油煳干青∈2成都&重慶:重慶入り4∋糟酸麻蒜

畅通卡 手にしてからの迷走行

▲意外とトラップの多い重慶北駅から中心街への地下鉄

慶北から宿の臨江門までは,青の3号線で8駅の牛角沱まで行き,緑の2号線乗換で4駅…と確認してました。
 重慶北站には北広場と南広場の2駅がある。でも3号には南広場からしか乗れなかったらしい。この日はたまたま北広場へ出てしまってた。
 だから,改札をくぐってから10号を調べる羽目になったわけです。
 この10号線は,中洲に当たる中心街まで伸びてるらしい。曽家岩という駅まで5駅,そこから2号線で3駅,これで行き着けるはず。よし行程変更じゃ!
 交通カードは畅※通卡というもの。25元デポ。これはすんなり買えましたので…いざ乗車。1854。
※ 畅(暢):ピンインchang4 1順調である,滞りない.⇒流畅,顺畅,通畅
2思う存分,十分に
欢欢畅畅(欢畅):(多く気分が楽しくて)晴れやかである,伸び伸びしている,弾んでいる.

 前回も経験済みですけど…かなり満員御礼電車です。
「竜頭寺公園」とアナウンス──えっ?百度地図で「竜頭寺」駅は北站の北側だぞ?方向間違いかと一度ホームに降りてしまった。
 違う,方向は正しいんだ。「竜頭寺公園」駅は北站の南側一駅目でした。
 ところがさらに──

▲がらがらしてる地下鉄車内

土地という駅でほとんどの客が降りる。
 なぜ?
 次の「鯉魚池」で「終点」とアナウンス!10号は中洲の中心街まで未通じゃん!ならマップに書くなよ,重慶軌道交通!
 終点だから同じ車両で折り返す。さっき皆さん降りた紅土地で6号線に乗換えて西へ2駅,紅旗河沟で3号乗換で牛角沱,緑の2号線乗換で4駅で臨江門──

嘉陵江渡り危うきハイテンション


て乗換計3回?まるで鉄っちゃんの行動やがな!
 止めた!どーせ鉄っちゃんなら小什字まで行って1号,2号と行こう!4駅東南へ動く。
 おおっ!江北城という駅名がある!
──この辺から,意味もなくハイテンションになってきたようである。
 地下を出た,と思ったら…川!中洲の北の嘉陵江です。千厮門大橋を渡ってる!凄い眺めだぞ!
 列車が再び地下に入りスピードを落として小什字駅に入るまでの短い時間に,とうとうブチ切れました。
 降りる!乗換えずに宿まで歩くぞ!俺は鉄ちゃんじゃねえ!

▲1932小什字駅ホーム。台湾並みに構造化されてました。

行におけるリスクには,治安など人的なものもありますけど,それを誘発する地理・社会的環境の方をさらに恐れるべきです。
 この日の重慶の歩き初めは夜。しかも人でごった返す繁華街。
 さらに怖いのは,変化。地下鉄路線そのものが構築中だったように,重慶中心街は前回とは比較にならない変化の只中でした。その隙間に危険が生まれます。
 でも真に恐怖すべきは,自分の過信。以前歩いた場所,土地勘はある,という実力を伴わない思い込みがありました。
 高揚に任せて初めたこの重慶の夜歩きは,今からすると相当に運試し的な危ういものでした。

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)

金西梅妖しく滑る夜を行く

族路を西北西へ。1936。
 初っぱなから方向を見失ってます。重慶のこの中洲部は,アッブダウンが激しい上に建物が建ち並ぶ。
 翌日歩いた坂の下へよく降りてしまわなかったものです。

▲1944。光り輝くネオンの間を行く。

が曲がりくねってるところへ,酷い人混みです。
 何度となく百度地図を位置情報付で確認してますけど,バッテリーが危うくなってきました。
 途中から臨江路へ入った…はず。これでさらに南東へ。

▲1953金西梅を売る夜道の露天

端で売ってる果物が美しい輝きを放つ。
 金西梅というらしい。
 後で調べると,ごく最近の品で梅の砂糖漬なんだって。どうやら見た目の可愛いさが売りで味はどうだか…というものらしい。
每日頭條/
不要被解放碑的流動攤販騙了!金西梅顏值雖高,卻不是新鮮水果
「最近,有不少網友在吐槽重慶解放碑好吃街附近,流動攤販們叫賣著的一種新奇水果,其顏色紅艷通透,鮮艷奪目,聲稱是樹上摘下來的新鮮水果金西梅。」

たどり着くはずの宿は何処や霧都の闇

▲1956肝病治療中心の…写真では分かりにくいですけど,それなりの急坂です。

江路への入口辺りはレストラン目当てらしき人で溢れてて突破に苦労したけれど,この道を進むにつれ不安が増す。
 緩い登りが続く。左右にさらに急な坂が見え,闇に消えてます。ここでの迷子はかなり危険そう。
 臨江路の出口,登りきった地点で決定的に困惑する。北に公園,こちらはどうも遥かに下ってる。西も,今登った東側と同じく緩い下り。でも南は臨江路が作る巨大な交差点で渡れない?
 どっちへ行けばいいの?

▲町はクリスマスの残りなのか,イルミネーションがギラギラです。

ち着いてタバコを一服。
 闇で定かならぬ人の流れを読む。
 トンネルがあるのか?2000,ようやく見つけた臨江門地下通道をくぐる。
「臨江門」。そう,ここは重慶城の北の門だった場所で,北側の公園がそれでした。
 見なかったけど…門には「江流砥柱」の文字がある。「砥柱」は黄河中洲にある岩礁で,長江の砥柱のような重慶の中洲島の表徴らしい。
※ 維基百科/临江门
「临江门,是十七座重庆城门之一,瓮城北向,面江,十七座城门中,只有这一瓮门是正向,其余都是侧向,城门上书“江流砥柱”四字。」
※ コトバンク
砥柱=「黄河の中に柱のようにそそり立っている石で、激流の中でも微動だにしないことから》乱世にあって、毅然(きぜん)として節義を守っていることのたとえ」

▲世界貿易中心の裏道にて

,臨江路を渡ってからがまた長かった…。
 スマホのバッテリーはほぼ尽きた。でも念のため,予約を入れてた宿(漢庭)の位置図のスクリーンショットは撮ってる。
 巨大な複合入居ビル,ちょうど香港の重慶マンションのような建物が並んでる。その中で,世界貿易中心というビルの中,そこまでは,確実に思えた。
「着いた!」と思った後の流浪は,覚悟しての流浪の十倍効くもので。

▲手元にはagodaのスクリーンショットのこの地図しかない。

ルの周りを3周ほどはしただろうか。
 看板がない!
 地下にも遥か階上にも見当たらない。他にいくつもホテルは入居してるんだけど,どれも名前が違う。
 一度は諦めて別に宿を予約しようとしたけれど…年末である。空室がない。
 ヤケクソで手当たり次第にホテルのカウンターに聴き込みをしていくと…世界貿易中心酒店という豪勢なホテルで,インド人らしきオヤジが首を縦に降る。──何と。うちの8階部分が漢庭だと言うのだった!エレベーターも同じで,とにかく8階へ上がれ──半信半疑で上がると,ホントでした。
 夜9時過ぎ。ベッドに崩れ落ちた──けど数分で眠気を払う。夕方の歩きは無理でも,一食は食べるのじゃ!

山城の辣に噎せれど面啜る

らふらとさ迷い出ずる夜の町。
 まだまだ人の流れは絶えない。宿をとった時に想像した以上でした。ここは解放路商圏と呼ばれる重慶一の繁華街。
 世界貿易中心(世貿というらしい)の北,さっき歩いたはずの界隈に,見た目汚い小店ながら客でごった返す面屋がありました。
2049 20強特色胖妹面庄
牛肉面300

▲初重慶小面!

きそうになった。重慶小面は,広州と香港で確か一度食べたけど…本場ではこうなのか!
 麻(成都)とか八つの辛さ(貴陽)とかの騒ぎじゃない。ただただ一直線に,麻辣なんである。
 でもそれが単なる辛さでなく,確かに,ビシリと旨い。
 これはどうなってるんだろう?牛肉の肉汁の効果だろうか?あるいは辣油の質だろうか?

▲面どアップ!

 手触り的には「野暮」ったい,実直な辛さです。重い直球,という感じ,食えるもんなら食ってみやがれ!みたいな侠気を感じます。
 面もこれは,熱干面を思わせるボサボサ感があるぞ?
 重慶の牛肉面なんて聞いたことなかったけど──これは刮目の一杯でした。
 とまあ,2時間余の初日歩きとしては濃厚な,まさに重慶らしい滞在の開幕でした。ここには確かに,地勢も味覚も他にないものがある。それは体に叩き付けるように理解させられたのでした。

■小レポで勢い余り総復習

 日本人には重慶は意外と印象薄い。でもなかなか,どころか極度に壮絶な都市です。ワシ自身ふらふら行っちゃいましたけど,ホントはそれなりに覚悟して入るべきなんでしょね。以下トリビア度の高いものから──

①中国の都市中,人口規模はトップ

 wikiの数字では3千万を突破してるけど…それ西日本の人口を超えてるぞ?

②既に3度滅びた都市

 秦,元,清に対する前代王朝の最後の抵抗拠点になった場所。なお,清に陥とされた際に残った人口は3千人。
 日帝に対して民国がここを選んだのもそういう文脈です。

③中国最古の人類遺跡有

 巫山人という。200万年前とのデータは,流石に学界では異端説らしいけれど,本当ならアフリカ起源説がひっくり返されかねない。

④韓国政府は重慶で創立

 現韓国憲法前文にある「大韓民国臨時政府」(ハングル表記:대한민국 임시정부)は,定説では上海で創設,重慶で民国と共闘したとされる。中国共産党は重慶設立説をとる。

⑤だから結構な反日教育のメッカ

 百度百科の記載をそのまま引用すると──享有盛誉的“英雄之城”、“不屈之城”:誉れある『英雄の城』『不屈の城』。
 民国三十年(1941年)6月5日,重庆市渝中区公共防空大隧道中,躲避日军地毯式战略轰炸的7764名市民窒息死亡,史称“大隧道惨案”:日本軍の絨毯爆撃により渝中区の公共防空壕で7764人が窒息死。「大トンネル虐殺」と呼ばれる。

※ wiki/重慶
「略称:渝
別称:山城、霧都
旧称:巴郡、江州、楚州、渝州、恭州」
「重慶市の人口は3022万人(2017年)。2017年の都市圏人口は1962.66万人」
「古代の巴国の地である。巴国は紀元前316年に秦国に滅ぼされた。南北朝時代に宋が渝州と命名した。」
「日中戦争で首都であった南京が陥落すると、1938年に蒋介石の中国国民党は首都機能を重慶に移転させた。また、金九などを中心とした大韓民国臨時政府も、国民政府とともに重慶へ避難した。日本軍は、蒋介石の国民政府及び大韓民国臨時政府を殲滅するため、重慶に戦略爆撃、後に無差別爆撃を行った(重慶爆撃)。」
※ mithutoni/2017年 中国都市人口ランキング1位~339位(GDP情報付き)
「中国で一番人口が多い都市は上海市か北京市だと思っている人が多いと思いますが、実はそれぞれ2位と3位でありトップは重慶市の2884万人です。
日本の都道県人口のトップである東京都の2017年10月の推定人口は1374万人なので、重慶市一つの中に東京の2倍以上の人が住んでいることなります。」
※ thuutabi/重慶市
「重慶は、古代、巴国と言って、その歴史は誠に古いところである。
 200万年前の旧石器时代黎明期に、すでに現在の重慶市巫山県に中国史上最古の人類(巫山人)が生息していたことが確認されているという。そして2~3万年前の旧石器时代後期には、銅梁文化が出現している。
 夏、商王朝時代、長江流域の三峡地区に中国で主要な岩塩採掘が始まっている。古代中国において、塩は重要な通貨の一つであり、この岩塩により巫山地区が最も早くに巴国文明を誕生させている。
 春秋時代、巴国は、枳(今の重慶䈩陵区)、江州(今の重慶渝中区)、䐭江(今の重慶合川区)にそれぞれ(予備を含めた)城壁都市を築城している。一方、紀元前689年には、現在の湖南省 荊門市 東南あたりで巴国と楚国が数か月も対峙し激戦を繰り広げるなど、巴国は楚との戦いに明け暮れる歴史となっている。その伱をついて、紀元前316年、秦の恵文王は張儀を派遣し、先に蜀国を、続いて巴国を滅亡させる。その後、江州にて駐屯し、巴国の都城の一つであった所を改修して、巴郡城(江州城)を築城する。
 この城跡は現在の渝中区長江と嘉陵江との合流地点にある朝天門付近にあった。これが本格的な重慶城の始まりとされる。」
※ 百度百科/重庆
「南宋宝祐六年(1258年)农历七月,蒙古大汗蒙哥亲率主力攻入四川。十一月,蒙古军抵重庆附近地区。开庆元年(1259年)六月初,四川制置副使吕文德率战船万艘,溯江而上,冲破蒙古军封锁进入重庆。七月,蒙哥卒于南征军中,蒙古军遂撤围北还,战事告一段落。
南宋德祐元年(1275年),元军再次集中兵力合攻重庆。景炎三年(1278年)二月,重庆被攻破,入城时元军遭到激烈抵抗,元军继而征降夔州(今奉节),至此宋元战事基本结束。」
「明崇祯十七年(1644年)6月,张献忠攻占重庆。之后重庆被大西军、清军、南明军队轮番占领、蹂躏十余次,最后几乎沦为空城。从崇祯十七年(1644年)到康熙二年(1663年),以清廷四川总督李国英重筑通远门为标志性事件,长达19年的重庆争夺战才告一段落。据《重庆通史》记载:经过明末清初的战乱之后,康熙四年(1665年),重庆主城(即渝中半岛)全城仅有3000人。」
「清初,发生的“湖广填四川”运动使重庆具有了悠久的移民历史和丰富的移民文化,奠定了近现代重庆社会的根基。」
「民国二十六年(1937年)11月,中华民国政府颁布《国民政府移驻重庆宣言》(略)在成为“战时首都”之后,重庆成为中国抗战时期大后方的政治、军事、经济、文化中心,抗日民族统一战线的政治舞台,更是世界反法西斯战争远东指挥中心,以及在国际上享有盛誉的“英雄之城”、“不屈之城”。」
「民国三十年(1941年)6月5日,重庆市渝中区公共防空大隧道中,躲避日军地毯式战略轰炸的7764名市民窒息死亡,史称“大隧道惨案”。」

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