どうついているか分からぬ小骨魚
西貢大街の南側の道沿いにぽつりと,でも盛況そうな食堂を見つける。
1109高記餐廳
午餐1.梅菜蒸鲩魚450
このメニューはあちこちの茶店にあった。名物,というか扱いやすいんだろうか。
ぷりぷりです。白身魚で癖がない。
汁はXO醤に針生姜,万願寺唐辛子をまぶしたようなもの。初めはシンプルに見えたけれど,香油か何かの効果でしょうか,何とも味わい深い。
難点は,魚の骨がただ者ではなく取りにくい。どう付いてるのか不思議なほど,不規則に骨が出て来る。
ただ魚の旨さが最後まで変わらないので,ほぼ夢中で食らいついてました。
雑魚の素揚げがメチャクチャだ
天后側の商店街入口へ戻ると,前回の店の席がまだ開いてました。迷わず昼食後の昼食に突入。
──それって四食目とも言うんじゃないか?
1136西湖餐廳
午餐A.★★魚反450
「魚」字が読みにくくて「この漢字は?」と聞き込んでたら目だってしまった。
小魚の素揚げしたようなものでした。ただこれが──
滅茶苦茶だ!
めちゃくちゃな旨さです!
さっきの鲩魚とは全く異なり,ジャコラー的な旨さです。頭はかぶりついて食べれるけれど,まずそこからのジャリジャリ感が堪らない。
身も程よい。白身魚だけど塩がよく効いてる。
少し干してあるものだろうか?渋い塩辛味が素晴らしい磯香で後味に残ってくる。
西貢公園の廃墟
西湖を出ると対面の門と,そこから登る小道に気付きました。
割と急です。上がってみるか。
西貢公園 Sai Kung Parkとある看板。高台の公園への入口らしい。
少し上に西貢公立学校と書かれた廃墟。朽ちた門には西貢区郷事委員会とある。
古い祭壇。社っぽくはないから家墓だろうか。
けれど,この位置は──天后の南西隣,老街の西隣の高台です。雰囲気的にも何らかの聖地に見える。あるいは湾の奥へ入る船舶の見張り台のような場所です。
広東語の口喧嘩は午睡のメロディー
宜宜春街北へ戻る。1217。
対面から路地へ
パーキングへ出た。空模様が怪しい。荒天らしい。スタバで休憩。1223。
にやけたサングラスの白人が結構目立つ。少なくとも半分は住んでるか長期滞在してる風情です。どこにいる人たちだろう?
空が晴天に戻った。
「I♥️Macau」Tシャツの白人が闊歩。ここでその文字は……ケンカ売っとんの?
1255,坑口站行きミニバスに乗る。すぐ発車らしい。9.7HK$。
中心部との人の往来のメジャーは,どうやら圧倒的にこっちらしい。
バス溜まりの向かいで歌ってる男たちがいる。と思ったら,どうやらケンカしとるみたい。広東語九声が声高になると,イタリアのオペラみたいにしか聞こえなくなるんである。
天がまたギラつき始めた。
■メモ:広州への風待ち港
西貢については,ほとんど補足マターがない。ただ,後に見つけたこの記述だけを付記しておきます。
在明朝《嗚大記》中,糧船溝被稲為龍船湾,清代該虞設有龍船湾汎。後期因成為運送糧食至珠江口、廣州、油頭、油尾的中輔姑,因而命名為「糧船湾」。
※ 香港非物質文化遺產資料庫 – 西貢糧船灣天后誕
糧船湾という場所は,現・西貢中心集落から湾を挟んで7kmほど南東。ここで何をしていたか,の記述が難しい漢字でよく分からないけれど,広州方面への中継点になっていたらしい。
このサイトが続ける本論の記述によると,3月下旬の天后誕に糧船湾の天后宮神体は海を巡行し,この時はその船の前を他の船が横切ることが許されないという。
この時の旅行では想像してなかったイメージでしたけれど──西貢は湾,つまり海域なのです。
半島と島嶼に取り巻かれた穏やかな海は,それ自体が世界です。西貢の集落は陸上民から見た「西貢」であって,海民から見れば現・西貢と糧船湾は一繋がりの世界。この湾を取り巻く小規模な集落群の全体,あるいはそれらの海上ネットワークこそが本来の「西貢」なのかもしれないのです。
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