Range(上水&銅鑼湾&湾仔).Activate Category:香港十次(24) Phaze:東鉄線

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)
※鉄道とバス

東鉄線,時々キセル旅

往路と同じ道で南へ。1255。
 山際の家並みはやはり薄く,集落という感じじゃない。
 その代わり海際には幾つか村があるような表示あり。集落そのものは見えないから,海水面沿いに連なるのだろう。
 東の山肌は鬱蒼として厳しい表情。
 1303白沙湾。ここの港はやはりよい。何艘船があるのやら,湾を大小の船舶が埋める。
 ワンダーランド・サイゴン・プレ・スクール?派手にブチ上げた校名だな?

围村のロータリー。1300,やはりここを直進でした。
 ややきつい登り坂。
 大埔。海際に魅力的な集落がちらっと見えた。1312,ガソリンスタンド前のバス停。
 1314,さらにロータリー。
 1321,えっ?もう?地下鉄坑口站,到了(到着)。所要25分か,無茶苦茶速くなったな?
 一時半前か。
 よし。今日のうちに北へ向かってしまおう。
 將軍澳線で2駅,調景嶺。観塘線乗換で10駅,九龍塘へ。──6駅目「彩虹」という地名は,西貢からのバスの行き先にもなってた。ここが交通のターミナル化しつつあるように見える。ただ,現在の乗降人数はまだほどほど。中央部とは絶対量の桁が違うらしい。
 1355,九龍塘で東鉄線に乗換乗車。これも駆け込めたからロスはほぼゼロ。
 トンネル。それを出るとマンションだらけの谷。アナウンス,大围。
 古い家屋見える。沙田。──次歩くとしたらここかもしれない。
 大きな谷。やはりマンションが並ぶ。火炭。やっぱこの沿線の駅名は,笑えるほど即物的です。

学。1410。実は一等車に乗ってしまってたんだけど,何となく怖いので,降りるふりしてホームから二等車へ移る。台湾と同じで,二等→一等の入口に八達通を当てる機械がある。ここで等級を確定させるのでしょう。
 そのまま乗ってたらどう見つかりうるのかはよく分からん。でも,香港のシステムの完成度なら何かで見つかりそうなのでそのまま二等に乗っていくことに。
 しかし深い山並みです。沖縄でも同じだけど,何で香港のイギリス軍は日本からの攻撃時に,この北の山にこもらなかったんでしょう?──というより,イギリスにとっての香港とは,あくまで香港島だったのか?
 大埔墟。1420。普通語の比率が増していくような気がする。
 1401上水着。下車。

ひなびた殺気ストリート

▲上水の高架から

かい町だ!
 それも急速に大きくなった感じ。
 粉嶺とは雰囲気がまるで違う。あれよりもっと田舎町を想像してたのに……というか,これは大陸からの流入者の受入地,ということだろうか?
 新発街を北行。

▲1500新発街の,何というかひなびた殺気を感じる通り

発街の奥のロータリーでは,不安だった元朗行き小公も難なく見つけられました。
 かなり便利な場所だぞ?
 確かに九竜中央部でも「上水」という行き先表示のバスはかなり見る。

上水グラデーション

▲発街奥のミニバス溜まり

こまでの三枚の写真でも分かる通り,駅前の整然さから一本入れば猥雑この上ない。
 西貢と違う意味で,このギャップの楽しい町でした。
 さらに路地裏に入るなら,次のようなどぐされ市場も!

▲1511香港にも最近あまりない香港っぽい市場

かこの市場では投げ売りのTシャツを一枚購入しました。ほぼ紺無地の,でもかなり強靭な生地でした。
 それがある通りにだけでなく,元々歪な路地に沿って縦横に延びてて,なかなか好い市場です。
三つ子とて八又大蛇の新たなる

▲1521路地の小さな祠

あれはもう深圳だ

かなか深い町です。ぐるぐる回ってしまったから経路も何も取れてませんけど,中国資本が雪崩れ込みながら香港はかっちり保たれてる。
 1624,ともう夕方だけど充実感からか,明日かな?と思ってた元朗行きのミニバスに乗ってしまう。まず北へ。こっち方向にも町はかなり広がってるらしい。
 第三号幹線という路線をとるらしい。ロータリーから青山公路へ。
 西に向かってる?あ,いいのか。いつもの香港感覚だと分からくなってしまいそうな行程です。
 1537,白石凹という場所。高速の右手を走ってる。確かに行く手には元朗と表示あり。
 落馬洲!膨大なバス待ち客!そうか,この行程は陸路の大陸入口に当たるのか!

▲GM.で取った荒々の行程:上水→元朗

手に突き出た高層ビルは,あれはもう深圳らしい。
 行く手に新田と表示。ここでほとんどが下車。なるほど,ホントに元朗へ行く奴はほぼいないわけか。
 東山古廟?この町も面白そうだけど,降りることあるかなあ?
 青龍村と標識。
 川。
 ミニバスがひっきりなしに通ってる。
 一気に道が悪くなる。客がパラパラ乗ってきて今10人ほど。
 1650。再び高速の右側を並走し始めた。
 川。
 下竹園という地名。
 ロータリー。六又をよく分からない経路で跨ぎ降下を開始。
 高速の左手に出てきてる。
 左手南方になだらかな山すそ……あれ?あの山容は見覚えあるぞ?
 やはり。ビルがにょきにょき現れ始めた。もう元朗です。1703,駅にダイレクト下車。

三思堂の黄山毛峯と福建烏龍

鉄のホームを久しぶりに横切る。
 1708,西鉄線に乗車。
 西の元朗,東の上水が対大陸の前線として別の意味を持ち始めてる,それはものすごく体感できる道行きでした。
 この元朗にも,東の勇壮な山容の手前にどんどんマンションが並び始めてます。
 このスピードは……むしろ本来の香港部分が置いて行かれかねないのでは?
 1727,美孚から荃湾線で南へ向かいながら考える。明日の後悔がないよう,銅鑼湾だけ回っておこう。

内のカップル模様は面白い。
 香港人を含め漢族の女性が男に甘える時は,ワガママを言うかベタベタに甘えるか,そのどちらかの形態を取るらしい。今,目の前の女が前者の戦略を取り,えらくツンツンと澄ましてる。でも疲れないか,それ?
 1739,油麻地。目の前にサングラスの白人と髭のインド人。やっと古き善き香港の車内になってきた。
 1742,尖沙咀。最初のことを思うとホント信じられないけど…ここには暫く降りてないよなあ。だって重慶マンションはもう高い割に,六感全てにおいて周囲に香港がないからなあ。
 1748,柴湾線に乗換えて現在湾仔を過ぎたところ。よく回ってるなあ今日は。
 さて下車です。銅鑼湾海側へ。

▲1819夕闇迫る銅鑼湾謝斐道へ

いないで今回は済んだ。1810,三思堂はまだ開店してました。ここはなぜか二度に一度はフラれる店でして。
 購入できたのは黄山毛峯と福建ウーロン茶。いずれも,ここのはいつもだけど,ため息の出るような生々しい良質茶葉でした。
 よし!ならば歩くか!

町のパン屋さんです

▲「新界農夫」と掲げる農産物直売店。もはや香港のトレンドです。

二王から陸橋を北へ登った時,1813と記録してます。
 その陸橋で,足が止まってしまった。
──西側向きのガラスが付箋で埋め尽くされてる!読んでいくと,書いてある文字はもちろん例の問題でした。この時「上水」の文字も何度か見た。よく分析できてれば,この後のリスキーな行動も控えれたんでしょうけど……。
 とりあえずこの時は,そのまま湾仔に東行してます。今回も一安心──よかった!また買えた!潰れてなかった!
1850快楽餅店
ロール150

▲1848快楽餅店の存続確認

楽餅屋は町のパン屋さんです。
 ここには何度来たんだろう。ここ最近は,そのままいつも「潰れてないか?」がまず気にかかる。別に周囲には何もない。ここが潰れて具体に困ることはないけれど,香港で一番香港らしいパン屋が無くなったとしたら,やはり参ると思う。
 ここでの注文は秒単位。これを1つ!と言って硬貨を渡す,5秒ほどしか滞在しはしない。
 大事な場所なのです。

ちなみに五食目ともいう

▲花屋の通り

か前はそうじゃなかったと記憶する。
 快楽の東の路地が花屋だらけになってました。
 夕闇の落ちる直前のその通りは,妖しかった。
 皇后大道と荘士敦道の成す弓のようなエリアに,両道の間を櫛のような路地が並ぶ。この路地は,大抵何でもない道なんだけど,時折ハッと驚かせてくれる。

▲1857金網,塵取り,ヘッドライト。銅鑼湾です。

路の地下鉄を金鐘で乗り換えようとしたのは失敗でした。
 1923。三便見送ってやっと乗れました。
 確かにこの柴湾線,迂回路線を造るわけにもいかず,ラッシュをいかんともし難い。香港島は限界都市である。
 この時間は中環まで行き過ぎてから,荃湾線に乗り換えるべきでした。ふっ,まだ青いな。

▲快楽餅店のロールで夜のお茶。ちなみに五食目ともいう。

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