わった現在も、ビルマは敬けんな仏教国である。(中略)僧にとって大事な修行である早朝の托鉢には、ふた付きの黒い容器を持って行く。これを「タベイ」という。中にはスズ製の小さなコップが数個入っている。(中略)ところが、このミャンマーの朝の風景に、異変が生じた。
 僧たちが、軍人やその家族の家の前で立ち止まりはするが、手に持つタベイのふたを開けようとしない。これは政権の座に居座り、民衆を弾圧する軍事政権へのデモなのである。これを「タベイ・マオ」という。マオとは逆さにする、妨げるといった意味だ。静かなる抵抗運動ではあるが、意味するところは重大だ。お布施を受けないのは、相手に「地獄に落ちよ」というに等しいからだ。」