木香巷。GM.にはない
昨日と同じ2路のバスを,昨日に続き中南医院で下車。
1252,渡江路。
今日はバス停南の木香巷から西行します。この路地は,それなりに太い道だけどなぜかGM.にはない。
赤煉瓦の斑な壁の昏い道。
迷路感はないけれど好い道です。
この辺りは,南通路,その北を東西に伸びる南河下の,さらにそのもう一つ北をジグザグに折れてる道です。今朝の五福巷と似た感じを受けます。
永寧巷の何てことない曲がり角
道の名前が永寧巷に変わる。1305。
このL字の曲がり角に,なぜか惚れてます。何てことないけど何かいい。
行き過ぎてからもう一枚,撮ってます。
永寧宮古戏台というプレートが現れました。福縁寺下院という寺の台(英訳:Ancient Stage)が残ってる,と記載がある。
どうも妖気のある場所です。調べてみてもこの両者にヒットはない。ただし──
▲1309永寧巷の井戸。正面に永寧宮古戏台のプレート。道は折れて折れてまた折れて──
斜道の引力源は何処
この達士巷との交点辺りの場所は,湾子街からの揚州唯一の斜道が南堀端に出る場所です。
斜道は東関から南西へ,湾子街,陳さんの「小圃」のあった夹剪桥を経て達士巷へ通じ,この永寧巷西端へ伸びてます。だから──
この斜道南西端には何かがあったはずです。湾子街の記述を再掲すると──
灣子街(略)系從東關到鈔關之間自發形成的道路,也是揚州老城區唯一的一條斜街。
※ 維基百科/灣子街
この斜道が「自然発生」するためには,東関からこの南西辺りへの強力な引力があったはず。それを維基は「鈔關」(税関)と記してますけど,それがまさにこの永寧宮古戏台かこれに隣接する何かだとするのが自然に思えますけど──それ以上の材料が見つかりませんでした。
遠く響く雀牌の音
上の写真の「滨葬一条花」の「滨葬」とは水葬のことだろうか?
1316,道は斜道・达士巷に交わる。いずこからか雀牌の音。
1318,埂子街。左折南行。すぐ右折,南長慶巷を南下。
酒は飲まずに勉強しろ
川沿いに出た。この景色は間違うことなく小秦淮河です。
橋は見えず,かなり整備されてるけれど,はっきりとあの河の風情はある。
川沿いを南へ僅かに歩く。
南通西路へ出た。
このもろに現代中国めいた車道の脇では,かの名河の風情も一気にくすむ。
疲れた。宿でビバーグとする。
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