目録
──この間で、実はブッこけました。
コザ十字路から少し北へと思って走ってると、路肩の──路面の金属の蓋か何かだったのか水溜りだったか、とにかく路肩へ乗り上げて──左膝の上下が血ぶくれになりましたけど、幸い骨は無事だったらしい。ただここから約三年余、膝に水が溜まって力が入りませんでした。
ここから自信を失って、原チャでは時速30km/hを厳格に守って走ってます。乗用車からはさぞかし邪魔だったでしょうけど──この後しばらくバスが続くのは、この際の後遺症。
あ、内緒ですけどね。公式には、冗談ですけどね。
パークアベニューに雨降る氷中花
台風の雨(と脚の痛み)が酷くなってきた中を、コザへ。
デイゴホテル駐車場で正午の鐘を聞く。当面、雨は止みました。
本日は、心身のダメージからもう遠出できません。さすがに入居は無理だったので、外へ。

1215。ad.中央3-13から北へ。気紛れに降る雨を、騙し騙し歩く。
駄目だ。また降りの率が高まりました。一旦……中央パークアベニューのアーケードへ避難。



シャッター街といえばそうなのに夏の潮




「休んでください」と書いてあるベンチで降る雨を見てます。およよ、ここ……ベンチの横に本まで置いてあります。
妙な空気の商店街です。
シャッター街といえばそうなのに、生々しい。所々開いてる店には、変に客が詰め寄せてる。
1233。ad.中央2-6から南西へ歩く。

コザ保育所と亀甲墓 ジープ着く






ヒストリーまだまだ雨に濡れるコザ

沖縄市戦後文化資料展示館「ヒストリート」へ。
ワンフロアだけど、かなり充実してます。特に──毒ガスとコザ騒動の展示を総覧できるのはここ位じゃないでしょうか?
ただ撮影は不可だったので、webのみ転記しときます。
沖縄市戦後資料デジタルアーカイブ Webヒストリート(web版) URL:https://www.histreet.okinawa.jp/histreet/FAA10/init#gsc.tab=0
●DB収録資料(検索ができる資料)
①沖縄市戦後新聞記事
・琉球新報(ウルマ新報・うるま新報) 1945(昭和20)年7月26日~2011(平成23)年12月31日
・沖縄タイムス 1948(昭和23)年6月29日~2011(平成23)年12月31日
・中部情報 1956(昭和31)年1月1日~1961(昭和36)年9月22日
・中部日報 1963(昭和38)年1月1日~1963年8月31日
②沖縄市戦後映像資料 ・約100本の映像資料
③沖縄市戦後写真資料 ・約43,000葉の写真資料


やぎ食ふて台風圏ゆらてぃく広場

ふと前回を思い出して電話してみると──
「ラストオーダー1630です」と受話器の向こうでのたまう食堂「南山」のオバハン。
17時閉店、コロナ対策らしい。危ねー!16時目安で行く頭でいました。急いで伺う。
1428 山羊料理 南山
山羊汁大450

何度来てもここのヤギは──ずっしりと安定の味です。
脂はたっぷり入れてもらってるのに……昆布の出汁の取り方でしょうか?滋味の中に凶暴な脂が蕩けて、キチンと正座してしまう。昔ながらの薬膳としての山羊汁です。
1518。ad.照屋1-30。
路地をコザ高通りに並行して進む。

夜風にアイス。
ゆらてぃく広場。※ゆらてぃく∶よってらっしゃい!
明らかに再開発の跡のお店。ad.照屋1-14でアーケード入口に着きました。バイクを停める。(GM.∶ゆらてぃく広場)


夕野分コザ十字路のアーケード
いやあ──好い光の路地だなあ。
胡屋と同じく、生々しいシャッター街とでもいうか……独特の暗がりです。


右手北へ。
コザ十字路のすぐ南へ出ました。


アーケード訪ねてきたのは糸取歌
で?
右折南行。あった,久志刺繍店。閉まってるけど……いやこれ開いてるのか?入口半開きです。
対面に快活クラブ。
「刺繍店」が概ね三軒並ぶ。




本日17日(1810現在)の沖縄県COVID感染者数は662人。
それはともかく──当面は大判絆創膏と包帯とオロナインH軟膏で、外傷部をケアして早めに床へ。

〉〉〉〉〉参考資料
URL:https://kangaeruhito.jp/article/4243


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