GM.(経路)
淀む烏岸头に沿うも愉しき
1454,烏岸头という水路の右岸の道をおそらく北行。左岸には学校。
流れは淀んでいるけれど好い川辺です。
4どころじゃない初・四果湯
道の名が
义全路になった。
腹減った。
車道が見えた。
ありゃ?これはバス停の辺りか?戻ったのか?
前方に奴らの像が見えてきた。ラッパ女神の乱れ飛び(→飛天迎賓城彫(飞天迎宾城雕):巻末参照)。その曲がりに泉州汽車站。何かあるだろそこなら?
なかった……。新しいバスターミナルってこうなのか?
温陵南路??何だか位置も分からなくなってきたぞ?
という感じにヘタレてきたので,とりあえずこんなんを腹に入れてます。
1516糖炒栗子
四果湯150
街中であまりに目にするので,休むならついでに,と街角の小店に入る。
「四」どころじゃないだろ?具沢山かき氷という感じの代物でしたけど,具沢山過ぎ。白熊とも全く違う。スイカ,仙草,タイでよくある甘いコンニャクみたいなの,白水餅2種,それにこれは……杏のドライフルーツだろうか?
この杏が,いい!確かにこれを入れると旨い。中華的に旨い。
客もやる気もゼロなのに?
怠け癖を許すと自分というのはつけあがるもの。一休みのつもりが,さらに自助の食堂を見つけてしまって,さらにここで時間を過ごしております。
客ゼロ。昼休みかな?と覗くとうつ伏せに寝てたお姉さんが「やってるよ」と給仕してくれました。──という,やる気もゼロの店だったんですけど。
1534稲楽米 DOREMI
青魚水煮
いりこのピーナッツ和え
大腸湯450
食べたことのない中華でした。
魚は非常に淡白。でも調味料にのっけてある唐辛子はピリリと絶妙に効いてるし醤油か香油か分からない不思議なタレもぐんとコクを増してる。だから味気なさは感じない,どころか箸進みまくり。
イリコのピーナッツ,これ合肥で食べた記憶がある。でもあれと違ってほとんど素材そのもの。なのに,日本のおつまみのフィッシュアンドナッツとは全く違っておかずになる。これも油だろうか。塩辛さもあるけれど魚臭さと豆臭さがそれを緩和,あるいは昇華させてる感じ。
大腸湯のそこには結構多量の蛤。もつ鍋のような湯なのにまるで嫌みがなく,だからこそ貝の木訥な潮香が死なない。この2つを合わせる発想,というよりモツをこういうピュアな湯にする発想を個人的には日本でまだ味わったことがない。
飯食えば歩いてしまえ幸福街
現金なもので,食ってしまうと俄に気力が湧いてきた。幸福街口のバス停から一旦帰還,とも考えてたんだけれど,まあ地名の縁起も宜しいし……バスには乗らずに歩いちゃおう!
1611,天后路をまたぐ。
1619,中山南路の前の义全后街に右折して入る。表通りと異なり蛇行してる。古い道筋に思える。
▲泉州老城におけるこの時点の場所(下側指差し地点)から包子屋の角(上側同)までの推定位置
以下,义全后街と指揮巷で写真を7枚撮ってます。
老城図で見ると,ここは徳済門北,鎮南門の南東。突出部の西側城壁裏に沿って歩いたことになります。
义全后街:泉州織物工場
▲1620义全后街①。道は,蛇行というより家の隙間のような形状です。
泉州織物業については,どうしても史料にたどりつけない。交易用として逆に誘発された地場産業とは論文にはまま出てくるけれど,実態や歴史が分からない。
ググると大阪の泉州が,これまた織物の町なので混ざってしまうのも要因ですけど。
▲1625义全后街③。古い,騎楼らしき構造の上に新しい家屋を増築してある。
▲1628义全后街④。これは二階まで古家屋のまま。対聨やランタンでギラギラ。
16時半を回った。指揮巷に突き当たり西へ進む。
スマホのカメラがまたラリってきた。でもこれも好い通りです。
指揮巷:美しい弧
中山路へ戻った。1634,右折。
上の写真はその角にあった,僑光文創園というゴチックめいた青白の建物。
美しい弧です。人の臭いもある。
■メモ:飛天迎賓に対する地元民の違和感
1996年に落成してる。舞っているのは8人の,それぞれ楽器を持つ「妙音仙女」という人たちらしい。泉州の名刹・開元寺の大雄宝殿の「飞天乐伎」からとったとのこと。
文革の感覚なら邪教視されてもやむ無いモチーフで,設計から施工までにはそれなりの論争があったらしいことが下記百度記事から窺われます。
泉州人を鳥に例える,というアナロジーがどうしても気に入らない人たちがいたらしい。
逆に言えば,世紀の切り替わるこの辺りで推移した中国人一般のセンスの転換を象徴してるとも言えます。
钱教授当时说,城雕是1994年设计的,象征中外文化在泉州的交流,但因为它太复杂了,很多人不太理解,加上时间一久,不少人产生误解,民间甚至有人以为是骂泉州人“鸟”,对此我感觉有些遗憾。
※飞天迎宾_百度百科