外伝17-011 黄の海に黍の香吸えば僕である

初日です!
※本歌
草の花ため息吐けば僕である (済美平成)
第21回松山俳句甲子園発表句より(以下同じ)
[前日日計]
支出1500/収入1391
/負債 109
[前日累計]
/負債 589
§
→九月十四日(五)
0732 G線
ハムトーストモーニング370
1217なな川
定食(鯛あら煮)550
0032ヨンジョンヘジャンクク
センジ ヘジャンクク400
[前日日計]
支出1500/収入1320
/負債 80
[前日累計]
/負債 669
§
→九月十五日(六)


▲(おまけ)コリトッテ

ソウルに向かってますが,目的地は山東です

ィーウェイ 航空(LCC) TW294
2018年9月14日(金)  21:00 FUK:福岡/福岡空港
2018年9月14日(金) 22:25 ICN:ソウル/仁川国際空港
この便に乗るのは二度目になる。ソウルの市内入りは結構遅くなるんだけど,九州からその日のうちに韓国入りするには便利な便である。
ただ,目的地は中国,山東省です。
何をしようとしてるのか,ちょっと通じにくいと思う。てゆーか自分でも勢いまかせなところごあるので…ソウル駅に着くまでに,おいおい整理してみますね。
なお,このところマンネリですけど…今年のシルバーウィークの題名も夏の俳句甲子園の句のパクりで参ります。

ートには迷った。
韓国を通らずに日本から青島あたりにダイレクトに飛べば1日得なのに対し,今考えてるのは仁川→山東の夜行船。予約システムが怪しいから,港でダイレクトで買うことになる。
それでも船か?
いやいや何を言うか!(誰も何も言ってない)蓬莱へはどうしても海路で入るのじゃ!
小松左京の「東海の島」にアテられた山東行きです。いかにしても船で行きたかった。


▲山東省総合マップ(再掲)

蓬莱,2つの古代の島

岡空港のボーディングゲートは一番離れた場所で,ネット検索に没頭するには最適でした。
山東地図を何枚かスクリーンショットでストックしながら睨む。
仁川から船で山東半島に問題なく入ったとする。そこから青島までバスで動いて,済南まで行くと,ちょうど古・蓬島(山東半島中央)を北側から西側へ反時計回りに3/4周した後,古・莱島(泰山の山系)を東から西へやはり反時計回りする,逆S字のコースで動ける。
そこで何が見れるのか?というより,とにかくこのルートで2つの古代の島を巡ってみたい。
思えば──そういうイメージだけで行程が組み立てられていきました。
昨年の古城巡りのアプローチがどれだけできるか,だから多分に疑問です。
アプローチを固定せず,ただ感覚を研ぎ澄まして歩く。それでどこまでやれるものか,その辺を試してみたいと思います。
ただそれでも,青島と济南の間で一泊するであろう青州古城,そして留学時にハマった天津には,町歩き的にも大層期待してました。町中の地図も何枚かストックしておこう。


▲深夜のソウル駅。宿の窓より

索で妙な副産物もありました。
移動中に読みふけってます。
昭和13年(1938年)9月,内務省の土木局内務技師の富永正義という方が作成したという「黄河の治水及利水、5.河道の変遷」第三図(外部リンク→国立国会図書館DB)の説明部分です。
「北支の大平野は有史以前に遡て見れば,一面の海にして,現在の山東省は黄海の一端に浮かんで居った一つの島であり,山西省東部の山脚が当時の海岸線であったであろう。」
「京漢鐡橋以東の中原は黄土の堆積量實[実]に七千立方粁に達するが,現在と同一の輸砂量であったと仮定すれば,其沖積に七千数百年を要したことになる。
史跡に徴するに帝堯八十載以来清の文宗の咸豊五年に至る迄四千百三十三年間に於ける河系の大移徒六回に及び,河道の小なる移動に至りては實に測り知ることが出来ない。
従って河北,山東,河南,江蘇の平野一帯には嘗て黄河の河道たらざりし所は殆どない状態である。
次に黄河河道の六遷に就きて略述する。
(一)禹貢に「黄河は積石より竜門に至り,南流して華陰に及び,東流して底柱に至る,再び東に向つて孟津に至り,更に東流して洛を過ぎ大邳に至る。
北行して洚水を注ぎ,大陸に至り,北行して九河に及ぶ」とあり。
之によりて見るに禹の時代には九河に分かれて居り,其區域は天津付近から今の黄河の間であると考えられる。」
黄河の変遷をダイナミックに把握したものは,最近のものにはどうも見当たらない。小松さんかこの富永さんの記述頼りになる。
蓬莱二島はこの九河が蠢く広大な地域の中に,相対位置を変えながら浮かんでいた,という状態だったのでしょう。そんな不安定で不規則な場所が,古代の中華文明の曙の地であるという──それは不思議なことではなく,何らかの必然であったに違いない。水利のための権力発生という以上に,環境がどう変化しようも生き継いでいく,したたかさを育む溶鉱炉のような場所として。


▲深夜のソウル駅東口

21時福岡発でAREXの最終直行便はキツい!

229,ソウルに着いて,現在,仁川国際空港本体へのシャトルバス乗り場。
2248,イミグレの列に並ぶ。人数は2百人ほどか?日本人は多くないから,SWだからというのじゃなく常にこうなんだろう。人種は完全にバラバラ。それでも一番多いのは漢族。「長的排隊阿!」(何て長い列!)との嘆声が無駄に響く。
ただスピードは流石に速い。
最終のAREX直通便は──ちょい間に合わないかも?けれど鈍行でも日が変わってすぐ位にはソウル駅に着けそう。

REXプラットホームに駆けつける。
2307。直通には19分遅れました。イミグレでは空いた列にジャンプできたし,荷物のピックアップも着いた途端に見つけれたから最速に近い動き方ができたはず。してみると…この便で2255直通最終は間に合わないと見た方がいい。鈍行でも一つ前の2302便に乗れたらかなりラッキーだろう。
2320発の鈍行になるようです。
今夜の宿は駅前の中ではやや大きめのを押さえたから,前回のような締め出しはないだろう。これは──やはりお夜食か?


▲深夜のソウル駅西口,ヨンサンカムジャタン前より

界データ定額を走り出したAREXの中でオンにする。
えーと?──4G LTEスマートフォン・タブレット(Android)の場合は,「設定」→ 「ネットワークとインターネット」→ 「モバイルネットワーク」→ 「海外ローミング設定」→ 「データローミング」をオン,と。
実はスマホを新しい機にしたばかりです。少し勝手が違うけど,これは何とか前機と同じ。

韓国からの山東入り,ルートは…?

応,明日船に乗れなかった時のために青島行きフライトも調べてみた。
──こっちの方が全然速いがな。かなり正気じゃない行程を辿ってる気がしてきた。
仁川(ソウル) – 青島間の飛行機は,チェジュ航空・中国東方航空・山東航空・アシアナ航空・大韓航空の計5社が運航。明後日の早い便だと例えば仁川(ソウル)発(7C8401)08:20→08:50:1時間30分。こっちの方が断然,ですけど…な,何を言うか!(だから誰も何も)
「ソウル駅です」と思いっきり日本語でご案内アナウンス。0020到着でした。かっきり1時間。


▲三度目のソウル駅西口,深夜の血液プリン汁

ヘジャンクク,Kグランド,アルケミスト

032ヨンジョンヘジャンクク
センジ ヘジャンクク400
注文を取ったおばちゃんがなかなか帰ろうとしない。え?あ…そうだった,ここは先払いだった。
この時間でも客がかなりいます。地元民も観光客もごちゃまぜのところが,ここは面白い。
で,お鍋は──やはり最高!初コリアン食にはヘジャンククは吉です!
ここのセンジはごっぽしデカい。箸で崩さないと口に入らない。これが超濃厚出汁と激辛ってんだから…ほとんど刺身に醤油つけて食ってる感覚。
でもってこれが醸す滋味には震える!アッサリしてるのに深々と…血液なんである。
チャンジャも最高!キムチも…とにかく初コリアン食はすべてが爆発的に旨い!

さえてた宿は,ヘジャンクク屋から駅を挟んで反対側。これが不安でしたけど,上を通れば問題ありませんでした。
K-Grand Hotel & Guest House Seoul。K-그랜드 호텔 앤 게스트 하우스 서울。住所は「43-59, Dongja-dong, Yongsan-gu, Jung-gu」

宿の入口に着くと,ロビーには23時までしかいない,と貼り紙が貼ってありました。
またか!とビビったものの,英語をよく読むとコード,最後に「hash」で開くと書かれてる。そんな堂々と貼り出してたら暗証キーじゃないのでは?との疑念はともかく,これを開けるとロビーのデスクにレターとともにキーが置いてありました。
──という想定だったらしいけど「hash」の意味を解せずに電話かけて開けてもらったんだけどね。
0127,とにかくK grandに荷を下ろす。
しかし,これなら1時に着いても大丈夫!いい宿です。チェックアウトは12時。隣室の,おそらく同じく着いたばかりの日本人の女連れの声がかしましいけど。
京都北山紅茶館を一服して就寝。


▲わざわざ作成中されて貼られてたレター

昔に見つけてそのまま放置してたパウリョ・コエーリョ「アルケミスト」を今回ふと持参しました。
面白すぎる。
この旅行ではちびちびとずっとのめりこんで読んでました。
「その朝,太陽が昇った時のことを彼は思い出した。少年はむこう側の大陸にいて,六十頭の羊を持ち,少女と会うことを楽しみにしていた。その日の朝,少年は慣れ親しんだ平原を歩きながら,自分に起こってくることを何もかも知っていた。しかし,太陽が沈みかけている今,彼は別の国にいた。見知らぬ土地のよそ者で,その土地の言葉を話すことさえできなかった。少年はもはや,羊飼いではなかった。そして何も持っていなかった。」
旅とはそういうことである。
孤独とか疎外というのとは,違うどころか正反対です。理屈より何より──この実感がそれを証する。皮膚がピリピリするほど世界が近い。

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