FASE87-3@deflag.utinaR409withCoV-2_BA5#陽を罅ぜる花弁 今咲きしニーブイ\胡屋三丁目の榕樹

□閑話休題∶変な山原東海岸×4

「動物注意」警告。この標識にはよく見るとイモリの絵が書いてあるけど……そこまで動体視力を求めるか?on県道18号線

「いま魚の店」???──昔の俺は魚屋なんかじゃなかった……とわざわざ店名にした……はずもなく???──結局理解不能。on久志

「コンビニふーじー うさぎ屋でーす」──ないちゃーには分からないニュアンスを込めた店名なのでしょう,多分。on宜野座

名店「やぎとそば 太陽」のロゴ。あ〜腹が立つ!on石川

脂三倍だけど兎に角腹が立つ

野座音頭に送られ宜野座を離れ、1215漢那。
 ああっ!また金武で沖の道を走ってしまった!ここの御嶽は前回もこれで逃したんである!でもあと橋をもう2回渡りたくないのである!

 1240「GATE 42」とだけ書いてある沖縄ならではの看板が怖い。

屋嘉ビーチ前バス停≒屋嘉収容所碑(右手)

251、屋嘉に戻ってきました。沖縄15km表示。
 1257、うるま市に入る。
 石川社交街ハイビスカス通り。本日は、この町に初めて立ち寄る予定でした。「やぎとそば」──これが店名です。慣れてくると良いネーミングです。
「やぎとそば 太陽」のやぎ汁

309 やぎとそば 太陽
やぎ汁(脂3倍,フーチバー多め)450
 満席ってほどじゃないけど……平日のこの時間だからね。
 スープ、サラダバー無料。調子に乗って脂3倍を頼んだけど大丈夫でしょうか、このナウな雰囲気のやぎ屋で?
 作っとる声はどうもお姉チャンです。やぎラーメンと牛すじカレーの注文の声が多い。
 来た!
脂三倍,フーチバー多め

口──おおっ!なかなかです。
 匂いを抑えてる店だと聞くけど……出汁の強さはきちんと活きてる。肉は確かに少し臭みが物足りないけれど、端正さがその分声を出してる。いや、よくこの個性的な食材をここまでコントロールしてます。
 ただ……キャラだけは腹が立つ!許しがたいものがある!!
🛵

牛オーラシェーとアゲナ城

1347少し石川市を走って──東恩納市場の先の十字路を左折。
 東恩納T字路を右折、R255に乗りました。
──当時何も書いてないけれど、この時、かなり体調が悪くなづてた記憶があります。当時沖縄本島を席巻していたビョーキだったかどうかは、もう定かではありません。多分、とにかくコザに着こうとしてました。

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)
∶やぎとそば〜サンライズ

🛵

1352石川市街

縄9km表示を見た途端──轟音!戦闘機が空を跨いで飛び去りました。
 1408、栄野比交差点を左折──し損ねたので……大回りしてR8に入ることに。1409。

慶名グスク
〔日本名〕うるま市安慶名
〔沖縄名〕あげな又はあぎな ぐすく
〔米軍名〕―

闘牛場向こうの安慶名城

427、安慶名城へ寄る。──確か、メモしたくないほど迷ったと記憶してます。南東面以外からは道がないのと、そもそも道の組み方が独特なエリアと条里の整然としたエリアが重なり、個人的には凄くややこしい町でした。
安慶名城の石垣遺構

牛場(牛オーラシェー)の奥に──これは、かなり精緻な石垣です。
 トップの岩陰も奇岩、うちなんちゅ的には絶対に御嶽にする地形です。ただ上がり口が見つからない。

※この時はナヨッてますけど……もちろん登れます。駐車場から石碑を目指すと見つかるらしい。でも登り口はこの一カ所のみ〔後掲おきろぐ〕。
安慶名城トップ部分を遠望

山羊汁よもぎ浄血増血

430。スシローとうるま市役所の十字を右折、これでR75。
 これをまっすぐ南西行しました。
 サンライズホテルの五階に投宿。厳格なる体温検査はあったけど……無事に合格。

南山やぎ汁2食目

1557(中城村島袋)南山
山羊汁(脂,よもぎとも多め)450
 よもぎを内地でこんなにムッシャムッシャと食べることはあまりない。
 山羊肉を食べやすくというよりも、よもぎを美味しく召し上がる方法として、山羊汁は素晴らしいと思ってます。

には浄血・増血作用、自然な意味でのデトックス効果があるそうですしね〔後掲山下薬草店〕。
 今回はほぼ(ハワイのAランチ以外)沖縄伝統薬膳食を食ってしまってます。これは確かに……効く!(……のか?)
 そういう成分は、元々マラリヤその他の蔓延を経てきた土地だからこそ、内地よりさらに強烈な形態で残されてるように思うのです。(……のか?)

~(m–)m 本編(コザ)の行程 m(–m)~
GM.(経路)∶南山〜サンライズ


山から東のファミマ前の直線道経由でサンライズへ直接帰ってみよう──と思いついたのは、ちょっとした気の迷いでした。島袋・南山はナイチャーのワシにとっては何とかたどり着ける場所で、いつも同じ道を引き返すか、胡屋十字路を経由して帰っていたのでした。
 20号(くすのき通り=胡屋泡瀬線の西延長)にぶつかるまでは、道なり。この20号との合流点に特徴がなく分かりにくいけれど……対面の細道を見なければT字路のような地点なので、意識してると簡単でした※。

※多分地元民なら、もっと手前、例えばなかそね(かぼ天の店→GM.)から北西に入るのが、サンライズホテル(サンエー中の町タウン)方面への本当の近道ですけど……まだそこまでワシには自信がなかったのでした。

コザ中学校から推定樹齢百年

コザ中学校の先で右折、すぐ左折した路地道

すのき通りからコザ中学校の先で右折。
 その道をすぐ左折するとサンエー裏、次いでサンライズ裏に出る……はずです。
 間違いの可能性は最初の右折-左折ポイントしかない……はずです。──とビクついてるのは、コザの路地では何度となく化かされたかと思うほど迷ってきたからで……。
胡屋三丁目5のガジュマルロータリー

中に雑草まみれの樹木のあるミニロータリー。
 沖縄市の案内杭「推定樹齢100年樹高7.9m幹周3.2m」のガジュマルとある。これとは別に古い石柱あり。対面の方形の公園脇にも大きな「あこう」。何かの聖地だったかもしれませんけど今は祠なし。ad.胡屋三丁目5。

※後掲沖縄市文化財分布図には「でいご」の記載があるけれど、遺憾ながらどちらが「あこう」で「でいご」だったか判別できてません。

胡屋三丁目5のガジュマルとアコウ

や?
 帰りかけてたら公園の片隅に社を見つける。
 香炉のみ、社内部に神体なし。供物もない。妙な温度で祀ってある社です。
公園内の小社

ロウロしてたら……結構な渋滞ポイントでもあるらしい。通行車からプレッシャーがかかってきまして早々に退散したんてすけど……あるいは、(巻末の地域の温度からすると)不審者を地域ぐるみでチェックしたのかもしれません。

安全運転でない二文字 一階上がる五階部屋

「交通安全」碑脇の小さな岩

656、諸見小学校。この十字路をまっすぐ──いや?
 十字路に立つ「安全運転」石碑の横に並んで、意味不明な小さな岩が立つ。表に何か漢字二文字が刻んであるけれど……読めない。読めないけれど、多分「交通安全」ではない文字です。
同岩正面に刻まれた文字

いう変な経路で、とにかくサンライズホテルのベッドに入りました。やはり体調悪かったんでしょう。
 古構造のこのサンライズホテル、なぜかエレベータートップの四階から階段で五階へ上がる。最初はイヤだったけど、今はこのヘンテコさが堪らない。大体安い部屋を予約するとこの5階部屋なんですけど、今回もそうでしたので……ラッキー!
サンライズホテルの、エレベータートップの四階から五階へ上がる階段

ビーには、かつて米軍占領時代に米兵が使用することを認められたレベルの施設であることを示す”Aサイン“が掲げられています。」〔後掲サンライズホテル〕
──と、最近はホテル自身もアピールしてます。でもこのAサインは、見かけたような、見たことないような……。
サンライズから見るコザ市街

■レポ:安慶名城とアギナー街小

 沖縄の難読地名の一つに挙げられる安慶名は、その由来として、後掲名嘉山さんは二説を挙げます。その二つ目として、天願小学校17代校長・(故)森根賢徳さんの言と断ったうえで--

かつての天願川の水量は、現在の何倍もの豊かさがあり、安慶名グスク付近まで船が航行できた筈である。その船を係留する時の<揚げ縄・アゲナワ>からアギナーになった。その意味は船の縄を係留するところ〔後掲広報うるま/名嘉山〕

※同稿中で、名嘉山は自身の「陸庭」(アギナー)説のほか、宮城真治(沖縄地名考)による「開け(アケ)+焼畑(キナー)=開墾地」説を挙げている。


 また、安慶名グスクの位置する一帯は「亀甲原」といい、それは安慶名グスクの形状が亀が座し、その頭をもたげている格好から来るといいます〔ibid.名嘉山〕。感覚的に、これも海からのランドマーク的視点に見えます。
 安慶名グスクの建設者は、伊波按司系の大川按司と推測されています(築年:14C)。位置の選定は、天願川中流河畔の好地ゆえと考えられ、沖縄唯一とされる円環状の形態に加え、どこまで人造か分かりませんが同河川の支流を濠として利用している点からも、河川地形の利用を重視していることは明白です。天願川は「大川」の別称を持ちますけど、安慶名グスクは別名「大川城」とも呼ばれます〔うるま市/緑溢れる森に隠れた城跡 安慶名城跡 うるま時間←wiki/安慶名城〕。
 15~16C頃、安慶名グスクを拠点とした大川按司は、具志川(具志川城)・天願(天願城)・屋良(屋良城)・喜屋武(喜屋武城)に築城、沖縄本島中部一帯を三代にわたって支配したと伝えられます。1526年に中山王府軍により落城しますが、この際にも純軍事的な陥落ではなく、兵糧攻め、正確には水不足を見抜かれての「渇水攻め」で陥ちたと伝えられます〔前掲プレスマンユニオン〕。つまり、小規模ながら相当に協力な城塞と見られていました。
 ということは、翻って考えると、ここを拠点に交易を営む政治勢力があったと仮定できるなら、確かに相当な強力を誇ったはずです。その割にはなぜかマイナーなのが、むしろ不思議なのです。

「具志川市 安慶名城跡」拝所らしい三角穴。従って、霊地という意味も否定し難いらしい。(沖縄公文書館所蔵)〔後掲沖縄公文書館〕

アギナー街小

 うるま市中心街区は、概ね、1983年に返還された天願通信所跡地の再開発地です。

終戦後は、安慶名十字路から北東・天願方面にかけて広大な米軍基地があって安慶名倉庫や田場倉庫があった。安慶名は、与勝半島へぬける県道8号線と天願・石川と北部方面とを結ぶ県道75号線が交差する交通の要地にあって「アギナー街小」(まちぐわ)が誕生、具志川村内はもとより、隣接する町村の中心地として発展、ベニヤ通り、瑞慶山通り、アメリカ屋通りなどにぎやかな通りがあり、多くの商店、飲食店、娯楽施設が立ち並び活気を呈していた。昭和30年代の映画の全盛期には、4軒もの映画館があった。
 安慶名市街地の北東に隣接していた米軍施設は復帰後返還され、天願土地区画整理事業として市役所をはじめ、学校、住宅、商店、飲食店などが建設され「みどり町」が誕生した。〔後掲広報うるま/名嘉山〕

※原図 URL=https://x.gd/K9X8F(短縮)

天願通信所 1983年返還 Tengan Communication Site (Approximate Location) 1973〔wiki/天願通信所〕

 上図は、方位が45°近く傾いていますけど、中央右下(黄)天願通信所と中央左上(紫)キャンプ・マクトリアスの間の円環状の地が安慶名城域と比定できます。何があったものか、これだけ広域の米軍地域指定に関わらず、グスクは指定から外されています。多分それが、安慶名グスクを原地形に近い状態で現在まで維持させた幸運だったのでしょう。
 ただそうなると、アギナー街小はどこにあったのでしょうか?
1960年頃に撮影された「安慶名国映館」(國場組提供)〔後掲琉球新報〕

 映画館4館とは、旧「安慶名沖映館」「安慶名オリオン座」「安慶名琉映館」「安慶名第二東映」のことらしい〔後掲琉球新報〕。
 また、wikiMEDIAには次の画像も見つかりました。論理的に言えば、上記米軍使用域以外の場所に、この商店街がある(あった)ことになります。コザ同様、巧緻又は徹底して歩かないと見つからないと思いますが…安慶名のどこかに、旧「アギナー街小」は存続しているはずなのです。また将来への宿題ができてしまいました。
古いアーケードが残る安慶名〔souece:画像サイト「沖縄発!役に立たない写真集」←wikiMEDIA/同名〕

 県道8×県道75の交差点付近で、天願通信所域以外となると、現・スターバックスコーヒー沖縄うるま安慶名店(→GM.)又はうるま市健康福祉センターうるみん(→GM.)の南側付近のはずなのですけど、沖縄X(航空写真凝視)する限り該当箇所が見つかりません。でも道筋は相当に乱れており、乱開発された気配もあるので…歩けば何か見つかりそうなのですが。

■レポ:胡屋▲▼
 この日の夕刻に着目した「呪文」二字は、次のブログに取り上げられていました。建立日付は大正九年七月十三日。

「胡屋の石碑」霊符〔後掲アッチャーアッチャー〕

諸見小学校の東側の十字路に位置する「胡屋の石碑」は胡屋集落の西側にあり、悪霊などを防ぐ意味で大正9年7月13日に設置されました。石碑に刻まれている霊符は「鎮宅霊符縁起説」の鎮宅霊符七十二道と、新宮館発行の「神道神言妙術秘法大全」に掲載されているものと同じだと考えられています。霊符とは神社からいただく御札や御守りと同じようなもので、古くからご利益があるとして庶民の信仰の対象となっていました。〔後掲アッチャーアッチャー〕

「秘宝大全」は運勢叢書などからも含めその後も重版されており、出典は「鎮宅霊符」で、道教経典「道蔵」中の「太上秘法鎮宅霊符」中のものと思われます。
 これが沖縄で特に流行ったという記録は見いだせないのですが、後掲アッチャーアッチャーは、出典不詳ながら「古くから」庶民が信心してきたと記しています。
 沖縄市が2003(平成15)年にまとめた文化財分布図があります。下記図の①(マル一)「石碑」がこれに当たり、そこから考えると「ガジュマルとアコウ」及び「公園内の小社」は⑦(マル七)「ガジュマル及びデイゴ」と⑩(マル十)「ミーガー」に当たるようです。

沖縄市文化財分布図/胡屋・仲宗根部分〔後掲沖縄市2003〕

沖縄市文化財分布図(凡例)/胡屋・仲宗根部分〔後掲沖縄市2003〕

「胡屋のガジュマル」に隣接する「胡屋コミュニティー広場公園」には「ミーガー」という井泉があります。俗に「ウフガー」とも呼ばれ、胡屋集落の中では最も新しく造られた井戸です。昭和6年にポンプ式に改修され、飲料水や馬の水浴びとして多く利用されていました。胡屋集落では旧暦8月10日に地域の平和と五穀豊穣を祈念して行われる「ウスデーク」という伝統行事で「ミーガー」が祈られています。〔後掲アッチャーアッチャー〕

 つまりこの付近は、拝所の集中地になっています。それが単に米軍接収の「売れ残り」と思えないのは、通行人が見えない場所に次の村根屋(上記図では⑬(マル十三)「門中」)があるらしいことからも分かります。

胡屋自治会館に隣接した場所に「村根屋」と呼ばれる拝所があります。拝所の小屋にはウコール(香炉)や湯呑みが供えられていました。「村根屋」と言う名称から胡屋自治会館がある土地が胡屋村発祥の地だと考えられます。「村根屋」は村のヒヌカン(火の神)の役割として土地を災難から守ってくれる神が祀られていると思われます。また「村根屋」の霊石は魔除けの悪霊祓いとして設置されていると考えられます。〔後掲アッチャーアッチャー〕

村根屋(門中)〔後掲アッチャーアッチャー〕

 十分に回っていないので全体像はよく分からないし、語る資格を持たないのですけど--コザ中学校から沖縄市役所付近の微高地の裾をとりまくような形で拝所が存していると思えます。この丘の西側が字・胡屋、東側が字・仲宗根になっており、後掲アッチャーアッチャーが紹介するとおり、両集落がどこかの段階まで同じルーツを持っていたとするのは、妥当な推測と思えます。

室川貝塚や仲宗根貝塚の一帯は現在の胡屋集落と仲宗根集落に広がっていて、昔より人々が暮らしていました。現在は胡屋地区と仲宗根町地区に分かれていますが、縄文時代には同じ土地の住民として生活してきたと考えられます。2つの隣接する集落が昔から同じ伝統行事を共有して伝承している事も当然と言えます。〔後掲アッチャーアッチャー〕

 なお、琉球神道で通常は欠かせない御嶽としては、胡屋御嶽(前掲図中では⑭(マル十四)アガリ森)があるようです。

胡屋御嶽(アガリ森)〔後掲アッチャーアッチャー〕

コザ中学校の南西に位置する「アガリ森」にある「胡屋の御嶽」と呼ばれる拝所です。「アガリ森」は沖縄戦後に米軍の通信施設が建てられていましたが、この高台が胡屋集落に返還されると集落の獅子舞の安置所、御嶽、殿毛と呼ばれる神を祀る広場などが1980年に「アガリ森」に移設されました。旧暦8月10日の「ウスデーク」と旧暦8月15日の「十五夜」では「胡屋集落」と「仲宗根集落」の共同伝統行事として「獅子舞加奈志」が奉納されます。〔後掲アッチャーアッチャー〕

 ただし、上記記述を見ると、米軍通信施設の返還地に造られています。これが、元々の御嶽が米軍接収されたのが返ってきたから御嶽と復称したのか、まだ米軍接収地の中にある、または何かで失われてしまった御嶽を、返還地に再建したのか、判別がつきません。建物の新しさからすると、いずれにせよ戦時に一度消滅した御嶽のように推測されます。でもそうすると、それでも根屋だけは残存したというのがどういう経緯なのか、仮説を立てることも困難な状況になっています。
 危機感が強いこともあってか、コザの民俗データは、このように分量は割と揃っています。惜しいのは、これを網羅的又は包括的に言及する論点がまだないことです。残念ながら、本稿もそこに「何かが存在する」としか指摘できませんが。
 なお、前記沖縄市図の原図(→https://www.city.okinawa.okinawa.jp/documents/988/bunkazai_map.pdf)を見て頂くと分かりますけど、沖縄市管下の文化財集中区は、この胡屋・仲宗根だけではありません。同程度のポイントだけでも登川・知花・松本・美里・古謝・大里・与儀の各集落が挙げられます。このエリアを回っていて繰り返し感じることですけど…米軍接収前のこの土地は、何か特異な地域だったのではないか、という根源的な疑念もまた絶つことができずにいます。

沖縄市文化財分布図/美里・越来部分〔後掲沖縄市2003〕

沖縄市文化財分布図(凡例)/美里・越来部分〔後掲沖縄市2003〕

※出典集としては後掲「バカ夫婦の真面目過ぎる沖縄旅行記」が物凄く詳しい。

〉〉〉〉〉参考資料 

(あつち)アッチャーアッチャー@沖縄パワースポット – 楽天ブログ 2021.03.08 伝統の獅子加奈志で結束した繋がり@沖縄市「胡屋/仲宗根集落」
URL:https://plaza.rakuten.co.jp/gomachanoklnawa/diary/202103080000/#goog_rewarded
(おきな)沖縄県公文書館(同館所蔵)写真解説:具志川市 安慶名城跡 撮影地:(不詳) 撮影日:1965年6月 資料コード:0000108757 写真番号:013278 アルバム名:琉球政府関係写真資料047 URL=https://www2.archives.pref.okinawa.jp/opa/SearchPicsDetail2.aspx?pid=9716
沖縄市 スポーツ・文化 > 博物館・資料館 > 沖縄市立郷土博物館 > 沖縄市立郷土博物館 OKINAWA MUNICIPAL MUSEUM >発刊物
URL=https://www.city.okinawa.okinawa.jp/k063/sportsbunka/hakubutsukan/kyoudohakubutsukan/134/1580/index.html
/(5)文化財普及資料/沖縄市文化財分布地図<平成15(2003)年度(2003)発刊>(PDF:1,149KB) PDF URL=https://www.city.okinawa.okinawa.jp/documents/988/bunkazai_map.pdf
(おきろ)安慶名城跡(あげなじょうあと) | おきろぐ沖縄|オキログ沖縄
URL:https://okibluesky.com/%E5%AE%89%E6%85%B6%E5%90%8D%E5%9F%8E%E8%B7%A1_%E3%81%82%E3%81%92%E3%81%AA%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%82%E3%81%A8/
(さんら)サンライズホテル沖縄(公式) URL=https://sunrisehotel.okinawa/
(なかや)名嘉山兼宏 2011「うるま市地名散歩(15)」『広報うるま』2011 8月号 p6
※広報うるま/2011年(平成23年)広報うるまPDF版/No.77:08月1日号(PDF版) URL=https://www.city.uruma.lg.jp/1002007000/contents/63.html
 /PDF P06(PDF:478KB)https://www.city.uruma.lg.jp/documents/1016/11uruma08p06.pdf
(ばかふ)バカ夫婦の真面目過ぎる沖縄旅行記 沖縄旅行記 2019.04.10 更新2024.07.22/沖縄の史跡や御嶽の地図が見られるサイトまとめ【沖縄本島中部編】 URL=https://okinawa-plan.info/2019/04/4177.html
(ぷれす)プレスマンユニオン ニッポン旅マガジン 県別・エリア別/47沖縄県/安慶名城 URL=https://tabi-mag.jp/on0340/
(やまし)山下薬草店/国産オーガニック健康茶専門 ヨモギの効能・効果【まとめ】知っておきたい利用法
URL:https://www.yakusou-ten.com/yomogi
(りゆう)琉球新報 2026年01月09日 11:18「安慶名(安ゲ名)国映館 劇場の記憶が消えた街<沖縄まぼろし映画館>199」
URL=https://ryukyushimpo.jp/entertainment/entry-4941586.html

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