風箱巷,小さきといえども
揚氏小筑という文化財表示をこの時見かけてます。清代の塩商の豪邸跡らしい。
1212,細い路地裏からようやく脱出,小風箱巷へ出て左折しました。
風箱巷というこの印象的な地名は,每日頭條に次の記述がありました。
風箱巷雖小,卻有三處揚州市文物保護單位。一處是蔣氏住宅:高大的門樓,坐北朝南,有六米來高,兀然挺立。另一處是蔚圃。蔚圃原屬程姓,後屬李蔚如,這也是蔚圃的來由。蔚圃不大,但布局得體,山石水池,廳閣房廊,花木池魚,一應俱全,倘佯其間,悠然自得,飄然欲仙。還有一處即楊氏小築,乃上世紀三十年代初期,鹽商楊伯咸所建
※ 每日頭條/煙花三月下揚州,揚州小巷,這裡可否有你童年的記憶與景色
蔣氏住宅,蔚圃とこの時見かけた楊氏小築の3つの文化財が,40ほどの家屋が連なる短いこの通りにある。楊氏小築だけ民国の時代表記がありましたけど,清から戦前にかけての豪邸があったわけです。
現在の風情は,まあそう言われれば,という感じの微かな趣しかない。でも湾子街を作った商業の興隆が,この一本裏道にもこうして残ってる。
漢娜酒館,これは皮市街だろう
太い道に出た。1215,宛虹橋。
虹に「宛て」たる橋とは,よく赤面しないなという乙女なネーミングだけど,それで全く何という特徴もない,というのもむしろ凄い。
右折東行かな,きっと。
ハングルだらけの「漢娜酒館」という店の脇に出た。1219。
この,恥ずかしげもなく一気に垢抜けた空気は──おそらく皮市街だろう。
本日はさらに東へ入ろう。対面をさらに直進東行。1222,対面の大芝麻巷へ再度突入。
赤カッパ,青カッパ,天然迷路
結果からして,この辺りはワシの知る揚州の巷とは少し違って,妙に小綺麗でした。
ただ,この時なぜすぐに大芝麻巷に出たのか分からない。皮市街からは直通してないはずです。GM.と百度地図も妙に違う。百度地図ではこんな道の配置になってます。
▲百度地図の大芝麻巷辺り
作ったとしか思えないような迷路です。
どこに出ればいいのか?出るとしてもどう行けばいいのか?
加えて怖いのは……どの地図も現実の道筋を正確にプロットしてはいないことです。揚州に実際行かれて勇気のある方は──百度地図に「流水橋」とだけ書かれてるこの区画,是非トライしてみて下さい。
と書いてるワシ自身は,当時そんな自覚もないままフラフラとここに迷いこんでしまってたんですけど……
花井南巷。1225,左折東行。
どこからか赤子の泣き声。
右折して北矢巷に入る。
崇徳と広陵の故郷……かどうか?
この辺りは,どこで行き止まりになってもおかしくない景観が続きます。
少し整備されてる分,西側のような地図にない細い抜け道もあまりないようです。
1232,左折東行,崇徳西巷へ。
広島に崇徳高校というのがあるけれど,広陵の地名といい,何か広島と縁があるんだろうか?
道が普通っぽかったからか,道行きの変な事物をやたら撮ってます。
しかしこの迷路のエリア・流水橋は,そも何なんでしょう?……と当たってみると「大紀元」というサイトに唯一こんな記述がありました。
宋と明との庭園重ね塗り
休園和影園是明末江南名園,園主皆為歙縣鄭氏四兄弟。休園位於揚州新城流水橋畔,屬大型宅園,據說為宋代朱氏園的舊址。休園內山水斷續貫穿,景致賦予變化,具有宋代園林簡遠疏朗的意境,園內建築不多,但已經開始利用長廊以連接園內各處。
※ 大紀元/園林多是宅——南秀北雄的揚州園林
関係する要点は
①「流水橋」たもとに「休園」という庭園があった。
②休園は「影園」と併せ明末の名園で,園主は歙県(現・安徽省黄山市)の鄭氏四兄弟だった。
③休園はさらに宋代の朱氏の庭園跡だと伝えられる。
④宋代の園内は「簡遠疏朗」な雰囲気で,建築は少なく,ただ長い廊下が園内各所を結んでいた。
ということは──庭園の上に庭園が上書きされ,意図的に複雑化されたその廃墟が宅地化された。
でも筆や建物跡の複雑な形状は残り,小綺麗なのに迷路,という今の姿に結集した。
……そういうことなのでしょうか?
これで出れなきゃ出口はないが?
1238,T字を右折南行,崇徳巷へ。
方向からするとどうやら出れそうです。というか,もしこれが出れなければ出口がないことになります。果たして──?
出れた!広陵路です!
1245,昨日と同じ広陵医院バス停に着いた。2路のバスを待つ。
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