GM.(経路)
記憶を探れば南墙湾巷
南門口站に着く。
ここも町造りにやや変化がある。記憶を浅く探りつつ西の裏道へ。
1044,ここだ。西へ路地に入る。有難い!この入口辺りはあまり変わってない。住所表示(以下「ad」と略す)には南墙湾巷とある。
最初の一分で確信しました。──やはりこのエリアは凄い。
すぐ東が典型的な官製繁華街になってるのに,これだけの老城路地が残ってる。
それが古いだけでなく,未だ相当数の生活の舞台になってる。
パッと見,普通に見える写真ですけど──道のど真ん中に電柱。祠とか聖樹なら分かりますけど,電柱です。
道は右手に少し湾曲。左手には道の付きかけたような跡が見えてて,結果,電柱の向こうが小さなパティオ状になってる。
かつての左手の道を建物敷地にして,右手に道をつけ直した…にしては右手の道も十分古い。
何をどうしたらこんな配置になるんでしょう?
多分学校が孔子廟
登仁橋巷に,入口から20m強で交差。
その先は完全に居住区になっといきます。
学院巷を過ぎると,北側に文廟坪小学。
現在はそんな形跡はないけれど,入り組んだ筆の形からも,多分この学校用地が孔子廟だったのでしょう。
まっすぐ東へ。西文廟坪牌坊とある石造りの丸門を抜ける。
門を出る。1052。長沙府学宮遺跡とある。
現存する古跡はこの「学宮」のみのようです。
そこから先は市場になった。
消えた蒸菜街
あ!
この道だったのでは?と勘が囁く。右折北行。学宮門正街。
そろそろ昼時,というより朝飯も抜いてるから腹が鳴ってる。
なのに──あれれ?下黎家坡巷になった?ないぞ?
いや,でもこの道だ。引き返す。
おかしい。一軒しかないぞ?その一軒も,蒸し機の中には大皿のみがある店で,長沙独自の小碗蒸菜ではない。
でも当面ここしかない。入る。
1106壹碗香餐館500
①②
①インゲン豆と赤ピーマンのピリ辛炒め
②角煮か何かのコリコリ肉の大辛煮
店名が今風だし内装も新しい。壁にあるWifiの密码がjkjjkj2018となってる。つまり開店1年未満?あ,営業許可証は10月発行です。つまり,前回入った店とは違う。
①インゲン豆と赤ピーマンのピリ辛炒め
やはり味わいは中華的に,深い。ただ山東と違い,八角の味より唐辛子が強く,出汁が深い分辛味が根強い。
その分,豆の本来味は乏しいように感じる。
②角煮か何かのコリコリ肉の大辛煮
コリコリしてるのに角煮みたいな深い渋味の真っ黒な肉が,ピーマンの青臭い苦味と青唐辛子でかなりの辛味になってる。
おおっ,ご飯が進むぞ。
肉を,苦味と言ってもいい渋味に仕立てるこの調理は,越族のものではなく漢民族的です。ここに唐辛子辛さ,という発想もここまでの三都市とは隔絶してる。
作ったとしか思えない階段状:師敬湾巷
とりあえず食った。
前回の蒸菜屋をなおも諦めきれず,再び,下黎家坡巷を精査してみる。
──ないなあ。そんなに簡単に無くなってしまうものなのかあの蒸し機の行列が?他では小碗菜として出回りつつあるのに?
やむを得ん。大南門界隈のフードコートを覗いてみようか。
労働新村巷に右折南行。1153。
共産的な名前──ということはかつては庶民的な界隈だったのでしょう。今も,道は単調ですけど雰囲気はある。
1154,師敬湾巷へ左折東行から南行へ。えらく蛇行する道。アップダウンもある。──作ったとしか思えない階段状です。
長郡中学生のお昼休み
上黎家坡巷へ左折西行からやはり南行。1158。昼間の下校時間らしく中学生往来す。
往来…おお~わらわらと往来し始めた!
学院街へ左折東行。1202。既に学生だらけ,身動きとれまへん。
出所は長郡中学でした。登仁橋巷北端。
この道,デパート裏の場所に蒸菜が何軒かあったはず──なのに一軒しかなくなってる。
ただ学生の流れで飯屋は分かった。
中でもデパート一階にある「大米先生 在長沙更受歓的中式快餐」という店,ここに学生がなだれこんでます。名前からしてローカルっぽい。ただここも「開業大吉」と花が出てて,新店らしい。
うーん,どうしよう。