/※5437’※/Range(揚州).Activate Category:上海謀略編 Phaze:黄昏広陵奥地行

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.※~如意橋西
GM.※如意橋東~
(経路)

江州の大一大万大吉,揚州の十大十小

寝が熟睡になってしまった。1659,遅くなった。再出走。
 汶河南路を北行し,1702,堂子巷へ右折東行。市場街。
 1708,T字。堂府巷。左折北行。すぐに旧城大獅子巷へ右折東行。
 揚州には「十大十小」があるとプレートが出てるけれど欠けててよく分からない。

大十小」の謎は,綿密な調査の結果,帰国後に完全に解明された。そのあまりに驚愕の事実は……巻末を待て!
 1712,公設市場みたいなところへ出た。河。如意橋とある橋を渡りさらに東行。
 埂子街を少し北へ行ってから東行。

馬总門のオヤジは南を指差す

▲1716,馬总門西辺り。片面煉瓦というのもいいアクセント

总門。1715。
 まっすぐ行こうとすると,おっさんに南から回れと指差される。指示通り南に道を見つける。1718,その更正巷を東行。
 この道はゆるい下り坂になってる。
 今思えば──小秦淮河,つまり旧城東辺ラインは過ぎてる。どの時代の城門がここにありうるのか分からない。明代新城の門の一つだったとすれば,下りになっていたのが不可解です。分からない。

!昼に通った达士巷へ出た。1721,左折北東行。つまり斜路を進む。
 1724,渡江路。おおっ,無茶苦茶に歩いたのにほぼ予定地点です!
 少し南へ行って南方美业の建物の対面の道へ左折東行。
 散髪屋がある。道は引市街。

▲1731,引市街の散髪屋。面白い雰囲気の店です。

引市街102-1号古井

ぐ井戸があった。「引市街102-1号古井」と揚州市人民政府のプレートがある。

清代,井栏为青石质,鼓形,体形较大,上口内径53厘米、外径78厘米,腹径为90厘米,高53厘米,内壁有绳槽。外腹壁雕刻麒麟、海龙王、游禽等图案四组,口沿及锦袱披巾式纹带上雕刻如意纹、缠枝花纹及辅助纹饰。井壁为青砖圈砌,井深5.8米。水质清澈,至今仍为周边居民使用。

▲1733ポロリと井戸が現れる。

──きちんと引用したのは下記HPからです。数ある揚州路地裏の井戸の中でも文化財的価値は高いらしい。
 確かに写真をよく見ると,「青石质」(ブルーストーン)の石質といい,周囲のレリーフ(麒麟・海龙王など四組の図柄)といい,縁の堀込といいえらく意匠に凝ってる。
 金持ちの井戸だったのかもしれないけれど,HPはそれを語らず,今も住民に使われているとだけある。
 どうやら最後の目的にした未踏の奥地に入ったらしい。歩を緩める。
※ 古井旅游指南/古井/扬州市广陵区/引市街102-1号

▲1736引市街。バイクに抜かれる路地

734,T字を右折。さらに,新仓巷へ左折東行。
 旧名「日仓巷」とプレート。──これは分かりやすい。どこかの国名を連想させる「日」の漢字を,文革の時に改字したのでしょう。

▲1740新仓巷への角だと思うけど,よく見たら凄いオバハン!真っ赤なコートに厚化粧……

地に鳩が飛び立つ。
 文化財表示「魏源故居」。やはり豪商の家屋跡。
 雄鶏一羽道を横切る。
「兴善寺」の看板。
 丁家湾へ右折北行。

▲1742新仓巷。古びた家屋の左右にランタン

破却された兴善寺と輝く光栄人家プレート

善寺」については,ネット上に記述の欠片があったので保存のため拾っておく。

原名興善庵,是古城凈修梵剎之一。始建于明朝萬歷年間,坐落舊城十巷,因歲月滄桑,屢遭破壞,幾乎毀滅。特別是文革浩劫……

 明万暦年間は1573~1620年。1616年建国,1644年に北京に遷都した清朝の編んだ「明史」に「明朝は万暦に滅ぶ」,つまり亡国の皇帝と評されたトップの時代です。
 西安の大興善寺と同系とすれば密教のはずですけど,清朝下では疎まれたのか「破壞」「毀滅」された挙げ句,文革で決定的に消滅させられたようです。──そこに,今になって文化財碑だけが立つ。
 どうもこの揚州,文革での「因習」施設の破壊度は群を抜いてるように見受けられます。

▲1742門に赤紙

と──家々の軒に時折貼られてる「光栄人家」という金に赤字のプレートは何を意味するんでしょう。
──これもはっきりとは記述がないけれど,この後の見聞からすると,どうも抗日戦,国共内戦を戦った老兵士の家族を誇るラベルと推測されます。
 彼らが多数出た地域なんでしょうか?

▲1747丁家湾。段々人気が濃くなってきた。

へ向かうにつれ,丁家湾は場末感を払拭し,下町の風情を醸してきました。
 この道のすぐ東は何園,その他庭園の密集エリア。西の迷路エリアともまた違う。明代新城の西側門前町,だったのではと想像します。

逢魔が時の二百メートル

▲1749丁家湾。何の由縁か白犬に導かれる。

闇迫る道を仔犬の背を追い進めば,ふいに,豪勢な花飾りの連なる道を通ってた。
 日本と色彩感覚が違うし,角松みたいな形だけれど,おそらく葬送の儀式でしょう。

▲1754お悔やみの道

地図を開くと驚くんですけど,新厄巷から北への丁家湾の道なんて,2百m程度の長さです。
 普通に歩けば2分。その間にこんなに色んなものに出会ってます。
 逢魔が時だったということでしょうか。

▲1755軒には洗面所,屋根からランタン

詩仙蘇りて唱う 青き蓮の巷

海老城のような生活感が路地に満ちた辺りでT字路にぶつかる。1756。
「四岸公所」とある建物。自治会館みたいなものか(嘘→巻末真相編参照)。
 そろそろ左折するか。西行,帰路につく。

▲1757。西への蘇唱街だと思う。

回通った蘇唱街でした。
 1801,青蓮巷へ右折してます。え?この名前は確か李白の仏教徒号──あ,ここは初回にも前回にも歩いたことがある。
 下の写真の菱形レリーフにそんな記述があるんですけど──なぜかこの場所はどの地図でも判然としません。

▲1801,黄昏の青莲巷

■真相編1:自治会館なんかじゃなかった四岸公所

 本編に「自治会館」と書いた後,ちくりと「四岸」という二字が気になり調べることにした。
 ──調べてよかった……。

四岸公所,在清代,丁家灣是鹽商的一處重要聚居地。按照清朝政府規定,湖南、湖北、江西、安徽四省的食鹽,均需從兩淮鹽區運出,故四省鹽商大量聚集於揚州。所謂「四岸公所」就是四省鹽商議事的地方。

 
※ 每日頭條/揚州周邊游:大武城巷,丁家灣,四岸公所,小盤谷
 まあ,非常に大きな意味では自治会館でした。
① 清代の丁家湾は,塩商人が集住する地区だった。──つまり,塩が日本の米に似た準貨幣だった時代の,ここはウォール街みたいな場所でした。
② なぜなら清朝政府は,湖南・湖北・江西・安徽四省の食塩は揚州の「両淮塩区」(兩淮鹽區)が分配していたからである。
③ 四省の塩商人が,この分配を協議した場所が「四岸公所」だった。──つまり証券取引所みたいな場所だったわけです。

(1)「両淮塩区」とは何か?

 おそらく塩の安定供給を目的としたものでしょう。元代に作られた「塩運使」という官職があるんだそうです。通称「運司」(ウ◯チではない)の管轄区域が「塩区」です。

鹽運使,元代始置,設於產鹽各省區,而兩淮、兩浙、福建等產鹽大省則是此職位中的佼佼者。明朝和清朝基本全部沿襲元朝的設置,其全稱為「都轉鹽運使司鹽運使」,簡稱「運司」

「両淮塩区」はいわゆる「淮南」と「淮北」,つまり淮水沿線を指す。「両浙」という管轄区域に隣接してることから,要するに上記四省を指す広範な地域です。
 そしてこの地域こそ,今回の旅行で歩く淮水流域です。
※ 每日頭條/兩淮鹽運使這個肥缺,是多大的官,兩淮是哪裡

(2) 庭園「小盤谷」という不思議な呼び名

 以下は妄想です。
 上記サイトで「小盤谷」という名前が出て来てハッとしたのです。
 今回の歩きでは見過ごしてますけど,実は揚州の何園や个園に並ぶ名園と評されてるらしい。

小盤谷在丁家灣大樹巷內,系清代光緒三十年(1904年)兩江總督周馥購得徐氏舊園重修而成。園內假山峰危路險,蒼岩探水,溪谷幽深,石徑盤旋,故而得名「小盤谷」

「小盤谷」名は「石徑盤旋」──石畳の道がぐるぐる周っている,という情景に由来する,とどの記述にもあります。
 だからやや勇気が要るけれど──現在「盤谷」と言えば,タイ国の首都バンコクのことです。
▲扬州「小盘谷」園内風景
※ 每日头条/扬州小盘谷,是江南小园林的杰出代表,曾藏于城中人不识
 通り過ぎてるし,他の庭園も見てないから自信も何もボロボロですけど……ワシにはこの園内風景が,「熱帯」を模写しているように感じられてならない。
 ラーマ1世によるトンブリーからチャオプラヤー川対岸のバンコクへの首都移転は1782年。対して中国は,必ずしも対外交易に積極的でなかった清朝の塩経済統制下です。水域を往来してた商人たちが,公言は憚りながらも,既に多数の華僑が移り住んだ新興の熱帯の王国を夢見て,「小バンコク」を箱庭化するというのはあり得ないことではないと思うのですが──以上,妄想でした。

■真相編2:揚州「十大十小」に秘められた謎

 この謎の四文字とは!?
 驚くべきことに,揚州には「大」「小」の組になった各十本の巷(路地)があるのである!
 以下二十の道の名前を,是非,御精読頂きたい。

3 扬州巷名的“十大十小”…
十大十小分别是
:大井巷、 小井巷
;大双巷、 小双巷
;大草巷、 小草巷
;大灯笼巷、小灯笼巷
;大总门巷、小总门巷
;大茅厕巷、小茅厕巷
;大流芳巷、小流芳巷
;大羊肉巷、小羊肉巷
;大可以巷、小可以巷
;大武城巷、小武城巷。

※ 前掲 每日头条/关于扬州的这10个小秘密,知道一半就算老扬州了!
 以上で每日头条の記事は,解説も何もなく終わっている。
 え?!ええ~???
それがどうした?

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