GM.(経路)
黄河故道の北へ
二時間,宿でダウンしてから,1442再出撃。
Xが示す北を目指す。
淮海路を西へ歩けば,日差しが厳しくなってきた。Tシャツ姿も結構多い。こちらも上着は宿に置いてきた。
1455。供销大厦から612路で怡康花園へ。百度の示すとおりのルートです。
右折北行。中山北路。徐州第一人民医院。2駅分繁華街続く。
ICBC。ここから西はマンション街に転ず。西から夹河街が交わる。坂が登りになった。いやすぐ下りに?──既に見た通り,この夹河街が徐州三角老城の西斜辺です。城壁ライン,つまり旧堤防域を越えたわけです。
ああ橋だ。黄河故道。バス停・北路口。うーん見かけはただのマンション街になったけどなあ。
高架をくぐる,というかこれはトンネルか?それを北へ出るとマンションが尽き5階建て位のアパートになった。
左折西行。二環北路。バス停は目的地一つ前の九竜湖公園。
右折。九竜湖西路。見る限り左右ともアパートばかり。1511,下車。東は工事区画で閉鎖されてる。やはり地鉄工事。
えっと?この西路を北行だな?
行き止まりだったら「やっぱりね」
真北に小山が聳えてる。
1523,馬揚湖路。これのはず。右折。
北へ一本目。征収の文字は見えるけどこれ,ではないはず。1529,二本目,これだろう,左折北行。五金杂品とある看板の前。
大新庄巷と表示あり。
道にくねりが出てきた……ところで,公衆トイレを借りる。下の写真はその劇写なので,お食事中のかたは→ジャンプしてくださいね。
いやあ,最近の中国らしからぬ極めて正統的なニイハオです。ただ,90年以前の本格的なニイハオとは,さらにこの壁がないものを言う。
北への道が途切れ,左に折れる。
1539。しばらく悩んだのを覚えてます。進むなら,左折西行…しかないんだけど……。
GM.,百度とも,この道から北へは抜けれない表示になってます。西への道も曲がりがあって,見透かしてみても出口は窺えない。
つまり,北へ抜けれそうな情報は皆無。行き止まりだったら「やっぱりね」という状況です。
▲1537大新庄巷……かどうかもはや分からない西への道を見透かす。
迷ってた時の記憶が最も強い旅行のひとコマになってることは,よくある。
後から思うと,この区画,この西行の道が一番印象深かった。
くう~っと来るT字の店
▲1540忘れられたような安楽椅子。西日を背に少年が駆ける。
……という図なんでしょう,上の写真は。
「少年」の影が黒過ぎて,何か霊的なものを撮ってる可能性もあるけど,記憶する限り少年でした。多分。
道なりに行く,というか脇道はないので西へひたすら進むと…ふう,出られた。1544。
この出口の南北道の雰囲気もいい。上のT字正面の店舗なんか,くう~っと来る。購入するには勇気が要るけどね。
それにしても……どういうエリアだったのかどうも不鮮明です。
再開発の収用地,というほど荒れてもいないけれど,活気のある下町というわけでもない。
北側には橋。その手前で,道にブロックが置かれてわざわざ細くしてある。幅からして車両を入れないようにしてあるようですけど,何故?
三角城に北の壕はない
河というか壕を渡って右折東行。
──今地図を見ると荊馬河(荊马河)とある。やはり壕ではなく川だろうか。
北正面に作り物の楼閣。看板に「山南小鎮」。その後ろは新しい肌色のマンションだらけ。──この「花園」は百度に載ってて,徐州ではまあ一流のマンションらしい。
※ 百度百科/徐州滨河花园
不思議なのは対する南側です。
アパートのような羅列。さっきの西行区画の北側です。やはり路地は全然ない。家並みが一種の壁を作ってる。
川端は整備された歩道があるのに,それだから歩く人の姿はない。なのに釣り人はやたら多い。やなを持った本格派までいるぞ?
けれどその一角に──
一ヶ所だけ,学校らしき建物の壁の崩れた箇所に煉瓦っぽい構造が剥き出しになってる。
ただそれ以外は,収用地っぽい。壕側壁にも「征収」の文字が見える。
「これが北壕ならば南側に城壁遺構があったはずだけど,その痕跡は一切見つからない。」──と見当ちがいなメモを残してます。三角城に北の壕はない,あえて言えば廃黄河だったのですから。
バス停「鼓楼生态園(南)」。いい路線はない。やはり歩こう。
右折南行,壕を渡る。1613,府学路。
これまた見事に何もない通りです。東に好人文化園。西に徐州第二中学──と公共施設が並ぶということは,政策的な大規模再開発っぽい。
1619,馬揚湖路に戻った。左折東行。
家族が一人軍隊に入れば
横断幕に「扫黒除悪 扶正祛邪 創造良好营商环境」(暗黒を撤廃し,正しきを助け邪を断ち切り,良好な商業環境を創造しよう)
最終ビジョンが商業環境というのが中国っぽい。にしてもここでの暗黒社会って,再開発や老街撤去の方便なんでしょうか,それとも本音の目的なんでしょうか。どうも当局の真意が見えにくい。
▲1626アパートの標語「扫黒除惡」──黒社会の撲滅ということでしょう。
1629,中山路の交差点をそのまま東行。祥和路に入る。
街路はようやく下町じみた落ち着きを見せる。米線の店が目立つように感じる。
標語「一人参軍 全家光栄」。中国流の「One for all,all for one」です。──家族が一人軍隊に入れば,家族全体が光栄を獲得する。
橋。
1635。荊馬河からは随分離れてる。手前の道に徐運新河西路とあるから徐運新河が水路の名前。「新」というのはおそらく人工河の意でしょう。
橋には徐新橋とある。
さてこの辺です。本日3箇所目のXは。
■未完:廃黄河と京杭大運河は徐州で邂逅している……はずなのだ。
釣り人には得難いスポットとなっている徐州北辺エリア※ですけど,ここの水域って結局何なのか?
※ 毎日头条/徐州野釣自留地!今天拿出來分享,超全,值得珍藏! ~徐州の釣りどころガイド
山から海へ流れる川ばかりの日本人の発想では,ちょっと理解しかねる構成になってるようです。
地図で見ると,この時歩いた荊馬河と徐運新河はこういう位置関係になってます。
荊馬河が概ね東西に流れる。これに直行して徐運新河が南の九龍湖に流れ込みます。
その南の流れは,百度地図では書かれてない。ただGM.では西への流れがある。
北へはずっと行くと,微山湖という大きな湖に交わってるように見える。けれどよく見ると,その手前で屈曲してる大きな水流に合わさってる。この流れが,しばらく分からなかったけれど京杭大運河らしい。
結局──
徐州の北郊には河幅が100メートルにも達する大運河が流れ、支流が市内の迎春橋のたもとで廃黄河と合流している。
※ 集広舎/徐州──廃黄河と京杭大運河の邂逅
ということになってる……はずなんである。
でも南側をどう辿っても,廃黄河までたどり着けない。
だから,徐運新河がどういう目的で……つまり大運河とどこを繋げるために引かれたのか推量し難い。
「迎春橋」というのも場所が分からない。
うーん。
というところまでご提供するので,土地勘のある方,どう繋がってるのか調べてやってくださいまし……。
▲昔の絵葉書らしい「徐州迎春橋」