/※5425’※/Range(揚州).Activate Category:上海謀略編 Phaze:迷路は甘泉路へ

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)

イスラムの羊とエビスの巷の香

▼1739徐凝門大街・个園から再び東の路地・羊胡巷へ

方5時半。徐凝門大街を下り,何園(个园)に灰皿があったので一服。
「揚州早茶」看板を掲げる店が対面にある。でも旨くなさそうだし,この時間にガラガラ,立地からしておそらく観光用らしい。
 なので,時間が時間だけどなおもこの店の横の道に再突入。
 道の名前は羊胡巷。清真(イスラム)の匂いを感じる名前です。(巻末メモで僅かに掘り下げてます。)

▲1739僅かな曲がりと蔦とoppo

の街だったら十分好い道なんだけど……う~ん。揚州の路地裏っぽくはない小綺麗な道です。
 路面も整地されてる。微かな曲がりが往時を伝えてはいるけれど……。

▲1741五月に赤いこの葉の樹は何だろう?でもいい風情を醸してます。

十字架は折られ祭台は毀され

の運河に出た。1743。
 宮殿のようなレストランがやたらと多い。観光用だろうか,それとも水辺を眺めての地元の宴会用だろうか。
 北行。

▲1748東の川縁には城壁上の道がある。でも明らかに最近の復元。

の写真の遠方に見える三つの屋根は,揚州天主教耶穌聖心堂というキリスト教会。
 1873年に上海から来たフランス籍の牧師が建てたもの。例によって文革で一度破壊されたけれど,揚州で唯一のキリスト教会として活動してる。
 ということは,この東岸サイドは,かつては揚州の表玄関だったエリアだろうか?
※ 維基百科/揚州耶穌聖心堂
「1966年,文革開始,揚州耶穌聖心堂的鐘樓及十字架被拆,內部祭台被毀,為工廠佔用。1982年恢復開放,為揚州市唯一的天主教活動場所。」

揚州の道に還って来た


749,広陵路まで帰って来た。この辺りでは広陵路は割と普通の街の雰囲気で,ただただ交通量が多いのみの道です。
 広陵医院のバス停にて2路のバスを待つ。1800乗車。少し行くとやはりいい道に転じます。広州の天津路を連想する。
 1806,渡江路の中南医院で下車。状元巷へ西行。

▲1808状元巷

ってきた。揚州の路地です。
 路面はかろうじてレンガで整えられてるけれど,家屋も壁も年期を誇る。壁には訳の分からなくなったレリーフ。道は不規則に曲がり,あるいは唐突に折れる。
 揚州の道です。還ってきました。

先行き見えねど揚州の道:状元巷

▲1809全然行く手を見通せない状元巷

か感慨に浸ってる間もなく,この状元巷は容赦なく難易度を上げてきました。
 空が遠くなってきた。
 これは道なんだろうか?いやこの弧を描く曲がり方と路面は道のはずだけど……。

▲1810いつ行き止まりでもおかしくなくなった状元巷

の写真など,最下部左にまっすぐな下水跡があるから,道を妨げるように建った家屋があって,道が屈曲した経緯を思わせます。
 でもこの弧の向こうに……これは他の道との十字かな?

▲1811状元巷の軽い曲がりの向こうに……あ,他の道に交わった!

ぐねぐねと伸びて途切れる謝总門

811,交わった道は达士巷。北行。
 この达士巷だけはGM.に表示がある。他は,私道なのか単なる家並みの隙間なのか分かりません。

▲1816謝总門の横路を覗いて。

姓火巷という道に交わる。1813。「于」姓の一族が住んだんだろけど,そこに「火」を付ける?変な名前に惹かれ左折西行。
 けれどすぐ謝总門という道に名だけが変わる。しかもそのまま,ぐねぐねとかなり行ってから行き止まりになってました。考えにくい配置の道です。
 ──かつては南側にそういう門があったけど,今は廃されて家屋で埋まった,ということでしょうか。
 いずれにせよ途中に他の道はない。引き返して达士巷を再び北行。

▲1821大十三湾の右の道

十三湾 地図に書かれぬ「左の道」

819,大十三湾に再度東行。──と書いてるけど,既に方角を見失ってたらしい。GM.上は北へ向かって行き止まりになってる道です。
 確かに右の道は途切れてました。

▲1822大十三湾の左の道

の道に入り直す。
 ヨーロッパの古都の路地のような壁の間に続く路地です。これもきっと……。
 あれれ?向こうの灯は?

▲1824大十三湾の北端

──けれた。
 車道です。ここは一体……?
 北に向かっていた自覚がもう全くなくて。
 あ!見覚えのある軽い蛇行。ここ,甘泉路です!

■メモ:揚州の14の「羊」地名の意味

 初回の揚州入りでまず見つけたのがイスラム寺院・仙鶴寺でした。
 三次のこの時は見逃してますけど,「扬州晚报」サイトにこんな表記がありました。イスラム寺院があったはずです。

跃进桥西岸边,有一座高耸的伊斯兰教堂。而羊胡巷就在教堂往南,与北河下街相衔接。

(橋を越えた西岸に,一座の高くそびえるイスラム寺院がある。羊胡巷はまさにこの寺院の南を通っており,北河下の街に繋がっている。)
※ 扬州晚报 凤凰网江苏 > 人文 >
扬州“羊地名”共有14个 羊胡巷登上羊年特制明信片

 それが即,イスラム教徒の居住区と断定する材料はありません。でもこの「羊」字の地名の多さは,それぞれ何らかの意味で清真との繋がりがある可能性が高い。
 特に「羊肉」字を含む「羊肉巷」や「大羊肉巷」,「小羊肉巷」はモロです。同サイトの「羊肉巷」の部分にはこうあります。

古时这个地方聚集了不少回民,他们只吃羊肉和牛肉,这里就成了羊肉,集散市场。

(かつてこの場所には多数の回民族が集住した。彼らは羊肉と牛肉を食べたが,ここは羊肉のみの集散する市場になっていた。)
 ただ,これだけのエリアにイスラム地名が残るにも関わらず,今回までの三回,揚州で清真街はついに見かけませんでした。揚州のイスラム教徒は一体どこへ行ったのでしょうか。

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