油煳干青∈4重慶&貴陽:嘉濱路1∋糟酸麻蒜

[前日日計]
支出1500/収入1500
負債 0/
[前日累計]
     /負債 306
§
→一月一日(二)
0811豆腐面300
1010何氏碗雑面300
1108(瑞富美食汇)渝香自助快餐500
1955尚品美食500
[前日日計]
支出1500/収入1600
負債 100/
[前日累計]
     /負債 206
§
→一月二日(三)


~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)
※登り下りは全く違うけど,
 まあこの辺りでした。


豆腐はどこだ?常軌を逸した辛味

▲0815またもや面(豆腐面の食べ損ね)

811
豆腐面300
 戴家巷東,特色胖妹面庄の隣の店に朝から行ってみた。
 と…豆腐はどこだ?
 やっぱり常軌を逸した辛さです。麻辣がどうとか言うより,こうなると味覚のクラッシュみたいな激突感。
 でも面は素晴らしい。小麦香を豊かに湛え,それが…これが分からないんだけどこのガチガチの麻辣の中で消えるどころかよりくっきりと浮き上がる。
 隣を見ると…やっぱり豆腐面には豆腐が入っとるがな!ここに豆腐が来たらどうなるか…食べたかったなあ。
 2019新年快楽!──中国の年賀の挨拶だと言うけど「あけまして…」とは絶対語感が違うと思う。

旦の本日1531重慶西発で,貴陽行きの票(チケット)をとってます。
 この新幹線乗車にもかなり紆余曲折がありましたけど,それはまとめて後述します。
 重慶最終日は午前中ともうちょっと,ということに。となると…南北の坂をもう少し実感してみたい。それは,短時間に一気に疲れる,というのと同義ですけど…。

高低差に目が眩み,いつしかマンション内へ?

▼0835北岸へ下る。

ず北に下りたい。昨日,橋越しに見えた辺りを目指したい。
 百度にもGM.にも,地図には全く道はない。勘で行こう。
 0832,結構往来があるので臨江門と外科楼(重慶医科大学附属第二医院)の間の道へ入る。この西には寛仁医院という看板と伝統建築が並んでますけど──
 それはともかく,すごい高低差の建物の高架を下っていきます。いいのかホントに?

▲0838しかしまあ,まるで入っちゃいけないような雰囲気のアパートだなあ。

パートの中に入ったような?
 というか,もうこれは疑うべくもなくアパートの中だろ?
 東には,古い土壁が聳えてきてます。圧巻!
 でもここ,17階とか書いてあるぞ?

完全に迷ってますけど城壁跡が

▲0839迷いこんだアパートの渡し廊下から,北岸の土塁跡をくっきり確認。見た目では凝灰岩っぽい。

に出たいんだよ~,ととうとう通りがかりのおばちゃんに訊く。すると答えは明瞭。
「下去一楼用電梯」
──エレベーターで一階へ降りりやいーだろ?
 やはり単にアパートの中にいる。急かされるように17階の高低差をエレベーターで降下。当然だけど川岸に出た。
 問題はセキュリティ上出れるのか?という点でしたけど…内部からは出ていけました。ただし岸側からは,入れないようにロックがかかってる。なるほどそーゆーことね。
 今さらながらこの中洲中心部の高度に目が眩む。歩きでもかなり降りた後だった。臨江街の辺りって長江水面からアパートの20階以上の高さなのか?そんな城が中洲にあったら──そりゃ落とせんわ。

▲0847またもや賑やかな北岸

ういう訳でようやく念願の北岸に出ました。
 0847,東行。歩道なし。車道の路側を行く。
 バス停「嘉濱路洪崖洞站」。道は嘉陵江濱江路。
 0852,その裏辺りから,ようやく歩道が現れました。でもこれは建設中。──じゃあどうやって登るんだ?
 とんでもないとこへ降りたんじゃないか?

人影ないけど千と千尋な崖

▲0853観光地を下から見上げる。

触れなしに,0854,洪崖洞というすごい観光用地域が出現。
 ただし人通りは皆無。「景区进口」(観光地入口)と書かれてるけどさっきあった出口に出るだけだろう。

▲0855観光地東脇の土塁跡

廃れた観光地と決めつけてたんだけど──何か昨年の労働節の人出は1日8万人,中国全土でも第二位を記録したそうな。
 ワシは,シン・ゴジラは映画館で5回見たけど,千と千尋は6回見た。そういうことは早く言ってほしい。(→巻末小レポ:洪崖門)
※ 人民岡/「千と千尋」の湯屋にそっくりの重慶洪崖洞、メーデー連休に観光客が殺到 人民網日本語版 2018年05月

確かに,ここに土塁があったのだ。

▲0859北側,河を挟んで江北城方向

厮門大橋までやって来ました。
 来ましたけど,対岸から見た民家群が見当たらない。 ──結局これは見つけられなかった。推測される可能性は,あれは全部洪崖洞の「作り物」だったということ。でも昨日の写真を見直してもそれだけじゃないように見える。巻末小レポで見るようにここが観光化前に不良地区だったなら,観光化出来てない部分は道が封鎖してあるのかもしれない。いずれにせよ地図に道はないし,垂直地形だから沖縄X(航空写真)でも探せないんだからルートの考えようがないんだけど…。

▲0904一本目の橋桁下の土塁跡

ど丸っきり収穫なしかと言えば──
 0905,橋桁直下。古い壁跡あるいは岩盤が露出してる。確定しにくいけど,さっき降りたマンションから見えた壁の高度と同じラインです。おそらく城壁跡。

▲0909物凄い高低差です。

厮門大橋は,どうやらこの城壁ラインの上に,直接に橋桁を嵌めてるように見えます。
 勿体ないお化けが出るぞ!
 ただ,こういう形になってれば,少なくとも橋桁部分の土塁は将来も遺されていくかもしれません…ね?

▲0912大橋桁下の土塁跡

ころで,橋を過ぎても民家群どころか東側へ上がる道がない。
 道なりに進むしかないけど…崖のアパートの皆さんは南側からだけ出入りしてるんだろか?
 恐ろしいことに,段々道がハイウェイっぽくなってきました。高速道路の路側を歩いてる感じで,とてもエキサイティング。

重慶胎内めぐり。さらに登る,登る!

▲0916東端のダムみたいな建物まで来た。もう道はない。

イウェイの下にも道があるけど…降り口もない。どこかで見逃したんだろか?
 再びあのダムみたいな建物が迫ってきた。
 と,相当不安が募った辺りで「綿花街」と示す標識が現れた。確か昨日見かけた道です。よし!──というかこっちしか進めないみたい。
 0916。「解放碑方向人行通道」と書かれた階段へ入る。
 長い。
 覆いのある階段から高架へとぐるぐる導かれるけど,分岐はないから進むしかない。胎内めぐりのような一通の迷路。工事中の臨時通路としか思えんけど…。

▲0929重慶胎内めぐりの出口

時半近くになって,やっと人間の姿がある通りへ出ました。インフラ部と居住区のモザイク,ニューヨークみたいな構造の町です。
 でも,ここはどこ?
 繰り返すけどスマホのマップは役に立たない。垂直の高度差とこれの登り降りが読めない。
「朝福大酒」とある店。東は通行止め表示なので,またもや西へしか道がない。進む。
 あれ?「眼鏡小面」…??ここは昨日通ったぞ?朝干路なのか?

らやっぱり昨日のパティオ!0924。
 昨日下った大樹のある坂道・千厮門行街の下。朝干路のUターン地点です。
 では今日は,今来た道の逆側,南西へ入るか。0927,綿花街。
 やはり登りです。「御景江山」というのは社区名か。「都市庭園」というのも接続してあるけど,どちらも花園っぽい。
 0933,どこへ出るか知らんけど南の路地が現れた。水巷子とアドレス表示。
 またまた登りの階段です。困った町やな,と頭で喜び脚は悲鳴。登る。

▲0935高架をくぐって(おそらく南へ)登る

■小レポ:聖地?要塞?海賊窟?洪崖门

 洪崖洞そのものは2005年頃に建て直された建造物群で,まあ観光地そのもの。
 だから調べてもほとんど「まあ素敵!」な記述しかないんだけど,僅かに読める歴史からすると,ここの構造は,ホンマもんの歴史を持ってるらしい。
 最古らしき元史の記述は「枢密院合兵围重庆,夺洪崖门,获宋将何世贤」。どうやら対元戦の最終戦闘がここで行われたらしい。崖の穴場での殲滅戦だったろう。
 それとの前後関係は分からないけれど,通遠門の経緯からすると激戦地ゆえにではないだろうか。ここは霊地でもあり,「洪岩洞」あるいは「神仙洞」と呼ばれたという。「川江號子」という巴渝地方特有の音楽にも「殺雄雞,為把神敬」の歌詞がある。生け贄に鶏を殺して神に捧げたようです。「貞肅汪公」碑が立っていた,というのはその神の名前なのだろうけれど,この名については情報がない。
 それでここがその後どうなったのかというと,長い間廃墟だったようです。ただその中に「位于洪崖洞海盗船位置」という記述がある。
 確かにここは,川船が立ち寄る交易場としては適してる。それが海賊化してその巣窟だったということもあったろう。20世紀の間,ここが何だったのかは奇妙に記録がないんだけど,ひょっとして「あの××が今や観光地かよ!」と思ってる方々もおられるのかもしれません。
※ FANNY VIDEO ONLINE/老照片:1941年重庆洪崖洞生活
「洪崖门原是一道开门,此地曾发生过一场惨烈战事。据《新元史·汪世显传》记载:汪惟正于至元八年(1271年)与两川行枢密院合兵围重庆,夺洪崖门,获宋将何世贤。」
「洪崖洞在洪崖门外岩下崖边,是一个巨大石窟,又叫洪岩洞、神仙洞。相传古代有个神仙,大号洪崖仙人。晋代学者郭璞曾写下“右拍洪崖肩”诗句,将其拟人化。」
「洪崖门早已损毁,位于洪崖洞海盗船位置。」

※ 維基百科/洪崖門
「《新元史·卷142·汪世顯傳》:(略)元故資德大夫中書左丞行陝西四川中書省貞肅汪公神道之碑」
「川江號子有言:“洪崖門,殺雄雞,為把神敬”。或“洪崖門,廣船開,殺雞敬神”。」

※ 百度百科/川江号子
「川江号子是川渝地区川江流域船工们为统一动作和节奏,由号工领唱,众船工帮腔、合唱的一种一领众和式的传统民歌。」
「2006年5月20日,川江号子经中华人民共和国国务院批准列入第一批国家级非物质文化遗产名录。」

※ youtube/川江号子      

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