外伝14緬甸/မျှော်လင့်ပါတယ် 希望Where will they come back to if we can’t make this place safe for them?{初日}

▲ヤンゴンヤンゴン!
 ファンファーレ代わりのこの看板,ヤンゴン駅前に立つサクラタワーのルーフトップバー。この建物は鴻池組などが作った総貸室面積12,425平米,高さ約100mの20階建て耐震設計オフィスビル。JICA, 伊藤忠商事,三菱商事,損保ジャパン等が入居する,まあ日本企業の根城。韓国大使館やコンビニもある。
 なお,どぎついピンクだけどムフフなスポットではない(らしい)。とゆーか,ミャンマーは良くも悪くもくそ真面目な国。

[前日累計]
支出1500/収入1500
負債 0
[前日累計]
    /負債 438
§
12月28日(月)
1400 Danuphyu daw saw yee myanmar Rest.
マトンカリー500
1600スーレーパヤーバス停
モヒンガー300
1700道端
鶏もつカリー500
1800道端
ナッツ入り糯米
ミタイ
[前日累計]
支出1500/収入1500
負債 0
[前日累計]
    /負債 438
§→12月29日(火)

 熱を帯びつつある朝風が柔らかい。パヤタイ駅プラットフォームへ,今,列車が入ってきた。0810。
 このラインも本当に客が増えた。完全に通勤列車になってる。エアポートラインとして資金を捻出させ,市街地拡大に利用する。クレバーな調達戦略です。
 東へ東へ。バンコクの拡大は止まるところを知らない。
 昨日,ウィークエンドマーケットでセカンドバックを買い換えた。2年前にクラッシュしてMBKで買い換えたバックのチャックが全く噛まなくなった。新しいバックは300B。サイズも機能も程よいみすぼらしさ(盗難対策)も良い。唯一の難点は「Koala Bear」と大きく書いてある点で,ちょい恥ずいものがある。

斎場の煙を映す稲の露

 恥ずいと言えば,この後の話はこれ以上ないほど恥ずい事態と相成りました。
 先述のごとき感慨を胸にやって来たスワンナプームで,どうもお目当ての便が見当たらない。エアフランスの1135シェムリアップ便があるから共同運行の途中下車か?と思いつつ並ぶとカウンターで「これDMKじゃんか!!」とeチケを突き返されました。
 DMK?何か昔聞いたことがあるな?え?ドン・ムアン?どこのマフィアのボスだ?
 あ!──Don Mueang!
 DとMは分かるが「K」は何だ?とか言ってる場合じゃない。前の空港だ!成田と羽田を間違えたようなもんだ!
 飛び乗ったタクの運ちゃんに「中国行くの?」と聞かれた。大陸中国人はドンムアン,という覚え方をしてるらしい。つまり共産圏行きは旧空港使用なのか?
 すっかり日照を帯びてしまった熱風とともに,狭い空港に駆け込む。ドンムアン空港。10時過ぎ。

振り向けば夜露の中のけもの道

 再び使うことになるとは思わなかった。ちなみに昔のターミナル1。
 列が長くて既に出発90分前は過ぎた。乗れるんでしょか?
 それにだよ?この列の前方には「Baggage Drop」表示のカウンターしかないけどチェックインできるんでしょか?
 まあなるようになるであろう。こう,初発からパンチ喰らってる旅行って,どうせぐんぐん流されるように流されてく旅行になっちゃうもんで。
 緬甸にキープした時間は5泊6日。バンコクでの充電を経ていよいよ旅の本稼働となる。

餓死戦死戦病死自死露の玉
 
 ミャンマーはタイのお隣ですから飛んでしまえばすぐでした。
 おお!ミャンマーの空港に亜[土申]が出来とる!
 市内までは空港タクシーを飛ばす。相変わらずヤンゴンの街の街路はとりとめもなくあっちにこっちにと伸び広がってます。幹線と言えるようなものがなく,ある道路を進んだ後には別の,少しだけ角度の違う道路に乗り換えていくから,どの道をどう動いてるのか全然分からなくなる。当然移動に時間もかかる。
 そういう移動なんで空港からセントラルまで小一時間かかるんだけど,あんまり恐怖感を感じないタクシーでした。そういえば道行きにもまばらながらキチンとした商店やオフィスビルが唐突に現れる。これは帰路ですが,突如スーパーホテルが日本と寸分違わぬあのロゴで出現したりするのです。
 ヤンゴンの街はイラワジ河エーヤワディー川
 宿はクローバーシティセンターを目指す。セントラルど真ん中。同「プラス」店という近くにある系列ホテルは少し高級店らしい。いずれもあんまり混んだ空気はない。難なく入居。
 10年前のチャット(以下「K」と略記)をもの凄い厚さ保管してたんだけど,数えてみたら200Kばかりで5千ほど。当時はかなりの価値だったけど…換金するとつまり五百円?高額紙幣も出た今ではインフレで吹けば飛ぶよな金額になってしまってまして,高級な雰囲気だったからボーイにチップ渡そうとしたら「百K札なんて使えない」とすまなさそうにご辞退されました。
 確かに,タクシーから降りたヤンゴンはかつての名残とかそんな程度じゃなく,全く別の街。中国長沙の再訪時を上回る,かつて味わったことのない異次元感です。──同じ場所だと微かに感じるのに,五感には全く見知らぬ街しか映らないという超次元の喪失感。
 ふう。かの喪失を埋めるべく,21世紀ミャンマーに歩を進めましょう。

 ここだけは前もってターゲットにしてた店でしたが,歩き方だったかな?とにかく数ブロック離れたここへまず向かいました。
 忘れてたのは,ここミャンマーは元々共産国。ワンブロックがべらぼうにデカい!かつ,これはセントラル・ヤンゴン独特だと思います。そのブロックが南北にだけ3百メートルほどと異様に長い,言い換えれば東西には主なものは5本の道しかないのに,その間を何十本ものと南北の道が梯子のように跨いでる。つまるところ,南北には長駆を要し,東西には間違えやすい。
 ええ?と惑いつつ南の通りに出た上で西へ1本,2本と数えつつ,14時を過ぎて目的のDanuphyu daw saw yee myanmar Rest.の看板を見つけ出して一安心。やれやれやっと初ビルマ飯です。
マトンとナスのカリー 500

▲Danuphyu daw saw yee myanmar Rest.のマトンとナスのカリー

「大将,マトンとナスのカリー一杯ね!」
ということではもちろんありません。
 パダン料理形式というのか,東南アジアではよくあるタイプです。パットに入った幾つかのカリーから2種を選んで白飯に添える。指差すだけなのでサバイバルレベルで覚えてきた言葉もほとんど必要ありません。
 最初でヒビってたからなのか,昼飯時の勢いなのか,エラく威勢のいい店の雰囲気を覚えてます。
 この初食で頂いたのは,さながらカレーの豚角煮といった品。そうではあるんだけど,ちょっと食べたことのなかった味覚でした。脂っこさとの均衡上か,スパイスがずん太く濃い。カレーのスパイスを煮るのではなくて油で揚げて香りを出すというやり方なんだろうか?
 それと豚の味ががっしりと強い。赤身はあくまで固くがっちりと肉味を保ち,脂身も意外にブヨブヨでない。揚げ切ってるという感じのさばさばした味。
 ナスも好みの味。こちらは濃厚な色の割にカリーのスパイシーさも辛さも強くはない。野菜なので素材に脂気はないけど,こちらも揚げてあります。ただそれが,天ぷらのようにナスの旨味を閉じ込めてある揚げ方なのにスパイスだけはキチンと染み込ませてある。この辺はもうどう想像していいのかわかりません。

 とりあえず食った。食ってしまえば明日以降の行程を整えねばならぬ。
 ミャンマーの現在の首都は,多くの方が教科書で学んだヤンゴン(時代によっては英語名のラングーンと覚えた方も?)ではない。2006年10月に軍部は唐突に行政首都としてネピドーという中部の場所を指定。「場所」というのはジャングルを切り開いて作った新しい街だから。今も人口は百万を超えず,国内最大の街は450万人のヤンゴンのまま。ネピドーは2位のマンダレーに次ぐ。
 ミャンマーの行政統治の遅れは尋常でなく人口統計そのものが30年ぶりに行われたばかり(アジアンインサイト/
ミャンマーで30年ぶりの人口センサス実施
(2014年10月16日,アジア事業開発グループ))。だけどこの3都市の後はモーラミャイン,パゴー,パテインと続き(旅行のとも/ミャンマー10大都市地図),ここまでが20万人以上というのが定説。
 今回のミャンマーでは,この国の普通を見たかった。かつて訪れたマンダレー,パガン,インレー湖の観光地三角地帯ではない豊潤のミャンマー。
 と絞ると,浮かんで来たのは南西部デルタの中心地,パテイン(日本語ではパセインとも)。今回はこの街を目指してます。
 ヤンゴンから南へ200km。これを,出来れば明日,陸路で走りたい。ミャンマーの列車は南北の幹線以外は当てにしにくいので,畢竟,バスチケットが必要なのですが──。
 どこで買えばいーんだろう?

 ヤンゴンで,とりあえずバスが一番多いのは,スーレーパヤー近くのターミナルらしい。
 行ってみますと,駅から南の尖塔に続く目抜通り。あそうか,パヤーってのは仏塔のミャンマーでの謂いだったな。ビルだらけになったんで昔の印象と違いすぎてピンとこない。しかも今は,パヤーの北東沿線一帯を引っくり返したみたいに工事してる。けどバスターミナルとしては機能し続けてて,例のダミ声で客寄せする車掌を乗せた車輌がどどどっと行き来する。
 そこまでカオスな賑わいはあるけど,あんまりカオス過ぎてチケット売り場を探しようもない。何軒か旅行代理店らしい店は見かけるけどこれは…どうにも賑わいがなくて怪しい。何かで立ち退きを迫られたか,街中で他用途に供されるようになったかという雰囲気です。
 仕方ない。もう一つ歩き方におったスタジアム脇へ。セントラルから線路を越えた北側。

 こちらには,店が数軒。そう多くはないけれど皆さん証券トレーダー並みに電話に追われる盛況ぶり。
 良さそうな店をみつくろって入る。なぜか6時の1本だけだという。しかも送迎なし。バス停自体が離れてるようでしたが,とにかくチケット購入。
 後で,教えてもらった「ダゴン・エヤー」(アウミンガラーじゃないの?)というバスターミナルを確認して愕然とする。西方はるかかなた。この時間だと行く方法はタクシーしかないけど,これどんだけの距離と時間なんだろう?余裕を持つなら…4時起きか?
 けど,これだろな。目的地があるなら迷いや惑いに起こる余地を与えぬままにそのど真ん中に投げ込んだほうがいい。感傷も考察も着いてから。どうせ旅は闇ですから,どうせなら闇の,自分にとって一番濃いとこへ投入しちゃいましょう。
※参考:ヤンゴンから地方への移動手段としてのバス

 宿への帰路を取りながら半端に残った時間を散策に投ずる黄昏時。
 前回年を越した記憶のあるイーストホテルは──ない?該当の空き地にJICAという表示で工事中のエリア有。
 そうすると,帰路に元旦の最終泊を,何となくやや豪華目の宿で迎えたくなった。その場で歩き方を繰ってみるとすぐ近くにパノラマというホテルがあった。これを代わりにしよう。
 直接出向いて元旦の予約を入れる。フロントの雰囲気を見る限り日本の普通のホテル並ですが,まあ物は試し。
 隣にはスーパーマーケット。こういう大がかりな店はちらほらあるんだけど,一般向けの店はどうも淋しい。人出の割に食い物屋が少ないようです。外食習慣が乏しいのか?カフェ(というか茶のみ屋)は新旧とも数はあるようですが,これは利用法の見当がつかない。
 日も落ちてきた。明日はとびきり早い。晩飯にありつきたい。

▲スーレーパヤーバス停脇の露店のモヒンガー

 後から言えば,ミャンマーは晩飯どころに困ることが多かった。夜を軽く済ますお国柄なんだろか?
 この初日も結局,スーレーパヤーバス停でふと見かけた露店の店にしてしてしました。17時。
モヒンガー250
「モヒンガー!!」と始終喚いてるから間違えようがない。これなんだろう。
 というのは──ミャンマーの屋台モノといえばまず筆頭に来るのがこのモヒンガーだからである。ちなみにカリーは「ヒン」という。何で3度目のミャンマーでそんなに食べたかったかというと…これまでヒンばっかのめり込んでモヒンガーを食べた記憶がないからである。物凄く恥ずかしいんだけど,おそらく食べたことはあるんだけど若い時分は旨さが全然ピンと来なかった味だったんだと思う。
 椀が来たのは頼んで数秒後。
 美味い!
 シンガポールのラクサに似てるけどこちらは春雨。それと汁の奥行きが深い。ピーナッツか胡麻かを練ったような,廈門のパテに通ずる横濁した汁で和えてある。ここまで来ると広東の怪味にも似てる。
 う~ん,書いてても何なんか分からんな。けれども,何とも言えないのに何とも言い難く美味い!
 何とも不可思議な味です。
 ネットで再確認してみると──米粉の細麺に魚ベースの汁をかけてるってとこまでは疑問がないらしい。マレーシアのラクサ,タイのカノムチーンとの類似性も誰もが指摘してるみたい。
 問題はこの汁。これはミャンマーならではとの声が強い。ベースになるのは雷魚などの淡水魚。高級ナマズを使うことも。
 レシピも複雑で,まず,にんにく・玉ねぎ・唐辛子を油で炒め,水から煮込んだ魚肉を入れてさらに炒め,そこから煮込みの過程に入る。煮込みは魚のだし汁,レモングラス,バナナの若芽の芯(?),きなこ(??)を加える。などと一緒に、さらに煮込んでいきます。そして最後には,ンガンピャーイェー(???)という魚醤油と塩で味を整える…んだそうです。
 春雨じゃなくて中華麺を使う料理もあり,これはオウンノー・カウスェーという。
 書いてるだけでどっか遠いとこへ連れていかれそうな独自の料理です。後から考えても,ミャンマーの味って何重にも別次元にイッ…しまってるとこがあります。
 メインのヒンに戻ってみても──あれは,水分を加えずに野菜の水気のみで煮るという。でどうするかと言うと,油を多用する。この延長らしいけど具の表面が油で覆われるように仕上げる「油戻し煮」という調理法を標準的に用いる。
 だから果たしてこれをカレーと呼んでいいの?という意見もネットに多出してる。でも北インドの,特にムスリムの羊料理には似たような味もある気がするし…独自なのかどうかすら判然としない。
 関西のなれ寿司のルーツはミャンマーという説もある。ミャンマーそのものが多彩な文化のモザイクで,現在の主要民族のビルマ(バマー)族がイラワジ平原に至ったのが千年前。これがミャンマーらしい,というのはもちろん,ビルマらしいというものすらあんまり問い詰めても有意義じゃないのかもしれない。
 とにかくここは,そういう何だかヘンテコな場所らしいのです。

▲道端の鶏もつカリー

 なのでとりあえずもう一食イッてみました。やはり道端にて。18時。
鶏もつカリー500
 もつ?何となく危険なものも感じつつですが──これ。めちゃ美味!!!
 一緒に頼んだ野菜カレーは全く何だか分からない。けどこれもまた…。
 どろり。と崩れた舌触りの向こうに,甘くて辛くて苦くて深い,何だか分からない濃厚な味わい。モヒンガーに通ずるところがある。何に似てるのか何から出した味なのかすら皆目分からん。分からんけどスプーンが止まらない。
 とにかくどんなトーンかだけは分かってきた気がする。韓国のドジョウの鍋みたいな,苦さを感じるほどに深い苦味と濁り。そんなのが基本の味覚…と感じられてきたけど?

▲ 道端買いのナッツ入り糯米とミタイ

 重て道端にて購入。18時半。
ナッツ入り糯米
ミタイ
 インドもどきの中途半端なミタイはともかく──糯米が最高!
 と書いておいて,同時になぜ?が脳裏を乱舞する。なんでこれだけナッツと米がマッチするのか?糯米の多彩な甘味の枝葉がナッツの香りに絡み付いていくようです。タイプとしてはタイや台湾には時々あるけど,この絡み付き方のネットリ感というか濃密さというか,これは未体験ゾーン。ゾーンなんだけど何をどうしてるものやら見当がつかない。
 口に入れれば入れるほどハテナ・マークがとめどなく脳内に乱れ跳びます。この状態で,未知の街へ投入されてしまうというのは──とても楽しみです。寝ましょう。

 この日,口のため以外では,お肌とお脳のために買い物をしてます。
 一つ。青と緑のチェックのロンギー。腰巻きです。ミャンマーの部屋着はこれでしょう。早速初日の夜はこれを纏ってます。
 二つ。The voice of hope (Aung San suu Kyi, Conversations with Alan Clements) 。英字ですがこの人のはかなり易しくて淡々と論理が展開されるのでなんとか読めます。巻末に少しだけ抜粋しましたのでご参照ください。なかなか読ませてくれます。
 なので今回は題字をこのスーチー語録から取ってます。