/※5467’※/Range(徐州).Activate Category:上海謀略編 Phaze:中国人寿站

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)
※ 虹橋電子市場(文化宮)下車後

自学·议论·引导(自習→議論→指導)

▲1753李庾南教育思想実験校

験」すんなよ,だから!
 と,この最近中国各都市に増殖する学校名を見ると思いはするんだけど,この校名の冠「李庾南」は超有名な数学教師みたい。
 2019年9月にはとうとう国の「人力资源社会保障部」が「全国模範教师」称号を贈ってる。全人代にも出席。──日本にもスーパー教師はいるけれど,タレント化することはあっても政治家にはならない。
 具体の教授法はよく分からないけど「自学·议论·引导」(自習→議論→指導)という標語を掲げてるようです。
李庾南实验学校
※ 百度百科/李庾南 (いずれも中国語)

▲1757沛昙狗肉,煤港路。よく見ると,手前のオバハンを中心に好い構図になっとる。

北二巷から車道へ。
 1759,バス停堤北から604路で南行。
 凄さには圧倒されるんだけど,どこかまとまりのない町の印象です。全然空振りじゃないんだけど,とんでもない方向に打球が飛んでっちゃう。

みもく しのか?みもくし のか?

▲1812「みもくしのか」?……????

黄河をバスが渡った。時計は18時を回ってました。
 1810,虹橋電子市場(文化宮)バス停下車。淮海路に帰りました。食い物を物色して西行,苏宁易购の地下へ入ってみるけれど,外地のものばかりです。この徐州中心街は妙に地元に対し冷淡な手触り。

▲1820交差点残照照らすビルの窓

青唐辛子とホルモンは凶器

国路まで南下して諦める。1859,中国人寿(保険会社)バス停から徐州站へ向かうことにする。路線は68路。
 建国路の北にも文化街が見え隠れしてました。興味ないけど。
 対する南はやはり工事中。
 ただ,この南北の道の丸まり方はすごくいい。
 また黄河を渡る。こっちの橋から行ってもそう味わいはなさそう。あと,公婆餅という看板を何度か見る
 あれいい道?!青年路。
 どうも下世話な賑わいとしては淮海路より駅界隈の方が感じがいいみたいです。
 昨日夜のところ以外にも快餐はあるみたい。青年路にもあるようです。なので別の,あえてさらにやさぐれてる方へ入ってみると──いや,なかなか激しかった。
1916欣客来快餐
空豆の肉丝の辛炒
ホルモンと青唐辛子のさらに辛炒
白米飯550

▲1924駅前自助

豆のは,ピリ辛に大ぶりの唐辛子がまぶしてある。徐州の味だから直球的で,貴州のような複合した辛味ではない。辛いことはかなり辛いけれど受け止めやすい。
 香油ともちろん八角が効いてるようで旨味もたっぷりしてて,辛さは苦にならない。
 凶器のようだったのはもう一品のホルモンでして──

▲青唐辛子とホルモン,どアップ

唐辛子の,おそらく長沙にあったあの漬け唐辛子形態の奴だと思う。ジンジン来る辛さ。
 ところで,ホルモンが好きである。そしてこのホルモンは,困ったことに生々しくも旨味を持ってましてまさにタマらないホルモンだったんである。
 美味い!──辛味というか痺れが臨界値にギリギリに来てるのに止められない旨さです。止めてくれえ,という辛さと旨さ!
 これもおそらく,ホルモンの素材が,というより八角その他の徐州料理のマジックが効いてる旨さだったんだと思います。
 完食したけど一時間も経ずして腹にすっかりキてしまいまして……帰ってすぐトイレに駆け込みました。

闇に舞う百人のオバハン

▲廃黄河の夜景・南から

年橋から黄河を越えて帰る。
 宿対面の公園では毎夜,照明も乏しい真っ暗な中で踊り狂ってる百人ほどの集団がいる。怖くて近寄れない。
 公園の草地に「小草在成長 请您勿打扰」(芝生が成長中です。皆さん打たないで)との中国人らしからぬ表示。

▲2023夜の公園でおばはんダンス

宿で一考。最後まで迷ってきた最終的の宿泊を,上海にしました。蕪湖にとする手もあったんですけど……。,
 あれだけ歩いたはずの上海老城,今日見つけた,百度地図の衛星写真によるX手法で見ると,まだまだ穴がある。今回こそ徹底的に,容赦なく老城を攻めたいと思いまして。

■小レポ:漢帝を育てた沛県狗肉の再浮上▼▲

 この日に見かけた「沛县(県)狗肉」と同じく,貴州でも沢山見かけた犬肉店は,どこも最近のものではなく少なくとも一世代は経ている感じです。
 ただ,これは韓国でも日本の一部でもそうですけど──欧米の動物愛護観念からの攻撃で,どうも日陰者になってる。
──えっと,この辺でワシの立ち位置を先に明らかにしとくけど,韓国釜山市庁でワンちゃんの汁は一杯だけ頂きまして,旨かったから次回があれば食べてもいいけど,そう脅迫的なリピート意欲もない,という中立(?)スタンスです。

① 愛狗vs愛喫狗 戦争

 日本以上には米国化が進んでる韓国では,かの偏見の担い手は直接的に外国人ですけど,中国では誰なのか?
 意外なことに,その担い手は内国人。それも欧米の思想としての動物愛護じゃなく,日本の犬・猫好きを5乗した位の「愛狗」「愛猫」人がいる。
 こいつらが,狗肉のお祭りをする地域に攻めてくるらしい。広西壮族自治区の玉林ではそのバトルが恒例化しつつあるという。

日本語では「玉林犬肉祭り」と言われますが、正式には「玉林荔枝狗肉節(玉林荔枝狗肉节)」(yu4 lin2 li4 zhi1 gou3 rou4 jie2/ユーリンリージーゴウロウジエ)と言います。

「愛狗(アイゴウ)」の人たちが、玉林へ行き「愛喫狗(爱吃狗)」(ai4 chi1 gou3/アイチーゴウ)の人たちとバトルを繰り広げるというのが、すっかり風物詩となってしまいました。

※ 芙蓉峰の如是我聞/いよいよ犬肉祭りが始まります

② 漢族本丸・沛県の台頭

 広西だけの局所的な寄行としての「愛喫狗」なら,漢族の共通理解にもなりうると「愛狗」たちは思っていたのでしょうか?
 確かに貴州も地域的に少数民族の食文化,と言えなくもない。でもそもそも,漢族の食文化は苗族あるいは古越族の影響下にある。
 それとの因果はともかく,徐州市沛県が玉林の流れに同調して(おそらくは伝統的にマイナーに行ってきた)狗肉節を玉林並みに毎年実施に名乗りを挙げました。
 今,中国での愛狗vs愛喫狗戦線は,後者の優勢に傾きつつあります(コロナに関わる蝙蝠食原因説でやや微妙になってきたかもですけど)。
 そのうち,全国狗肉食都市シンポジウムとかが開かれる日が来るのかもしれません。

広東、広西の地域では、昔から、夏至(xia4 zhi4/シアジー)の日には、イヌの肉を食べる、という風習があったようです。
ちなみに、成都(cheng2 du1/チョンドゥ)などでは、冬至(dong1 zhi4/ドンジー)の日には羊肉(yang2 rou4/ヤンロウ)を食べる風習があります。 

沛県(pei4 xian4/ペイシェン)の人たちが玉林の「狗肉節」を支持すると表明しました。
実は、沛県でも「狗肉節」を実施しているそうです。
ただ、従来は2年に1度だったものを、今年から毎年行うと決めたそうです。

沛県の犬肉祭りは、正式名称を「沛県樊噲狗肉節(沛县樊哙狗肉节)」(pei4 xian4 fan2 kuai4 gou3 rou4 jie2/ペイシェンファンクアイゴウロウジエ)と言うのだそうです。

※ 芙蓉峰の如是我聞/またまた、犬肉祭りの話です 2014/06

③ 愛狗にとって沛県の狗肉食がなぜ脅威なのか?

 沛県の狗肉都市宣言のインパクトが強いのは,それが樊噲(簡体字:樊哙)に由来しているからです。
 漢創始者・劉邦の将軍です。鴻門の会で劉邦を狙おうと項伯(項羽の叔父)が剣舞を舞った時,その対手に立って劉邦を守った人物です。
 この人は,劉邦と同じ沛県の出身で,狗肉屋あるいは屠殺業者だったらしい。始皇帝実母・趙姫と樊於期の隠し子というのは,当時の身分的な偏見から,後から付ける必要が生じた物語でしょう。
 職業と関係なく,単に地元の裏世界でパワフルだったのかもしれませんけど,劉邦が狗肉のツケを払わないからトラブルになって,それが転じて義兄弟化した勢いで反秦闘争に共に参加した,という伝説は最もリアルな印象のものとして伝わってます。
──こんな話を持ち出さなくても,中国に野犬がいないのは,いてもすぐ誰かが食べちゃうからだとか,1990年代には常識でした。まず間違いなく,漢族にとっても狗肉食は一般的な食文化だったはずです。
 逆にそれを「こんな可愛いのに」とか言って攻撃する中国人が生まれて来たことの方が,実はワシには衝撃的なのです。
※ 中国歴史小説「李信伝異聞」/樊噲(はんかい)の肉切り包丁
※ 菜单导航/狗肉朋友是怎么来的?汉高祖刘邦称帝前的一段

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