実験中学外縁に道が残った:泉嘶井巷
上黎家坡巷に学院巷北端から東行。1333。
地下鉄南門口を東南端とするこのブロックの真ん中を,東西にほぼ抜けてるメインの通りです。登仁橋社区公共服務中心,つまり自治会もここにありました。
泉嘶井巷へ左折南行。1337。
これも,古い曲がりを残すいい道です。
GM.にはありません。おそらく実験中学の外縁に残った道てしょう。でも単なる隙間じゃなく,石畳も施されてます。
北へ90度きれいに湾曲:豆鼓園巷
西文廟坪巷に出ました。1342,右折東行。
南墙湾巷の延長上,東西の道です。上黎家坡巷の東西ラインを南で並走してます。
そのまま豆鼓園巷へ東行してみる。
するとこの道,北へ90度,きれいに湾曲していきます。しばらくは人通りもある。
建物の隙間とは思えないなだらかな湾曲です。
ブロックの角地だから,この湾曲ラインに何かあったとは考えにくいんですけど…でもこれは何かの筆の跡には間違いありません。
後からどうしてもこの湾曲が気になって,調べてみるんだけど──
やっぱり分からない。
一つだけ気づいたのは,GM.の航空写真で見るとこの界隈には「緑地帯」のようなものが南北に連なってること。現場では全くそういう気配は感じなかったし,高低差もなかったんだけど…いや,ただそれだけで,やはりいい推測ができません。
○征だらけ,人絶ゆる:石井巷
○征の字が多数あります。立ち退きということ?──と当時書いてますけど,これはこの前後でもよく見た「収征」,つまり立ち退き地のサインです。
つまりこの界隈は,近く再開発が予定されてる「不良街区」。もう次に見ることは,おそらくない。
思いっきりひっそりしてきました。
ほんの百m前まで行きかっていた人々の姿も消えました。
未だにわけが分からないんですけど…あまり近づかない方がいい辺りなのかも,です。
十字路をそのまま石井巷へ北行。1355。
この道は,とうとう工事現場で行きどまりになってました。なので十字路に戻って──
花が生けてある道端。この上下とも石井巷です。
しっかり生活感はある。なのに○征だらけです。
「石井」というのは日本的に名前じゃないでしょう。おそらく井戸の名前。下の写真の共同井戸っぽいものを見つけてます。もちろんキャプションも全くないので,何の確証もありません。
西行へ転ず。唐家湾巷。
ダブルのS字が続く道です。
この曲がり方は,家屋の筆を縫っている感じです。先に人家が並んで,その間が道になった。つまり当初から都市計画の埒外になっていたエリアに見えます。
奥まった一帯です。
老街という点では,この道は一番見応えがありました。まだ○征マークはありません。
次の写真のような,一段盛り土をした家屋への古い階段跡もありました。
地図では行き止まりになってますけど,1404,するっと北の車道・人民西路に出れてます。
車道渡り北の衣铺街へ北行。この道の西までが再開発中らしい。
雨が止んだ。