/※5434’※/Range(揚州).Activate Category:上海謀略編 Phaze:魔の湾子街ブロック

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)
※湾子街までのルートは今でも謎でよく分かりません……。

どうせどの路地も地図にはない

慶街の東園小館を出たそのすぐ対面,東への細道に突っ込む。1135。
 ここは確か,前回迷いまくった辺りです。でも腹は据えてます。どうせ分からんのじゃ,縁のある場所から行こう。
 道の名前は新風巷。脇道多数。──GM.その他地図にはヒットしません。湾子巷辺りまでどの通り名も一緒です。

▲1140東营七巷。左壁に赤ライン四本。濡れた路面。

が閃く。すぐ右折。1138。
 さらに東营七巷へ左折東行。この道はすぐ六巷になった。
「营」字は「大本営」の三文字目と同義で,軍隊の駐屯地の意味。広陵区には「西营」という地名もある。明清の由来とすれば新旧両城域間の兵舎があった場所でしょうか。

▲1142東营六巷。街路樹飛び出る濡れた道

俭巷。1143。
「倹」約を「崇」めるとは,いかにも文革で改称されたっぽい名前。ということは迷信めいた古称があった場所でしょうか。
 繰り返しますけどネットにヒットはありません。

道の名は「カミソリ(剪)を挟む橋」?

▲1144崇俭巷。モバイク放置の濡れた道

145夹剪橋。小圃とある文物保存単位」とメモしてますから,おそらく下の写真のZ角を曲がってすぐ。ということは,小圃の敷地か家壁かを避けてのZ角だったのでしょう。

▲1145謎の屈曲,濡れた道

▲1147路地のへこみ。これも同じ敷地の跡でしょう。

清朝高級官僚・陳さんの豪邸

の文化財は僅かにネットに記述がありました。

夹剪桥是一条从西南到东北的蜿蜒曲折的小巷。(略)
这里有一处“小圃”,独占西南一隅,曾是清同治户部主事陈象衡的私家宅第。宅坐北朝南,分东西两轴,前后各二进。

※ 看点改報/别在去东关街了,扬州还有这么多好玩的巷子

▲1148「小圃」の家門

剪桥は──GM.では確認できないけれど──「从西南到东北的」西南から東北にえんえんと曲がり連なる小路である。──つまり斜めの道である。この点は少し後までご記憶ください。
 巷の西南一帯を占める敷地に建つこの家「小圃」自体は,かつての「清同治户部主事陈象衡」清朝の同治帝時代に財務高級官僚だった陳象衡というお方の,私邸だった。「宅坐北朝南」南向きに建てられ,東西と前後に分かれたロの字の家屋。
 文化財的にはともかく地理的には,斜めの道沿いに,風水を気にしてか無理やり東西南北方向の大邸宅を作ったからこんなにゴツゴツと出っ張りが出来て,後代まで迷惑,いや目を引く特徴になってるということらしい。
※ 知乎/清朝户部主事是几品官职?

肉巻き餃子,道中央の深井戸

▲1152餃肉巷の井戸。上を紙で覆うとかなり悪質な落とし穴です。

肉巷という美味しそうな路地で井戸を見つける。1151。
──とメモってるのは,「巷」を「巻」に誤認すれば「餃子の肉巻き」と読めるからだと思うけど,それは想像すると不気味だぞ。
 本題に戻ると──こんな道の真ん中に立派な井戸!「全ての道は井戸に通ず」(?)みたいな揚州感覚むき出しな道です。
 さらに大井巷を過ぎる。ここは来た記憶があります。

▲1153大井巷。電線連なる濡れた道

154,湾子巷の表示を確認しました。
 1156,灯草行。もうどっちがどっちなんだか。T字では肖家井になってた。──とかメモってる。何が起こっていたかと言うと──

揚州老城唯一の斜道:湾小街

▲(GM.航空写真)湾子街付近

子街は斜めの道だったからです。維基にはこうある。

灣子街在明清時期屬於揚州新城,系從東關到鈔關之間自發形成的道路,也是揚州老城區唯一的一條斜街。

※ 維基百科/灣子街
 新城設置時段階で東関と税関(?)を結ぶ道が自然形成された。これは揚州唯一の斜めの道だという。
 本稿読者は,けれどもう一つの斜めの道を既に見てる。小圃のあった夹剪桥です。塩の荷揚げ場だった東関と新旧両城間の商業区(鈔關=税関の場所や機能が判然としないので仮にそう捉えるけれど)を結ぶ道が,ヨーロッパの放射状の道路のような配置で,しかも官の都市計画によってではなく民の自然な商業活動により造られたわけです。

▲1155湾子街からの路地。両脇の水溜まりで通れないよな濡れた道

全に方向感覚を失った人間というのは何をするか分からない。
 この時のワシも,この正午前後は勘だけで路地に入りまくってたみたいです,この写真を見ると。
 凄い道が続いてます。

細道に赤い雨衣の対面バイク!

▲1158灯草行……なのか?屈曲してる濡れた道

の写真の屈曲なぞ,まさにこの辺りが自然発生した道である証査です。家屋の敷地と壁が好き放題に立ち込めた隙間が道になった,そういう空気を伝えてます。

▲1200ますます狭まる濡れた道……を対面バイク?!

雨衣のバイクをこの細道でどう避けたのか,メモってません。
 えっと?左折かな?1202,蛇尾巷──って感じでどんどん深みにハマッていってます。

揚州またの名を「巷城」──小路の街

▲1203煉瓦剥き出し濡れた道

対ないと思ってたのにこの蛇尾巷──この形状はまさに蛇!──はネットに記載がありました。

扬州素有“巷城”之誉,那扬州最窄的巷子是蛇尾巷。这条小巷弯弯曲曲,也就2米宽度,100多米长,有16个门牌号码,尾部甩向南边。沿小巷走过,最窄处约70厘米,仅容一人通过,是扬州最窄的小巷了。

※ 每日头条/扬州城的这些小秘密,老扬州都不一定知道!
「扬州最窄的小巷」揚州で最も狭い小路なんだそうです。この記事曰く一番狭いとこは70cm!下の写真の道を通る時には,それを身を持って実感しました。

▲1204蛇尾巷。ホントに通れるのか?濡れた道

は止まないけど,これは傘を差しては通れません。
 この偉大な細道から出たのは風箱巷。──今地図を見ると相当南へ行ってます。でも当時は「普通の道に戻った……」という安堵しかなくて。
 えっと?きっと左折かな?

■追記:湾子街の現代史略

 交易都市揚州の中心だった湾子街が,現在のような場末に転じる契機となった時代は,文革時期だったらしい。この時期に,湾子街は普通の居住区へ,おそらくかなり強制的に改造されてる。

歷史上此街原為繁華的商業街區,擁有大德生、大麒麟閣等數十個老字號,但自50年代社會主義改造後,已演變為單純的居住街區。

※前掲維基百科/灣子街 以下同じ
 湾子街にはそれまで何があったのか?商業区であっただけでなく,宗教施設も集中していたらしい。

此後灣子街街區一直改造較少,仍保留著樸實的市井氣息。附近原有古三義閣等十餘處宗教建築,現僅存東嶽廟、地藏庵、藏經院的舊址,均已損毀嚴重或者改變用途。

「東嶽廟,地藏庵,藏經院」ということは,民間信仰から清朝下で興隆したチベット仏教まで多重な信仰が入り乱れていた。ここに住む人たちも多様な価値観を持っていたと推定されます。
 これらが全て破壊されてる。

2015年,揚州市政府批准灣子街歷史文化街區保護規劃,灣子街歷史文化街區成為揚州城內的四個江蘇省歷史文化街區之一。

 この文化的破壊の重大さに,揚州行政はさすがについ数年前ながら気付いたらしい。この地域限定の保護規則を制定して保全に乗り出してるようです。
 ただ,その結果が国慶路や皮市街の文化街の風景のようなので,辛うじて遺された湾子街のこの風情は,この空気の中ではむしろより風前の灯火になってると推される。
 次に揚州を訪れた際,今回のような風景すら残っていない可能性は極めて高い。

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