m054m第五波m雁渡 華僑の去りし浦に住むm南環城河

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)
※実際は万寿街半ばから南環城河に沿って青龍街に出ています。

万寿街 ガジュマルのパティオ

▲ランタンの風に揺らいで万寿街

寿路を北行。1426。
 壁面が丸まった赤煉瓦で出来てる。凄い家屋が並びます。今もそのまま住まわれているようです。

▲陽光に映える赤煉瓦の家並み

さいけれど商店もある。経済生活も生きてる。
 ひなびた,という表現は当たらない。すえた古色が漲る通りです。

▲木造の商店の並び。家屋の地盤は微かに上積みされてる。

に巨大なガジュマルのパティオが見えました。
 他の例からしても,現代中国には古樹を畏れる感覚は途絶えていないらしい。

▲万寿街北の古ガジュマル

地図になぜ無い?南環城河

らら?さっきの暗きょになってる地点に出て来てしまった。
 1430。
 そのまま川沿いを進もう。川の名は公示栏(掲示板)によると南環城河とある。
 この辺りは嗌南社区になるらしい。

▲南環城河と補修費と洗濯物

故かこの南環城河は地図に記載がない。メモ間違いかとググってみたけれど,存在自体は確認できる。かなり太い水路であり道なんですけど……。

▲木陰に輝く南環城河の川面

437,左手,青龍巷とある筋へ北行してみよう。
──とメモしてるこの道こそ,宋元代から金融街として栄えた筋だったらしい。隨意窩が豊富な写真を掲げてました。古洋風建築好きなら涙を流すような通りみたい。
來去泉州(三五) 泉州 李妙森故居 @時空旅人 :: 隨意窩 Xuite日誌

林さん家 百年海運 蚵壳厝(he2ke2cuo4)

▲青龍巷。左の煉瓦造りは相当補修されてるけれど,やはり組み方が独特です。

▲かなり古びた民家も残ります。屋根の甍の尖りは磨耗しないんだろうか。

廉平民居という文化財を通る。
 1441。
 そこら中に似たような洋風建築が残るんだけど,純粋に文化財扱いされて近づいたり入ったりできるのはここだけらしい。

▲林廉平民居

説書きには「泉州伝統民居建築富含闽南文化内涵(略)三落五開間格式」──泉州の伝統民家建築は闽南文化の要素を豊かに含んでおり(略。林廉平民居はそのうち)「三落五開間」形式(巻末解説)である。
 青龍巷には他にも似た建築は多いけれど,ご縁により林廉平民居を追いかけると次の泉州TVが詳しくまとめていました。このページから番組自体も見れますし,巻末で掘り下げもやってみてます。
※ 泉州广播电视台|无线泉州
2019-10/泉州古厝:青龙巷林廉平民居 百年海运蚵壳厝

あちこちに水路と水門があった

▲青龍宮

龍巷の北端にも祠。銘は青龍宮……ということはここが道の名の由縁でしょう。額には「青龍古地」とある。

▲青龍宮本殿前。極めて世俗的で,バイクで通りがかりに立ち寄るような風情。

 青龍は雨乞いの際に頼る神らしい。泉州ではどうも青龍信仰が根強いようで,アジア各地の青龍は泉州のそれの分霊という伝えもあるみたい。南安向陽鄉:千年青龍宮 祈福迎新春 – 每日頭條
 遠くに牌の音。

▲横街脇の水門付き水路

字を右手東方へ。横街。
 この脇を流れるはさっきの川だろうか。しかも東側でさらに分岐してる。莆田以上に水路が網状を成しており,しきもそのあちこちに水門があったらしい。まるで青龍ののたうつように。

■小レポ:青龙巷の林さん家

[建築民俗情報]「三落五開間」とは何か

 一言で言うと,福州長屋の縦横の規模。通りから見える入口が3つ,見えない奥へ5つの「ロ」の字が連結されてる,ということでした。

総論

「三落」というのは「三進」とも言う。そこから先は,次の趙論文によりました。福州の三坊七巷の家屋を個別に分析されてます。
※参照 趙沖・布野修司・張鷹・山田香波「三坊七巷・朱紫坊(福州,福建省)の住居類型とその集合形式に関する考察」中「3-1 住居類型」日本建築学会計画系論文集第79巻第697号,2014
[注は巻末にあったところを引用者が適宜繰り上げて掲載している。]

 福州の伝統的住居は大きく「大厝da cuo」と「柴欄厝chai lan cuo」注7)の2つに分類できる。
注7)泉州では,「手巾寮」,潅州では,「竹嵩厝」,広東では,「竹筒屋」と呼ばれる。

「三落五開間」は前者の「大厝」らしいので先に「柴欄厝」を見ておくと──

②柴欄厝:柴欄厝の柴欄は手すりを意味し,道沿いに連続して建つ様子がそれに似ていることから名づけられた。泉州では「手巾寮」,滴州では「竹嵩厝」と呼ばれる。間口は1スパン,3.6rn程で,奥行きは6-8rn程度のものから数十メートルに及ぶものまで様々である。福州においては2階建てがほとんどで,基本的に前部,中央部,後部に分割される。前部は玄関,先祖を祭るホール,家族の居間,寝室とし,中央部は食堂と寝室,後部は水廻りとされる。

 つまりベランダ付きです。アメリカ開拓時代の家屋を想起すればいいらしい。「大厝」はその逆,完全内向きタイプのベランダなしのことみたい。
 では「大厝」の内容を読み進もう。

①大厝:「四合院」の形式である「大厝」は福州の伝統的住居の大多数を占める。多く見られる「三開間三進」という型は,間口の数「間jian」が3,奥行きが「三進(三落)」の「大厝」である。通常「天井」(中庭)を3つ持つ。泉州では「三間張」という。他に「五開間」の形式などがみられる。

 単純でした。長屋の縦と横の長さを表現してるだけです。
 ただそれを寸法でカウントしない。間口を入口の数,奥行きを中庭の数で数える。「Y落(進)X開間」とは通りに面した間口に戸口(間)がX個造られ,そこから入ると奥が「3」の深さだけある。
 Xの深さの単位は,「ロ」型構造の連続数らしい。仮に上から鳥瞰したら「ロロロ」と「天井」(中庭)が3つ連結されてれば「三開間」。林さん家の五開間というのは「ロロロロロ」と5つも連なってるわけです。
 ただ,戸口も単に3つ開いてるだけじゃなく,屋根や内部構造も大まかに三分割されてる。

いずれも,まず,前面道路に対して大門が設けられる。大門は切妻屋根平入りで,中心に門廊,その両脇に門頭房(men tou fang)注8)を配置する。
注8)北京四合院の場合,「倒座房daozuo fang」と呼ばれ,闽南の泉州では,「下房xia fang」と呼ばれる。

 奥とは構造が異なるわけで,外敵を意識してるようにも見えます。しかも通りから見えるこれら3門の内側にさらに門があるらしい。

大門を進み進門をくぐると,すぐ正面には描屏門がある。描屏門は普段閉まっており,重要な行事のときにだけ開く。通常は外からの視線を遮断するものとされ,両側より出入りする。「天井」の左右に披舎(pi she)注9)正面には正庁がある。「二進」の場合は,正庁は一番奥に置かれ,応接間など来客のための場所として使われる。住宅全体規模の拡大の要求に対して東側(西側)あるいは両側に「跨院kua yuan注10)」が配置される。図5は,三坊七巷の「三開間三進」の実例である(No.5)。
 架構形式には大きく穿斗式と拾梁式がある。(略)
注9)北京四合院の「廂房xiangfang」のことであるcただし,披舎は三坊七巷でしか呼ばない。上下杭街区また閤南において,「樺頭(jutou)」と呼ばれる。
注10)泉州,滝州では「護厝(護龍)」のこと理解できる。

 何だか宮沢賢治の「注文の多い料理店」みたいな造りです。最奥まで簡単にはたどり着けない。着かさないための構造っぽい。
 仕組みは以上の通り。実例として,趙論文が掲げてる福州・三坊七巷の実例に当たってみます。

各論

▲実例1 三開間三進
 これは分かりやすい。3つの入口,奥に3連結です。
▲実例2「『五開間』の『大厝』が増築されたもの」
 ロの字は縦に単純に連なるとは限らないらしい。
▲実例3「『五開間三進』の『大厝』が元になり,東に『三開間二
進』が付加され,後方に『五開間一進』が付加されたかたち」
……そう言われればそうとも見えるけどさあ……
▲実例4「『五開間二進』の『大厝』が元になり,後方に『五開間
一進』,西側に『三開間二進』が付加されたかたち」
 うーん。そうなのか……って分かるかッ!
 ブロックの最奥で敷地が空いたり譲られたりを繰り返す中で増築されて,現実には福州家屋は出来上がってるらしい。その増築時のワンユニットが三開間だったり五開間だったりするみたいなのです。
 これは要するに,圍のような防御施設の内部構造を成すためのユニットです。奥に長い長屋が櫛のように並べば,袋小路が幾つも連なってるようなもので,ほとんど無限に抵抗できる。その代わり袋小路の奥の抵抗者は,全滅を覚悟することになりますけど……。

[ライフヒストリー]林さん家のハウスヒストリー

 林さんというのは,別に大富豪とかの家ではなくて,ごく普通の市民らしい。だからこそライフヒストリーとして興味が沸いたので転載してみます。

这座厝是上世纪二三十年代,林燧红的奶奶买来的,具体建筑年代可能是民国或者清末。当时为了买这座厝,老一辈很艰苦。1972年,古厝的大门塌了,在印尼的大伯还寄钱回来翻修。如今,古厝很多地方出现了风化和虫害,林燧红和家人正在商量要怎么修缮。
※前掲 泉州广播电视台|无线泉州
2019-10/泉州古厝:青龙巷林廉平民居 百年海运蚵壳厝

 前段に曰く,この家は民国あるいは清末の築。1920~30年頃に現居住者・林さんの伯母に当たる方が苦労して購入したものだという。
 後段は,1972年に正門が壊れてしまった。これをインドネシアにいた大叔父さんの資金援助で修復した。けれど現在は,たくさんの箇所が風化と虫害を受けてしまい,林さんはどうやって修復したものやらと考えあぐねているという。
 確かに,この長屋の形式は,建築時の防衛・防犯には長けている分,風通しや日干しによる衛生環境の確保とかを考えると長持ちはすまい。虫害が特記されてるのも頷ける。それに,そうした害で一部が使用不能になれば別の通路がないのだからそこを通って奥へは行けなくなる。数世代住み続ける家ではない,移住者が体を張って生き残るための,短期の拠点の設計です。

后人也希望,可以遵从先辈遗愿,将这里改造成为一个文化场所,让更多人可以参观和了解古厝的历史。[前掲福州TV]

──相続人もこう希望している。先人の想いを尊び,ここを改造して「文化場所」,つまり文化財として管理してもらい,多くの人々に参観してもらい,古家屋の理解を深めてもらいたいと。
 おそらくこの福建長屋群は,今既に現代中国人が好んで住む場所ではなくなりつつあるのでしょう。

林燧红是林廉平的大女儿,父亲去世后,家里人晚上不住在这里,但白天常常会过来。[前掲福州TV]

 原文では離した場所に書かれていて分かりにくくなっているけれど……林さんの一族も,夜にはここには寝起きせず,昼だけやって来ているという状況のようです。
▲林廉平民居の側面の蚵壳厝[前掲泉州TV]

[交易史]「蚵壳厝」の存在が意味するもの

「蛎殻の壁」という程の意味の言葉です。読みはhe2ke2cuo4(ハアコーツオ)と難しい。
 上記は林さん家の側面のそれらしい。通りかかった際には迂闊ながら見逃してます。
 これについて,前掲福建TVの記述には専門家意見としてこんな見解が示されてました。

杨声荣原来是鲤城区临江街道文化站的站长,他介绍说,这堵墙集中了闽南三种墙体建筑风格:底下是出砖入石,中间是蚵壳,上面则是砖瓦镶嵌,既美观又实用,在整个泉州都很少见。不过,这款大的蚵壳不是泉州本地的,是古时商船沿着海上丝绸之路,到东南亚等地方做生意后,返回泉州时候用来压船舱的。[前掲福州TV]

──この壁には,闽南の三種類の建筑形式が組あわさっている。底には石を,中間には蛎殻を,上には屋根瓦(モザイクタイル)を使っている。美観であるとともに実用的で,これだけ整ったものは泉州でもあまり例を見ない。
 確かに。見逃したのを後悔するほど画像は美しい。ただ,それだけではない,という点が後段には記してあります。
──しかし,これほど大きな蛎殻は泉州の地元では取れない。昔,海のシルクロードを渡ってきた商船が,東南アジアに到った後,泉州に帰ってきた時に荷下ろしされたものである。
 別サイト(京都府立大の方のもの)に,これは同じ福建でも蟳埔村のものですけど,きちんと大きさを計った画像がありました。約20cmです。
福建蟳埔村蚵壳厝 – 史的住環境学研究室(大場研究室)|京都府立大学
▲福建蟳埔村の蚵壳厝を構成する蛎殻のサイズ[京都府立大]

 確かに,中国で蛎というと蛤より少し大きい程度のものが多い。
 かと言って,東南アジアならそのサイズのものが,今世紀以前にあったのか否かは確認できなかった。現在マレーシア等で見る蛎は確かに大きいけれど,今世界各地で食されるパシフィックオイスターは,日本の蛎が拡散して養殖されてるもので,それ以前の蛎のサイズの世界的状況がよく分からない。
 ただ,福建にだけこの壁がある,というのは交易でもたらされた当時の「廃物」を利用したものだったのでしょうか。
 という程度の粗い考察でも,この蚵壳厝が美観以上の世界史的意義を持っていることは察せられます。まさに海域アジアの存在証明として。