/※5438’※/Range(揚州).Activate Category:上海謀略編 Phaze:最後は小塞淮河

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)
※小秦淮河前後は近似

湾子街-犁头街-達士巷

头街という道(→GM.)へ青蓮巷から出てきました。1804。
 戸惑いましたけど右折西行すると……ああ,広陵路,どうやら国慶路との十字路付近です。
──この犁头街は,当時も広陵路と渡江路をショートカットするだけの道と見ていました。でも地図から少し目を放すと,湾子街と達士巷の間を繋ぐ斜道の一部だということが容易に推測できます。

▲1806犁头街。斜道の一部を成す短い道。

富春茶社,安吉白茶,刀剪老店

時を回ってる。
 国慶路を北行することにした。この辺りは老舗の店が多いようです。その由縁は分かりませんでしたけど,こんな点心店まであるらしい。
※ アジアグルメ図鑑/揚州、富春茶社の揚州点心
 ワシはと言えば,何度か見かけてた安吉白茶をさらに購入し,ホクホク顔になってます。

▲1819こちらはやはり老舗の刃物屋さんらしい。

西营巷,益人巷,小虹橋

市っぽくなってきた辺りから西へ入ると──西营小井巷。昼に見た東营と対になる地名です。
 しゃっくりぶり返す。
 この道はどういう道だったのか,シンプルな行き止まりでした。東行して戻って,一度,西营巷を南行。益人巷を西に入り直す。
 1829,T字。南柳巷を右折北行。
 ここから凌氏住宅前の小虹橋という道に左折して入ってみる。
 下ってる。あれ?この感じはもしや──

▲1831川辺からの階段を,途中から見上げる

た~!小秦淮河東岸です!1832。
 目の前にはまさに小虹橋。路面は整備され構造も凝ってはいないけれど,生活感のある橋です。

人もなき小秦淮河 紫気の充つ

▲1834小虹橋にて

西岸沿いには道がない。岸から少し内側の路地を抜ける。
 へえ?ここ公設市場になってるんだ。時間が遅いから静まりかえってますけど,台の数は三十はある。
 そこを抜けると──北側の橋に出た。河原へ降りる。

▲1841夕暮の妖気濃い川辺の歩道

秦淮河」の看板が唯一立つ,文昌路と水路の交点へ来た。
 前回,バスから降りて歩き始めた場所です。
 この,繁華街高架下に忽然と,しかもさも自明な顔つきで現れる原風景。この異次元の交差感覚こそが,揚州です。
 だから最後にここだけは来たかった。

▲1844「小塞淮河」看板

揚州タイムズスクエア

時が近づいてます。
 1844,スタバ前から文昌路を素直に西へ。すると前方に迫ってきたのは──

▲1856ライトアップされた文昌閣

域中心のこの建物,現代中国らしくギラギラになってます。げんなりするのは勝手ですけど,これもまさしく揚州。
 文昌閣の交差点を南西角へ。紫藤路へ入る。この道は初めてでしたけど……揚州時代広場 YANGZHOU TIMES SQUAREというモール。タイムズスクエアとは大きく出たな!
 でもトイレ借りただけで宿への道につきました。

離脱前夜の81℃

▲2008宿にて揚州新茶でスイーツ

夜と同じく宿の隣の81℃(香港のカフェチェーン)で美式珈琲。1930。
 ほぼ歩き尽くせたと思う。掘り方も最善だった。新しい道はかなり歩けた。重複も最小限だったと思う。
 明日は朝イチで淮安を目指そう。出も着もかなり不透明だし,着く場所によっては歩くかもしれない。今回で一番マイナーな町…だから労働節に選んでるんだけどね。
 今日,日本から持ってきてた「うるま」を吸い付くし,中国産の「南京」に移りました。

▲2024ここのジャムのロールって…

江路の例のスイーツ小店の店名を,この日,ようやくメモできてます。
2025达味坊 渡江路緑豆餅 質量重优信誉永恒
干しブドウ入りオレンジクリームロール250
 どっしり重い感じのオレンジジャムが,ケーキというより中華蒸しパンに近いロールに巻かれたこの食感。やっぱりここしかないんだよなあ。

■予習:淮安について

──この夜に作ってる予習メモを,そのまま以下に残しておきます。
※ 百度百科/淮安 huai2an1
「与扬州等为淮扬菜的主要发源地,是江淮流域古文化发源地之一」
「淮扬菜,始于春秋,兴于隋唐,盛于明清,素有“佳味之美”之誉。」
「淮安茶馓是享誉海内外的中华美食名点,其历史悠久,文化底蕴深厚。据专家考证,屈原在《楚辞》中写的“粔籹”就是最早的馓子,汉代称“环饼”。」
「秦时置县,境内有著名的“青莲岗文化”遗址。曾是漕运枢纽、盐运要冲,驻有漕运总督府、江南河道总督府。历史上与苏州、杭州、扬州并称运河沿线的“四大都市”,有“中国运河之都”的美誉。中国大运河淮安段入选世界遗产名录。」
「魏晋南北朝时期,市境长期处于战争和对峙的前沿,建置紊乱,隶属多变,今市区码头镇、淮城镇其时均为军事要塞,多设州郡治所,为边帅驻节之地。长年战乱带来的是“江淮之间,赤地千里”的凄惨景象,经济和文化遭到严重破坏。南齐永明七年(489),割直渎破釜以东,淮阴镇下流杂100户置淮安县,“淮安”之名始见。」
「在淮安古城区,还留存着大量的青砖黛瓦的民居建筑,具有典型南方特征。」
「2001年,江苏省政府实施“三淮一体”战略,地级淮阴市更名为淮安市,县级淮安市更名为淮安市楚州区,淮阴县更名为淮安市淮阴区。
2012年,淮安市楚州区更名为淮安区。」

▲百度百科の町紹介ページには「数说淮安」とかいうチャートが載ってて面白い。淮安は交通の便は悪いけど医療は最新,という典型的な中級都市らしい。

※ 百度百科/吴承恩
小说《西游记》作者、明代小说家
「【一轮明月满乾坤】
十里长亭无客走,九重天上现星辰。
八河船只皆收港,七千州县尽关门。
六宫五府回官宰,四海三江罢钓纶。
两座楼头钟鼓响,一轮明月满乾坤。」

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