FASE88-1@deflag.utinaR409withCoV-2_BA5#アカヒゲの今去りし森素十の忌\美里元社交街

空き瓶はけふを映すや素十の忌 海城A
※素十 高野素十。客観写生の観が特色
※※体長14cm。1970年国天然記念物指定

[前日日計]
支出1300/収入1200
    ▼13.0[364]
    /負債 100
[前日累計]
利益 -/負債 314
九月二十二日(四休)
1030まつもと食堂
骨汁500
1441やんばる食堂
ピーマン牛肉焼き550
2300ル・パティシェ・ジョーギ
新都市ロール(チーズクリーム)250
[前日日計]
支出1300/収入1200
    ▼13.0[364]
    /負債 100
[前日累計]
利益 -/負債 314
九月二十三日(五祝)
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0845朝のセントラルアヴェニュー(入口辺り)

0843セントラルアヴェニューから入る。完全にどこもシャッターが降りてる。
0850セントラルアヴェニュー南側路地

0847FM KOZAの十字で右折。大城鶏飯前を左折。ad.中央四丁目1-19。いやここは一通だった。一つ東へ。

0854道は果てて亀甲墓群

四丁目7辺りの道を登ってみると──ここは墓地でした。アスファルトも途絶える。
中央四丁目,セントラル公園と八重島公園の間のこの丘が何なのか入ってみたかったのですけど……確かに御嶽や社は公にはないらしい。でも何となく曰く有りげな場所です。0853引き返す。
0856どうもあちこちにこんもりと森が残る四丁目緑地

突き当りを左折。0858スクール通学路表示のある三叉路を直進。コザ小学校校門。
0859コザ小学校校門前三叉路地点

0900オキナカの十字。尾根道,ここは何度か来ました。左折。ガソリンスタンドのT字から右折,左折,さらに左折。八重島公園へ。
最初にこのエリアの不思議に出くわしたこの場所ですけど,どうしてもクスクを確認したい。
0911すぐ向こうは自動車道と嘉手納基地……という場所の暗がり

階段を登らずにトイレの方へ。
かろうじて続く野道,いや石垣の道です。古い。
石畳の野道

全く表示も祠もないけれど,最高所。ここでしょう。二つの岩場の間。
西側の岩場

東側岩場

(見えづらいけど)ガジュマル巨木根
周囲へは野道があるようなないような……

山側にはトンデモなく巨大なガジュマルの根の残存。おそらくGM.上にインジングシクと表示される場所です。丘の中腹の岩場,条件的には間違いない。
150m西は沖縄自動車道と嘉手納基地というこの立地が民側に残されたのも何かの人為があると思う。あるいは,嘉手納基地域にもこういう土地が続いてたのでしょうか?
北側から見る「グシク」跡

0925先の三叉路に戻って北谷竹細工,山城内装の手前を右折。かやまばしで越来川を渡り直進。
0938住宅地の森と越来の景観

この辺にはなぜか新しい家屋が多い。県立美来工科高校※。

※「美しい未来」を目指すという校是の他,地名・美里と越来から一字ずつを取り命名されたという。中部地区の工業技術教育基幹校として設立された琉球政府立コザ高等学校に由来を持つ。旧称・沖縄県立中部工業高等学校。沖縄県内の高等学校で唯一の(国家資格)基本情報技術者試験の科目免除制度認定校。〔wiki,後掲学校HP〕

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0939パーラーともよせの先を左折。すぐ右折
0942ワクガー。

尚宣威王の子孫である湧川按司が使用していたと伝わる井戸。 沖縄市教育委員会〔案内板〕

当然に「ワクガー」

でR329を跨ぐ。不思議にもこのポイントしか車道を信号で跨ぐところがない。左右の道があまり連接していない。
三つ先の右折路から侵入。美里公民館。この先にも古くはないけれど共同井戸の遺構。
共同井戸遺構

十字路を右折。美里二丁目14。
美里二丁目付近の住宅地

0954ヌルドゥンチャー。鍵を開けて女性二人が拝んでいった。エラい香水臭。長崎梅園のような遊興文化的信仰があるのでしょうか?美里村教育発祥之地碑。訳が分からない。
ヌルドゥンチャー全体光景

祭壇

社の中を覗くと香炉三つ。左手の丸い香炉の奥に三つ古い石柱。
奥にイビらしきスペースも残る。かなり本格的な祈りの場所です。
狭いけれど長方形に確保されたイビ

右折右折で進む。スナックから目の前に出てきた,はっきりとベロベロのおじいちゃんがフラついてる。
このあとヘベレケ親父が出てきたスナック

確かに何か不自然な構造の家屋

何とたちんぼがいる!ハッキリ客待ちしてます。鄙びてるけど現役の街です。美里吉原は今も十分にいかがわしい。
装飾と構造が何か辺だけど──選挙ポスターは貼ってある。

ポツポツとだけど飲み屋は続く

──この辺を「夜のディープスポット探検記」的に書いたプログが幾つかあって,情報源としては使えたけど,現・美里大通りがないものと見たここの時空を考えてほしい。吉原になおも残る徒っぽい熱は,往時の発熱が如何に高温だったかを物語る。
吉原自治会

──早々に退散しようとして焦る。この道の複雑さと微妙な登り下りは,サクッと脱出を許さない。うろつくうち,当初目標にしてた吉原自治会も発見した後,何とか予定の美里大通りに出る。▼▲

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