目録
地図なくば勘で歩けと天も謂ひ
西貢のギラつく陽光の下,萬年街へと北西行。
西貢の老街は詳しいマップがあまりない。小さい町のはずだから,前回の勘だけで歩を進めてます。
1024,沙咀街へ左折南行…いやまだ早い気がする。そのまままっすぐ北西行しよう。
町は長閑な下町の風情。
西贡墟天后古廟
左折したのは宜春街だったのだと思う。南西行。
1032,西貢新村とある門の跡。どっちだろう?
西側に協天大帝・天古廟后と書かれた社。
半年後の自分から考えると驚くべきことに,この時,その社は通り過ぎてます。
西贡墟天后古廟と呼ばれる寺院です。1916(民国5)年創建と後掲維基にある。書き方からして沖縄の腰当のような,集落の最基部に当たるパティオに思えます。
「这座庙宇不仅是西贡区的宗教中心,更是地区政治、经济、乡事、教育及医疗的发祥地。」
※ 維基百科/西贡墟天后古庙及协天宫
侵入を躊躇わす商店街
東南側,社に向かって左手に回ると,商店街のようなアーケード通りが南へ延びてる。暗く細い通りです。
南側が老街ということははっきりしてるのに,どうも自信を持てる侵入路が見つからない。
それで少し辺りを徘徊した時の写真が上のものだと記憶する。でもピンとこない。
第一印象は,最初の暗い,遠くからは奥まで続くように見えない商店街をやはり指す。分からんけど入るか?
1035。
▲短いアーケード商店街の店頭にて。左手の肌色の雪崩みたいなのが絵にはなってるけれど,これ何だ?
と,一歩踏み込むまでは全く確証なかったんだけど……入口左手の店は西湖餐廳?ここ,前回食べた店だわ!
だとすると?この道はかなり奥まで辿れたはずです。でも目の前の道は,袋小路にしか見えない。
トーテムポールみたいな
出れた!ホントにT字路になってました。
アーケードはすぐに途絶えて。東西方向の西貢正街となる。
とりあえず右折西行。なぜか白人が通る。
が,これも途絶えてT字。もちろん見る地図はない。一つ東の通りが西貢大街。最初のT字からこれへ出て,一度北へ戻ることに。
この写真は……何を撮っとるんだろう?
どこからどう増築したら,こう各階とも違うテイストで,こんなトーテムポールみたいな家屋になる?
博多っ子なら飾り山笠と勘違いするぞ?
大街の大街たる由縁
全くの勘頼みだったけど,とにかく核心地に着いてました。
ここへ来たかった。
西貢の老街です。
その西貢大街の北側突き当たりにあった次の社が,ひどく脳裏に焼き付いてます。
苔むした小さな廟。「大王神恩」とある。この後ろで大街は途切れる。
どう見ても大きく広くはない「大街」が「大街」たる由縁は,この祠でしょう。参道である。おそらくは湾の最奥部から集落への中間点,つまり結界に見える。
徳隆前街と西貢大街のT字
東へ右折。徳隆前街とある。
「小屋 Le petite home」とあるハイセンスな洋服屋。
細いけれど老街の生活の中心,という空気が満ちる。
何の情報もありません。
ただ純粋に感覚として,この徳隆前街と西貢大街のT字が,西貢老街の骨だと思う。
そこから北の新市街への裏出口が,そちらの方に店が集まって商店街になったのでしょう。
徳隆路を北東に辿ると,この道もまた唐突な終わり方で車道に出ました。
1100,どうやら湾の側に折れて続いてきた宜春街らしい。対面に西貢街市という,これは公設市場だな。二階構造。入ってみたけれどフードコートはない。
要するに普通の香港です。細道を抜ければ別世界,このモザイクさがたまらなく西貢です。
■謎列記:「大王神恩」の祠について
「神恩」は賛辞で神名ではないでしょうから,この神様がどなたを指すのか分からない。
もちろんネットでのヒットもほぼない。でも,香港北東縁を細かく回ってるらしい旅行者のサイトにこんな記述を見つけました。
離別黃竹洋村(尚餘一居民暫住),村前社稷仍現魅力,走近細看,「大王神恩」、「大吉」貼紙仍在,正中神碑卻是「社稷保民大王」,有別於一般土地或福德正神。
※ 頭條日報 頭條網 – 旅遊/黃竹洋 全覽三尾腹地
──なお1人が住み続けている黃竹洋村に別れを告げたが,村の前の社に魅力を感じて歩いて近づき,細かく見れば,未だ「大王神恩」「大吉」と貼紙がある。神の碑には「社稷保民大王」とあり,一般的な土地神(公?)あるいは福德正神とは違う。
「保民大王」??
その名前はよく聞くぞ?と勘違いしたのは台湾や福建の「保生大帝」で,「保民」は全くヒットのない神様でした。
西貢の天后を基準に考えると,この集落は「有百多年的历史」(数百年の歴史を持つ)ようです。黄竹洋村という場所に同じ神額があるなら,そういう謎の古神が拝まれていた可能性は残る。
なお,西貢天后の対聯は「圣迹自莆田恩流贡土 慈云开港海泽被冈州」。該当の時代に莆田から移ってきた集団を開祖とするとも思える。
※ 前掲維基/西贡墟天后古庙及协天宫
そこで,今度は「黄竹洋村」に興味が移りました。調べると西貢山中の村らしい。どんなところだ?
「一居民暫住」??
維基にやはり項目がありました。その中にも「一人居住」とあるから,信じがたいけれど,今はその方だけが住む村らしい。
现祗剩一人居住,因农地荒废,成为废弃乡村,风声过处,残墙败瓦,曾拥有新界第四大的风水林。在网络上为著名的灵探热点。
※ 維基百科/黄竹洋 (西贡)
日本軍の「石矿」岩切り場??
そこにこんな記述もある。
香港日治时期,日军占领村落,并在附近开采石矿,令原本肥沃土地消失,村民亦因此开始迁离。[前掲維基/黄竹洋]
戦時中,日本軍が鉱石を掘り始めた。書き方としては,それが原因で元々あった肥沃な土地がなくなり,村人は村を捨て始めた……とある。
日本軍が,中心部からかなり外れたここまで来て何を掘ったのか?それと村の滅びとがどう繋がりうるのか?
この維基には「出典を明らかにしてください」マークが付されていてそれ以上は辿れないけれど,全く謎の記述です。
「在网络上为著名的灵探热点」??
もう一つ,上記の「ネット上で有名なホットスポット」という面もあるらしく,最初の記事はそれを訪ねた記事だったらしい。行き方の部分を以下に転載する。
ワシ自身の興味とは違うので行く気はないけれど,こういう廃村巡り的な趣味が香港にもある,というのは一つ驚きでした。
以上,雑多な情報集に終わらざるをえませんけど──とにかく謎の深まるばかりの場所です。
なお,沙田東にも同名の村があるけれど,こちらとはまた違うらしい。
由企嶺下老圍巴士站出發,踏石級上行,先眺望企嶺下海景色,然後接石砌古道,在竹林間穿梭,輕鬆上走。途中看見一破舊的「實彈練靶」警告牌,未知這兒一帶是否昔日的練靶場地呢。約走半小時,便接上水泥車路的麥徑四段。
※ 黃竹洋廢村古道遊
──最寄りバス停は「企嶺下老圍」。途中,風光明媚な石畳道を30文学辿ると「上水泥車路」の「麥徑四段」に出る。