目録
淮揚名菜「餃面」チェーン店
北へ皮市街,南へは徐凝門大街が伸びる交差点を渡ったのが1622,ここで「淮揚菜名店」とレリーフのある食堂を見つけました。この半端な時間にものすごい客の入りです。そこでついつい…。
ちなみにGM.ではヒットしない。百度地図にはプロットされてます。
1628蒋家橋餃面(広陵路店)
虾籽餃面300
麺が綺麗に折り畳まれて出て来ました。
日本だったら「汁を絡ませる一手間を惜しんでる」として敬遠する見映えですけど,これに限っては訳がありそうに見えます。
口へ運ぶ。
──蕎麦のような麺です。コシがない,カップラーメンのような歯触りなのに香りはぐんと立ってる。やや細い,野卑な卵麺のような麺です。
何よりこの麺に絡む汁の,醤油のドス辛さは何だ?上海料理のたおやかな味覚とは完全に一線を置く。四川や貴州の複合的な辛みとも異なる。純粋でシンプルなのに底知れぬ味覚──
これが淮菜の味覚なのか。合肥で感じたあの感覚です。
「餃面」の「餃」というのは汁に浮くこののはワンタンのミニチュアのようなものらしい。でもこれも味覚が,馄饨や湯包の柔らかな味と全く違う。荷崩してぐちゅぐちゅにしたような味覚というのか──表現は汚いけど,いや旨いのです!
「餃面」は「餃子」載せ「麺」,つまり馄饨面のような意味かと思ったら,違うらしい。正確には違うかどうか分からない。調べた結果を総合すると──とにかくこういう面食のことを揚州ではそう呼んでて,「餃面」と独特の名称で呼称する(巻末参照)。
夕飯時が近づきさらに混み始めた店内を後にする間際,さらりと訊くと,市内に展開してるチェーン店らしい。朝は6時からやってる。
旧城南東角,古の別荘地ストリート
1650,康山草堂。店名に淮揚菜色が一層,濃くなってきます。
※ 新浪博客/康山草堂的前世今生
物凄い謂われがあるけれど,軽く言うと清の乾隆帝お気に入りの別荘だったらしい。
トリビアにしてもローカル過ぎるので何の役にも立たない情報ですけど。
揚州の洋服屋は,なぜかマネキンがやたら多い。それがこれまたなぜか,上しか着てない挑発的な,もとい,シュールな風情で通りに並ぶ。
子どもも通るんだから,揚州市教委は止めさせた方がいいと思う。
大いなる流れ芳しき巷
春香園茶叶店という茶の店でさらに地元色の強い「揚州緑楊春」なる茶を購入。2両。
今調べると,これはホントに揚州地場産のお茶らしい。難しい旨味でなく,率直な,華やかな香りの茶葉でした。鹿児島茶のような分かりやすさ,こういうお茶も好い。
ここのはずです。1712。航空写真でプロットしてた大流芳巷へ右折南行。
揚州旧城の南東角に当たるエリア,まだ入ったことのない界隈です。
舞人は舞いつつ詩を唱える
「ハ咏園」という看板のある史跡に来た。創設年代は清とある。
維基百科には「园内与个园同样……」(園内は个园と同じく……)という表記がある。少し西にある个园も創設は清代だから,こういう公園が清代にはこのエリアに並んでたことになる。
※ 維基百科/八咏园
因みに「咏」は,「詠嘆」の「詠」の異字。声を長く引き節をつけて詩歌を歌うこと,または舞楽で舞人が舞いつつ詩句を唱えること。シャーマンのようなイメージの漢字です。
今は古びた好い路地。
※ 个园の方の由来は竹の形状,あるいは竹が月に映える様(月映竹成千个字)を「个」字に見立てた幽玄なネーミング。
何とか工作室を過ぎて,そろそろだろう。右折西行,さらに細道へ。
どっしりした門構えの古い家屋が目につく。石の積みかたが素人目にも尋常じゃない。豪邸が並ぶ区画だったんでしょうか。それがなぜこの界隈に?
牛背井は道か,地名か,井戸の名か?
「牛背井」と表示あり。これが道の名か?
進むと井戸。大きい。それに今も使われてる雰囲気です。「牛背井」はこの井戸の名前だろうか。あるいは,井戸の名前が「この井戸を使うエリア」としてそのまま地区名になってるんだろうか。
黒婆婆巷。そのまま進むとその名の細道に入りました。
何だその不吉な名前は?
もちろん後から調べても,そんな地名のヒットはない。マヨイガだったのかもしれない。古びた家屋の連なる道は折れに折れ,もはや方向も見失ったまま──
黒婆婆の行き止まりに井戸
井戸のある,奇妙に小綺麗なパティオにたどり着く。道はそこで途切れた。
さっきの考察が正しければ,揚州の古道は井戸に出る。集落と井戸と,その両者を結ぶための通路。古来,人間が生存に必要なワンセットは畢竟,それで足りるわけです。
引き返す。
見覚えのある道に戻って別の曲がり角を進めば,ようやく車道に出ました。
1726。ローソンがある。百度地図を開くと黄色く立てたマーカーから西が現在地。つまりこの車道は,西の徐凝門大街らしい。
南行しよう。
■小レポ:「餃面」は餃子か?麺か?馄饨か?
レポとは掲げたものの,全く,ホントに何も分かりませんでした。この不透明感は異様です。
まず,「餃面」でググると確かにその語のヒットは幾つかある。地理的にも中国のあちこちに点在する。
けれどどれも「馄饨みたいなもの」という域を出てない。そもそも「餃面」という呼称が,この馄饨みたいなのを指すのか麺なのか,それとも両者の取り合わせ全体を指すのか,それもよく分からない。
だから発祥とか相関とかも不明です。
揚州の店舗では,今回訪れた蒋家橋のほか,共和春という店が有名らしい。
※ 每日頭條/中國麵條地理——揚州|餃面
※ 今天頭條/共和春餃面成為揚州名吃是因為其獨特的製作技巧
※ 華人百科/蝦子餃面(いずれも中国語)
○ そもそも餃子って何だったの?
1991年に山東省済寧市の「薜国故城」で春秋戦国時代の餃子が「発掘」されたという(山東省済寧市文物管理局)。
「餃」という漢字は,「飴」の意の他は,ほぼ「餃子」しか意味しない。
下記の于亜さんという研究者がまとめた,山東での餃子食文化に関する詳細な論文がある。餃子に類する食べ物の呼称は,福建に残る「扁食」から山東の一部にある「角」,チベット語に共通しそうな「餑餑」(読み:もも)からウイグルの「サモパザ」とバラバラ。
これは,漢字成立以前に既に普遍化してた食法に,専用の漢字が充てられたと推察するしかない。
ではこの「餃子」は,食法以外に何を意味したのかというと,これまた相当に多様な含みを持つ。現在の中国では,主に祝いごとの場面で食べられるけれど,于亜論文中,まず婚礼に関する風俗の表を掲げます。
※ J-STAGE/于亜「中国山東省における餃子食の意味と地域的特質」人文地理,2005
▲餃子に係る婚礼風俗表(左半)
▲餃子に係る婚礼風俗表(右半)
個別事象の分析をしてるときりがない多様さです。けれど,食べる個数まで決まってるからには,明らかに呪術的な意味がある。
形状からして人頭を含意する「饅頭」と類似するのだろうか?
そうなると,同于論文に紹介される葬送風俗の方こそ,むしろイメージに合致します。
▲餃子に係る葬送風俗表(左半)※右半略
餃子の食数は,婚礼と同様に年齢と関連づけられることがある。ただ葬送では,婚礼にはない「年齢×2」という例がある。
餃子が人の生死に関連づけられたイメージを有し,そのイメージが死の場合,倍数を食すことで乗り越えるあるいは封じるというニュアンスの呪術行為になってるのだと推測できます。
最後の写真は,土葬墓の表土に餃子をばらまいてるもの。ここまで来ると食べ物というより専ら呪術ツールです。もしかすると,餃子は元,食べ物ではなくそういう道具,例えば日本の「ヒトガタ」のようなものだったのかもしれません。
それを食べたら旨かった,それでここまで常食化してるのだとしたら──中国人の食への執着の逞しさは大したものです。
▲土葬墓上に撒かれた餃子
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