GM.(経路)
T字とY字を勘で抜ける
徐新橋というのが,徐運新河を渡るこの橋の名らしい。
1635。
探して来てたXはこの地点から東南のブロックのはずだけど……さてどこから入れるのか?
1641,橋東の商店の軒先に溜まってる人だかりがあった。その向こうに道を見つける。
▲1644すれ違う。しかも二人乗りと三輪車,アジア名物両巨頭の!
南行,ブロック内へ。
──間違いない雰囲気です。それと関わるかどうか知らんけど家屋に「九州国泰」の標語多し。
T字。左折東行。朱庄南巷との住所表示を認む。
さらにY字。南東を選ぶ。もちろん根拠などない。
▲1646追い抜かれる。どオレンジのスーツが夕陽に映える,というかその色マジか?
凄い。
ここは立ち退き対象でなくて,堂々とした生活通りです。繁華街ではないけれど,人の往来は絶えない。商店は少ないけれど,ベッドタウンでもない。
余りにも美形,じゃなくて美景が連続する。
Y字2つを折れてからは夢中で四方を見てました。出口までメモすらしてません。
▲1649路地をさらに覗く。天は蒼に輝くも地面は暗転しつつあり。
路地ばっかり撮ってます。
この最初の直線,それ自体はよくある下町の風景なんだけど,覗く度に路地の味に驚いてた記憶です。
この構造は,基本的には梯子状の社区だと思うけれど──
逆光に消え入る影三つ
▲1650なぜか赤い衣の縁取る道。主義主張の文字はないから慶事と思われる。
止めてほしい。
こういう噛めば汁の出そうな路地裏に,そんなさりげない赤布を渡してしまうと,カッコ良すぎて降参なので,止めてほしい。
上の路地だけははっきりと記憶に残ってます。
逆光でスマホのカメラじゃ撮れる自信がなかったけど,この親子三人の後ろ姿だけは忘れていない。
この櫛状の路地をくまなく歩く気は失せてました。どうも聖域っぽく勝手に感じてしまって……
これが本道です。
ブロック内を斜めに貫いてるから抜け道にもなってるんだろうか?結構交通量は多かった。
道中央には側溝が多いようです。でもその構造は古そう。
右手の蔦茂る壁の向こうが,ほぼ遺跡のように見えてますけど夕陽のせいだったんでしょうか。
ぶっきらぼうなサインポール
この箇所で道は折れてます。Z字に折れたように覚えてますけど,地図上では単に方向を変えて続いてます。
いずれにせよ,状況から見て上の赤い家屋を避けて道がついてるように見えます。
何の建物なんでしょうか。
上の写真の左手は明らかに理容室。でもえらくぶっきらぼうで,好い。
屈曲部から先で,やや商店が多く社区の中心っぽくなってくるようです。
スーパーじゃない超市
下の写真の「超市」など,昔の便利商店に近い風情をとどめてます。
なのにコテコテの共産光景にも見えないのが不思議です。
出口が近づくと,そうだ大都市にいたんだった,と思い起こさせるように高層ビルが顔を出しました。
下の写真の手前は,日本でいう工務店のような店でしょうか。
煤港路までの二百三十メートル
1703,出口が見えたところで一服。
「徐州市鼓楼区環城街道朱庄社区居民委員会」──と長い名前の自治会。「不忘初心」は読んでの通り「初心忘るべからず」ですけど,今の復古的な共産主義はこれに「牢記使命」(使命をしっかり思い出せ)と続きます。
きっちり転記しとけばよかった。
2000年の碑文「朱庄村治沟修路碑銘」が車道出口にひっそり立ってました。ここから東の車道までの「二百三十米長」を「全村上下响应」(全村あげての賛同)の元に「出銭出力出智」(金と労働力と知恵を絞る)の末に造り上げた,という文面です。どうやら政治的に強い社区じゃないけれど結束と郷土愛はあるエリアらしい。
相当ググったけれどここの情報はありません。
出た道は煤港路。荷揚か水運の町を思わせる地名です。1716,南行。
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