油煳干青∈7長沙:二周目豆鼓園巷6∋糟酸麻蒜

長沙老城南西角道別写真集

実験中学外縁に道が残った:泉嘶井巷

▲1335上黎家坡巷

黎家坡巷に学院巷北端から東行。1333。
 地下鉄南門口を東南端とするこのブロックの真ん中を,東西にほぼ抜けてるメインの通りです。登仁橋社区公共服務中心,つまり自治会もここにありました。

▲1338泉嘶井巷

嘶井巷へ左折南行。1337。
 これも,古い曲がりを残すいい道です。
 GM.にはありません。おそらく実験中学の外縁に残った道てしょう。でも単なる隙間じゃなく,石畳も施されてます。

▲1339泉嘶井巷2

北へ90度きれいに湾曲:豆鼓園巷

西文廟坪巷に出ました。1342,右折東行。
 南墙湾巷の延長上,東西の道です。上黎家坡巷の東西ラインを南で並走してます。

▲1344西文廟坪巷

のまま豆鼓園巷へ東行してみる。
 するとこの道,北へ90度,きれいに湾曲していきます。しばらくは人通りもある。

▲1347豆鼓園巷1。湾曲の始まり辺り。

▲1348豆鼓園巷2

物の隙間とは思えないなだらかな湾曲です。
 ブロックの角地だから,この湾曲ラインに何かあったとは考えにくいんですけど…でもこれは何かの筆の跡には間違いありません。

▲1350豆鼓園巷3。もうほぼ北方向。

からどうしてもこの湾曲が気になって,調べてみるんだけど──
 やっぱり分からない。
 一つだけ気づいたのは,GM.の航空写真で見るとこの界隈には「緑地帯」のようなものが南北に連なってること。現場では全くそういう気配は感じなかったし,高低差もなかったんだけど…いや,ただそれだけで,やはりいい推測ができません。

▲GM.の航空写真

○征だらけ,人絶ゆる:石井巷

▲1352豆鼓園巷4

征の字が多数あります。立ち退きということ?──と当時書いてますけど,これはこの前後でもよく見た「収征」,つまり立ち退き地のサインです。
 つまりこの界隈は,近く再開発が予定されてる「不良街区」。もう次に見ることは,おそらくない。

▲1354豆鼓園巷5

いっきりひっそりしてきました。
 ほんの百m前まで行きかっていた人々の姿も消えました。
 未だにわけが分からないんですけど…あまり近づかない方がいい辺りなのかも,です。

▲1355豆鼓園巷6

字路をそのまま石井巷へ北行。1355。
 この道は,とうとう工事現場で行きどまりになってました。なので十字路に戻って──

▲1356石井巷

が生けてある道端。この上下とも石井巷です。
 しっかり生活感はある。なのに○征だらけです。
「石井」というのは日本的に名前じゃないでしょう。おそらく井戸の名前。下の写真の共同井戸っぽいものを見つけてます。もちろんキャプションも全くないので,何の確証もありません。

▲1357石井巷2

西行へ転ず。唐家湾巷。
 ダブルのS字が続く道です。
 この曲がり方は,家屋の筆を縫っている感じです。先に人家が並んで,その間が道になった。つまり当初から都市計画の埒外になっていたエリアに見えます。

▲1400唐家湾巷1

▲1401唐家湾巷2

まった一帯です。
 老街という点では,この道は一番見応えがありました。まだ○征マークはありません。
 次の写真のような,一段盛り土をした家屋への古い階段跡もありました。

▲1402唐家湾巷3

図では行き止まりになってますけど,1404,するっと北の車道・人民西路に出れてます。
 車道渡り北の衣铺街へ北行。この道の西までが再開発中らしい。
 雨が止んだ。

▲1405衣铺街南入口